こんにちは、emustanyです!
今日から仕事始めという方も多いと思いますが、夫は今日までお休み。
明日から仕事ということで気分が重めのようです。。。
新年早々、山村留学の時にお世話になった方の訃報が届きました。
学校教員を定年退職後に寮の指導員(先生)をされていたのですが、当時のわたし(寮にいたのは小5~中1の時)とはどうにも馬が合わず、よく怒られていた記憶があります。
90歳だったそうなので、大往生ですかね。
ご冥福をお祈りします。
ちなみに寮の先生はもう一人いて、奥さんは寮の調理員でした。
昨日の夕方電話が来て久しぶりに話をしました。
先生は88歳、奥さんは80歳ですが、お二人とも声に張りがあって安心しました。
すでにわたしは4人とも祖父母を亡くしています。
そういえばお正月に ”おじいちゃん おばあちゃん” と話すってこんな感じだったな、と懐かしくなりました。
「コロナ終わったら旦那さんと遊びにおいで」と言ってくれたけど、いつになるやら。。
早く会いに行って、子どもだった当時には理解できなかった/興味のなかった話をゆっくりしたいものです。
子のない人生ではダメなんだろうか
#ちょっと重い話題になりますが思い切って書きます。ご気分の良い時にお読みくださいね。
昨日の夜、夫に「今年は子づくりに励もうと思うんだ」と言われました。
今までこのブログの中では、子どもに関する話はしてきませんでした。
なぜなら、この話題はある意味パンドラの箱を開けるようなものだからです。
友人にも部分的にしか話したことがありません。
始めに言っておくと、我が家の夫婦仲は悪くない方だと思います。
手をつないだりハグをしたり、(夫が夜更かしせず同じ時間に寝る時は)ぴったりくっついて寝たりもします。
ただ、子どもに関することについてはずっと折り合いがついていません。
夫は子どもが欲しい人。
わたしは子どもが欲しくない人。
ずっとこの差を埋められずにいます。
結婚する前、子どもの話になったことがあります。
「子どもが欲しい」と言う夫に、「わたしは欲しくない、欲しいと思えない」と言いました。
フラれるんじゃないかと怖くなり、泣きじゃくりました。
結局その時は「ゆっくり決めていこう、話していこう」ということで終わりました。
結婚してしばらくすると、レスになりました。
求められることがなくなると「女として見れなくなったのかな」と傷つき、断られると「もう愛されていないのだ」と絶望しました。
ただ、この絶望の中には一抹の安堵があったことを告白します。
この状況なら子どものことは考えなくて済むからです。
子どもは持ちたくないけど、男女としての関係は続けたい。
これってワガママなのでしょうか。
レスになってしばらくは
「最後にしたのは●月だったから、もう●ヶ月間のレスだ」
というように常に意識していました。
この●ヶ月間という数字が積み重なることでさらに傷つきました。
世の『●ヶ月以上していなければレス』といった情報を見ては、
「それでも十分じゃん。うちはもっと長いよ。もう救いようがないの?」
とまた絶望しました。
「愛されない自分は価値がない」とずっと思っていました。
いつからかどうでも良くなりました。
最後にしたのがいつかもう分かりません。
カウントしなくなったからです。
・・・どうでも良くなったというのは本当は嘘です。
自分を苦しめ傷つけ絶望させることを考えないように、思考回路のスイッチを切っただけです。
最後がいつだったかは分からないけど、その時も夫は「子づくりをしたい」と言っていました。
「子づくり」という言葉。
これはわたしが大っ嫌いな言葉です。
子(妊娠)を目的に抱かれたくないのです。
目の前にいるわたしを見てほしい。
だって、そうでなければ目的を達成した時点でわたしはいらなくなるんでしょ?
わたしが子どもを持ちたくないと思ったのは大人になってからではありません。
ずっと昔からです。
女の子たちが将来の夢を聞かれて「お母さんになりたい」と言う時も、大学生とか20代の時に「(結婚したい、もし結婚できなくても)子どもが欲しい」と言う時も、全く共感できませんでした。
周りと同じように自分が子どもを欲しいと思わないのが何故だかわからず、どこか変なのだろうかとも思っていました。
『emustanyさんのところは子どもは・・・まだなのかな』と聞かれたり、『(結婚したら)子どもが欲しくなるのが自然』という意見を見聞きするのも苦しかった。
基本的にわたしは子どもが好きではありません。
ワーキャーとうるさいし、すぐ汚したり散らかすし、(特に日本においては)最優先しないといけない存在というのが、(言葉を選ばずに言うと)正直うっとおしいのです。
ただ、自分が子どもを嫌いなことと、子ども自身や子どもを持つ人の存在を否定することは違います。
子どもは授かりものというのは本当にそうだし、尊い存在だとも思います。
一生懸命子育てをしている人を尊敬するし、できれば応援したい。
甥っ子(兄の子)や姪っ子(夫の妹さんの子)もたまに会う分には可愛いし、成長を感じて感心したりもします。
でもそれと自分が子どもを持つことはまた別の話です。
産みたくない。
妊娠してる自分も母になってる自分も想像できない。
うまく育てられる気がしない。
産んで終わりじゃない。
20年かけて一人でも生きていけるよう育てないといけない。
自分は一生懸命育てても周りから影響を受けてしまう。
犯罪に巻き込まれたり殺されてしまうかもしれない。
子どもがいれば自由がなくなる。
常に子どもを優先しなきゃいけなくなる。
自分がイライラする存在を増やしたくない。
男より女の方が圧倒的に影響も負担も大きい。
世間からすればどうしたって育児は女がメイン。
子あり夫婦は子なし夫婦より仲が悪いとも聞く。
良い母になろうと自分を追い詰める気がする。
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なぜこんなにも子どもを持つことに後ろ向きなのか?
やはりここでも母の影響を考えないわけにはいかないでしょう。
もし母が「あなた(達)を産んでよかった」と常々言ってくれていたり、子どもがいる生活を楽しく幸せそうに過ごしていたなら、きっとわたしもポジティブなイメージが持てたのかなと思います。
しかし、わたしの記憶の中にいる母はそうではありませんでした。
さすがに「産まなきゃ良かった」と言われたことはありません。
でも、「あなた(達)がいなければもっと旅行に行けたのに」と言われたことはあります。
また大きくなってからよく聞かされるのは、父は仕事や飲み会などで家にいる時間が短く(時代ですね)、兄がけいれんを起こした時も一人で対応したとか、いかに子育てに苦労したかという話。
あえて第三者的に見れば、子どもがいなければ(幸せだったかはともかく)身体的にも精神的にも負担は少なかっただろうなと思うわけです。
それに、休職して自分のことを理解してきたからこそ、ますますポジティブになれないのも事実。
いかに母親の存在や親夫婦の関係性が子どもに影響を与えるか。
これは自分が想像するよりよっぽど大きいとわかりました。
良くも悪くも影響を与えてしまうと思うと怖くて仕方がないです。
母と同じにはなりたくない。
もちろん母とわたしは違うし、夫も父とは違う。
子どもはひとりで育てるわけじゃない。
だけど、自分だけじゃないからこそコントロールもしきれない。
産みたくない。
子どもは欲しくない。持ちたくない。
この考えは、学生の頃も、結婚前も、結婚して6年経った今も変わりません。
しかし、悩ましいのは夫の気持ちや希望と食い違っていることです。
わたしが自分の気持ちや意志を尊重すれば、それはすなわち夫が子どもを諦めるということになります。
大好きな夫の望みを叶えられない自分。
やっぱり夫を満たせない自分。
このこともまたわたしをひどく苦しくさせるのです。
ネットの相談掲示板などでは『夫が子どもを欲しがるが自分は欲しくない』ということに対し、「離婚した方がいい」「夫から離婚を切り出されても当然」という声を見かけます。
今回も難色を示したわたしも、ついに大好きな夫に見捨てられるのでは、と不安になります。
とは言え「夫のために産む」のは違うでしょう。
そんなんで産んだら、いつか夫のせいにしかねません。
やはり自ら望まずに、命は産み出してはいけないと思うのです。
二人で生きていく、ではダメなんでしょうか。
子どもを望まないのは、女として、人間として、妻として、ダメなんでしょうか。
こんな言い方をしたら違う誰かを傷つけるとは思うのですが、それでも思うのは、
「いっそ産めない身体なら良かったのに」
ということです。
身体的に難しいのであれば、夫だって納得してくれるでしょう。
・・・まぁ年齢的にはすでに危うくなってきているので、仮に強く望んだところで実際授かるかは分からないのですが。
正直今は休職中で、今まさに自分を育て直し始めたところなのに、子どものことを考えるなんてムリです。
子ども嫌いでも産んだら好きになったという話も聞くし、子育てすることで自分が成長する突破口になるという可能性もあるのは頭では分かりますけどね・・・。
夫によって(再び)開けられてしまったパンドラの箱。
落としどころもわからないまま、どちらかの心の痛みを伴って、今後話し合っていくことになりそうです。
*おわり*