ここのところ毎日曇天か小雨・霧雨ばかりで、なかなか気持ちがアガらないemustanyです。
明日から晴れマークが続くようで、穏やかな秋晴れを楽しめるといいな。
気づけば6回目のカウンセリング
昨日少し頭出しした通り、今日はカウンセリングでした。
一応おさらいですが、前回は身近なトピックで『ABCDE理論(論理療法)』を練習しました。
前回に比べると、夫との関係において感情が大きく揺れるような出来事はなかったように思います。
代わりにこの2週間、わたしの心を大きく占めていたのは(ご存知の通り)復帰か延長か、という悩みでした。
#ブログでもほぼこればっか書いてましたね。。
復帰か延長か・・・。
いつまで経っても決断できない優柔不断な自分。
「半年も休んでまだ休むのか」と責める自分。
「休んでいたいのかも」と思う自分を認められない自分。
決めてもなお「これでよかったのかな」となかなか受け入れられない自分。
それぞれそういう自分がいるという自覚はあって、でもじゃぁ一体どうしたらいい(よかった)んだろう?と思っていました。
こういうことって、もし夫や家族に話そうとするとなかなかタイミングがなかったり、変に改まってしまったりするもの。
だけど、カウンセラーなら話を聞いて、一緒に考えたりヒントをくれたりするかなって思ったので。
なので、もしカウンセラーから「何か話したいことはありますか?」と聞かれたら、これを言おうと思いながら今日のカウンセリングに臨みました。
そうそう、先に言っておきます。
今日はカウンセラーの発言がめちゃめちゃ多くて(本人も途中で苦笑しながら言ってた)、でもちゃんと書き残したくて、たぶん今までで一番長い記事になってしまいました。。
#途中で何度も書くの諦めかけたくらい。(でも諦められない完璧主義な自分)
くれぐれもご注意を!(何に?)
カウンセラーからの頭出し?
カウンセリング冒頭、カウンセラーからは
「前回ABCDE理論(論理療法)をやってみたけど、そこで練習材料にしたトピック(※下記の【補足】を参考)について、他に何か気づいたことや考えたことはありましたか?」
と聞かれました。
※【補足】前回の練習材料にしたトピックとは『自宅で残業中の夫に「音楽をかけていい?」と聞いたら「仕事中だから」と断られ、不満や怒りを感じた。』という話のこと。
聞かれた意図があまりわからなかったのですが、この2週間の間に仕事環境が変わった(これまではリビングで仕事をしていたけど、別部屋にワークスペースを作った)ことで、少なくとも以前のように四六時中バリバリ働く夫を強く意識することは減った、と伝えました。
#部屋分けたところで残業すること自体は変わらないけどね。。
カウンセラーがこれを聞いてきた意図は、改めてわたしのやりとりを振り返った時に、別の気持ちはなかったのかが気になったからとのこと。
「”家に一緒にいるんだから一緒に楽しみたいな”とか、”寂しいな”という気持ちもあったりしなかった?」と。
なるほど、言われてみたら確かにそういう気持ちは根底にあります。
別にこの一件に限らず、わりと普段から「一緒にいたい」「一緒に何かしたい」という気持ちは結構強め。
だけど、いい年したオトナだし、当然「かまってかまってー!」なんて言うことはありません。
まして相手は仕事中とあれば、そんなこと言ったって仕方がない、というか迷惑をかけるだけ。
こう伝えると、
「確かにそれはそうなんだけど、そこがあなたが大人なところというか、我慢している・甘えられていないところ。」
「忙しい時はともかく、寂しい時は寂しいなって出していいんだよ。」
「もしかしたら”寂しい”とか”一緒に楽しみたい”っていう自動思考があるのかもしれないよね。」
「ここが自動思考だと分かれば、じゃあ忙しそうな時はいったん我慢するけど余裕ある時に今度一緒に~~しようよって言ってみようかな、とかできるようになる。」
と。
・・・ふむ。
たぶん前回この「寂しい」とか「一緒にいたい」みたいなのを書かなかったのは、単純に思い浮かばなかったからということもあるけど、まだカウンセラーを信用しきれていないからというのもあるでしょう。
何でも腹を割って話せるようになるには、ちょっとまだなっていないのかなと。
まぁこれは大半、時間(回数)が解決するはず。
#もちろん相性もあるとは思うけど。
カウンセラー曰く、
「適応的なことばかり考えていて、あなたの気持ちがどっか行って大事にできていない感じがした。」
「自分のことを説得しようとしてるなって感じ。」
「そんなにいい子じゃなくてもいいんだよ。」
「前回書いた内容だけじゃ我慢しすぎ、かわいそうだな、って思った。」
だそうで。
本人はこういった感覚がほぼなかったので、周り(って言ってもカウンセラーだからかもだけど)から見るとそうなのかー、とちょっとした気づきになりました。
復帰か延長か問題
ここで話がひと段落し、カウンセラーから「前回のような感じで、何かお話しできそうなことありますか?」と聞かれました。
そこで、最初に書いた通り、(似たような出来事っていうのはなかったけど)復帰か延長かでいろいろ感じたことを話してみました。
特に伝えたのはこれ。
決めてもなお「これでよかったのかな」となかなか受け入れられない自分。
そして以下も補足として伝えました。
- 休職に入る時も、最初の延長の時も同じように思っていた。
- 本当に今休むべき状態なのだろうかと思ってしまう。
- 休み続けていると戻れなくなるんじゃないかと不安になる。
- 戻らなきゃいけない、戻るべきという考えが強い。
- 一方で、不安な気持ちや復帰を考えてドキドキする自分も大事に「してあげなきゃ」とも思うから、そっちに倒そうとするんだけど受け入れきれない。
これを聞いたカウンセラーは
「100%これでよかった!と思えないとだめなのかな?」
と一言。
はい、言われて気づきました、白黒思考!!
「100%納得できた、これでよかったと思えたことって、これまでどれだけある?」
・・・う、そうですよね。
でも気づけばずっと優柔不断だなと思ってて、自分の判断・決断に自信が持てないし、人に意見を聞いたらそっちが正しいように思ってしまうんだもの。。
100%納得ってのは確かになかったかもしれないけど、ある意味時間が解決して、なし崩し的に納得してきたというか。
「なし崩しだとしても、結果的に今回の場合ならあなたが健康状態が良くなれば、それでいいんじゃないのかな。」
ここからカウンセラーのコメントがしばらく続きます。
「優柔不断、決められないってことは、やっぱりどっちか完璧にしたいってことなんでしょうね。」
「絶対これでいいんだ、なんてないです。やっぱりこうかなぁ、なんてみんな思う。みんなグレーで、濃いか薄いかがあるくらい。それが普通。全然普通!」
「まだ職場に挨拶することを考えただけでドキドキしちゃうんだったら、もうちょっとお休みしたっていいじゃない。」
「今までが頑張りすぎよ。相当頑張ってきて残業もたくさんして・・・そういう自分は受け入れられるけど、休んでる自分はダメっていうのはかわいそうだよね。」
「頑張ってなくたってあなたはあなただし、なかなか腹落ちはできなくても頭だけでもそうだよねって思ってほしいな。」
「すぐ納得できない、了承できない、でもいいのいいの。」
「もうちょっと自分に甘くてもいいんですよ。」
「自分に甘くしちゃうと自分がダメになっちゃうとか、こんなことしてていいんだろうかとか、もっと自分はやらなきゃダメなんじゃないのとか、そういう”誤解”があるんじゃないのかな。」
自分以外の人がこういう言葉をかけてくれると、救われますよね。
頑張りすぎる問題
でも頑張っちゃうんですぅ。。
今は仕事してないから家事を頑張っちゃうし、何もしない一日はダメだと思っちゃう。
すごいこと、自慢できることをしようとしているわけじゃないけど。
「何かやってる自分、一生懸命やってる自分はOKなんだね。」
「もちろん家事もできる範囲でやったらいいけど、やりすぎ・頑張りすぎだとちょっとね。身体が動いて気分転換になるなら。」
「もし4月に休んでなかったら、今ごろもっと大変だったかもしれないね。」
「お休みしている間に、無理しないようにするにはどうしたらいいか、ストップが必要な身体のストレスサインをちゃんと知っておくのが大事。仕事ならなおさら。」
「じゃないと一生懸命やっちゃう人だから、同じやり方のままだとまた徹底的にやって再発しちゃう。」
「それは自分を甘やかすとかじゃないから。仕事に必要な健康管理だから。」
優柔不断問題
ここでちょっと話が変わります。
「もっといい結論が出るはず、もっとより良く、って考えると優柔不断になっちゃわない?」
わたしが答えたのは
- 必ず正解(があること)を求めてしまう。
- 与えられた選択肢で正しいものを選びたい、選択肢にないなら他の選択肢を増やそうとする。
- 必ずしも数値で表せるような正解があることばかりじゃないし、人によるとか、正解がないこともあるのは頭では理解している。
ここで、先日夫に復帰か延長かで相談した時の話を出しました。
「どれを選んでも正解だし、間違いはないのよ。どれを選んだっていいんだよ。」
という言葉。
これに対するわたしの反応は、「あぁそうだよね」と思ったのが半分、「そうは言ってもね」と思ったのが半分でした。
「そうだよね、って半分思ったらOKにはならない?そうは言ってもね、って思う自分もいるんだなー、って。」
「そうだよねって思うわたしと、そうは言ってもねって思うわたしがいるんだな、って認めちゃったらいいんじゃない?だってそれが自分だもん、って。」
「そうは言ってもね、って方に引っ張られちゃうと悩む方に突っ込んでっちゃう。」
「半分はそうだよねって思ったんだし、自分で決めたんだからもうそれで行くっていうのはダメかな。」
「そうは言ってもね、って方をずっと考えて悩んできたんだろうから、すぐにはできないと思う。」
「そうやって綱引きしている自分を丸ごと認めてしまって、そうは言ってもねの方に絶対引っ張られちゃいけないなんて考えたりもせず、でも自分で決めたからと軌道修正していけばいい。」
「悩みすぎちゃうと自分が苦しくなるからね。つらくなる方を選ぶ必要はない。否定もしなくていい。」
ちなみに夫の発言は褒められました。(笑)
身近にいいモデルがいるんだからそっちに染まっちゃえ、と。
自分を甘やかすのではないか問題
ここで気になってきたことが。
「そうは言ってもね」を無視というか、考えないようにすることって、自分の都合いい方・甘い方にばかり進んでいくような、どんどんだらしなくなるような気がしてしまう。
「あなたはだらしなくならないと思うな。」
「自分を律してないと自分はダメって思いこみはない?」
「自分を甘やかすときは甘やかしちゃったらいいの。」
「やる時はやる人だから大丈夫だよ。」
・・・そうは言っても”ラクな方を選んじゃいけない”みたいなのがあるんだよなぁ。
ここでカウンセラーから「誰かにそう言われたり、そういう姿を見たり影響を受けたりしたか?」と聞かれて思ったのは、父と母のこと。
父が食べかすを床にこぼしたり、洗面台をきれいに使わなかったりするのを見て、母はいつも文句を言っていました。
散らかしたままとか、だらしないとか、そういうことに対して母が厳しいのを見て育ったのが影響しているのかなと。
母が怒るような怒りの種をわたしは撒いてはいけない、と思っていたのかもしれません。
「手を抜く練習をしてみたら?」と言うカウンセラー。
「したいけどできない。目をつぶるトライをしてみても、汚い・散らかってるものを放置できない。自分の基準が厳しすぎるのは分かってるけど、緩めるのはすごく難しい。」
と返したところ、
「これはもう練習するしかない。とにかく汚くても我慢する。イライラしても見ないふりをする。慣れる。暴露する。」
「どうしても我慢しきれなくなったら、”私が我慢できない・やりたいからやる”ってことでやればいい。でもそこで相手を責めたりしない。」
「目をつぶる練習をして、慣れていくことで基準を下げる。」
うぇぇぇえええ、って言いたくなるくらい、これは正直すごくすごくストレスを感じそうですが、「少しやってみてもいいかな、というかやっといた方が良さそうだな」とは思いました。
一応自分で取れる策として「1日1家事」を試行していることも話してみました。
#結構前ですが、「1日1家事」については一度書きました。
全体に「いいねいいね」という感じでした。
自分で決めたスケジュールに振り回されることもあるのが気になってましたが、
「入れ替えたり、パスしたり、他の日に多くやるとか、柔軟にやっていけばいいし、いいやり方だね。」と。
「家事(のレベル感)に関して母の影響を受けたのは確かだけど、自分で新たなやり方を試しているし、素晴らしい。」
とも言われ、何だか急に褒められすぎてちょっと居心地が悪くなってしまいました。^^;
ここで時間いっぱいとなり、今日のカウンセリングは終了。
やっぱり人に話すことで、少しずつ自分の凝り固まった思考やこころが解きほぐされていく感じもあるし、自分では当たり前ということも人から見るとそうなのかという気づきもあります。
なかなかすぐに効果を体感できるようなものではないけど、うまく活用していきたいものですね。
*おわり*