こんにちは、emustanyです!
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
おととい、メルカリでずっと動きのなかったコートが売れました。
見ると住所が近かったので、思い切って直接のお渡しを提案。
快諾いただき、無事お渡しできました。
今年最後の取引が気持ち良いやりとりで終われて感謝。
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□□□ もくじ □□□
心残りのお見送り
夫が実家に帰省しました。
帰省時は毎回見送りに行くけど、さすがに今年は空港まで行くのは憚られます。
なので、浜松町駅でサヨナラしました。
本当は仲良く笑顔でバイバイしたかったのですが・・・
昨夜の出来事(※後述)での気まずさやモヤモヤを切り替えきれず。
ろくに会話もしないまま、見送ることになりました。
これじゃ何のために見送りに行ったのか、わからない。
(下手なことを言うもんじゃありませんが)
必ずまた会える保証なんてなくて、根性の別れになる可能性もあるわけです。
こんな別れ方をして、後悔しました。
たった数日ではありますが、いつもいる夫がいないと寂しいです。
でも、2年ぶりの両親との時間も満喫してきてほしいから。
おとなしく待つしかありません。
ようやく「話そう」と思えた
先ほど書いた ”昨夜の出来事” とは、【子どもどうする問題】のことです。
「子どもが欲しい夫と、欲しくないわたし」
という、何とも難しいこの問題。
去年の年末から、結局きちんと話し合えないまま1年寝かせていました。
しかし、ついに昨夜、話をしたんです。
●【子どもどうする問題】については、こちらをどうぞ。
1年ずっと話をできなかったのは、やっぱり怖かったから。
わたしとしては、いい加減決着をつけてもうこの悩みから逃れたいと思う一方で、そのことで何かが変わってしまうのが怖かった。
はっきり「作らない」と決まれば、確かにわたしはスッキリするかもしれない。
でもそれはすなわち、夫の夢・希望が途絶えるということ。
そうなれば、夫の心が離れたり、最悪離婚を切り出されてしまうかもしれない。
夫が子どもとわたしを天秤にかけたとして。
わたしには自分が選択される自信がありませんでした。
見離され不安が強いんだろうな。
それに愛される自信も持てていないのかも。
でも、今年1年で話しづらい・怖いことも少しずつ話せるようになってきました。
ワクチンの件が最たる例。
親の離婚に対する気持ちもそうかな。
●【ワクチンの件】については、こちらをどうぞ。
だから、今なら話せるかなって。
別に一度決めたら変えちゃいけないわけじゃない。
それに、何か決めなくたって、「これからはもっと話していこうね」という方向でまずはいいんじゃないか。
そこで、自分の中の年内に終わらすタスクとして、対話の開始を設定。
きっかけが欲しかったので、夫へのクリスマスカードの最後に
「子どもの件、話そうね」と書いていました。
話さない方が良かったの?
夫は荷づくりなどしていて、話し始めたのは24時を回ってから。
寝たのはたぶん1時半過ぎだったと思います。
一緒に寝ましたが、わたしは2時半過ぎまで寝付けませんでした。
夫の言葉が引っかかって、しばらく涙が止まらず
「もしかして話さないままの方が良かったのかな」と思って。
わたしからは、上に貼った記事(276日目、288日目)のようなことを話しました。
もちろんその時点からは多少気持ちや考えのアップデートはあります。
言いたいことが10あったとしたら・・・
話せたのは3~4くらいかな。
夫から言われたのは
emustanyの意向(=欲しくない)が変わっていないなら、もうあまり話す意味はない。
去年も欲しくないと言っていて、俺としては一年かけて諦めたから、もういい。
emustanyの「欲しくない」という気持ちや考えを今から変えようとは思わない。
二人のこととしても、自分のこととしても、考え始める・話を始めるのが遅かったなと思う。(10年前ならいろいろ違ってただろうけど)
変化(例えば離婚して新しい人を探す)を起こす気はないし、現実的じゃないと思う。
過去の経験や環境から「欲しくない」と思うのは理解するけど、emustanyにそう思わせてしまった両親には腹が立つ。
最初の3点については、若干の抵抗や疑問がありました。
夫の言い方やわたしの受け取り方の問題もあると思いますが、なんだか ”受動的攻撃” に感じたんです。
そうすると申し訳なさを感じるとともに、
「本当に欲しいなら、なんでもっと一生懸命にならないの?」
「結局本気じゃないってことなんじゃないの?」
と思って怒りの感情も湧いてきます。
でもまぁ夫の性格からすると、そんなもんかもしれないなぁと話しているうちに思えてきました。
だからここまでは、そこまで悪くもなかったんです。(良くもないけど)
でも、最後に夫が言った言葉に胸をえぐられてしまいました。
ふたりでやっていくなら、自立した個人と個人という関係性でありたい。
「相手がいなくなったら困る」と寄りかかるんじゃなくて。
・・・書くと真っ当なこと言ってるだけに見えますね。
だからやっぱりわたしの受け取り方の問題はあるのかもしれません。
わたしには、何か線を引かれたような、壁ができたような感じがしました。
「あなたがいないと寂しい」
「あなたとたくさん一緒にいたい」
「あなたがいなくなったら(精神的に)やっていけない」
確かにそう伝えることはあります。
でもそれは、愛情表現というか、いかにわたしにとって夫が大事で大きな存在かを伝えたくて、です。
夫の言いっぷりからすると、わたしが依存している・自立していない、と言いたいのでしょうか。
そんなことないし、わたしが求めている関係性は違うと言いたかったけど、残念ながらうまく説明できませんでした。
子どもがいないからこそ、夫婦がお互いをもっと大事にしたり仲良くできる。
そんな風にわたしは思うし、そうしていきたいと考えていますが、夫の言葉はまるで逆に聞こえます。
子どもがいないことで、逆に親密さが下がる・関係性が薄まるような感じ。
布団に入ってからも、この言葉をずっと反芻してしまいました。
またいつもの極端な思考をしていると自覚できているのに、反芻は止まりません。
「この先どうなってしまうんだろう」
「もう仲良くできないのかな」
と悲しいやら不安やらで、しばらく寝られませんでした。
結局、起きてからも気持ちが暗い・重いまま。
「もう仲良くできないの?」
「二人の関係性は変わっちゃうの?」
と夫に聞いたら
「何も変わらないよ」
と言っていました。
・・・本当かな。
こんな気持ちになるなら話さなければ良かったなぁ。
ではまた。
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