こんにちは、emustanyです!
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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ブログを2日お休みしました。
2日連続書かない、というのは珍しい。
まぁ特に理由があってのことではありません。
プライムビデオでドラマ(「有村架純の撮休」と「G線上のあなたと私」)を見ていました。
ただそれだけのこと。
なのに、「何もしないダメなやつ」と自分で自分にバッテン判定。
罪の意識はまだまだ根深いです。
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シンプルに考えるには、まず分けること
今日は火曜日。
『思考の持つ力』をテーマとしたリワークの第3回でした。
#第1回、第2回の様子はこちらから。
今日は「考え方をシンプルに」ということで、
- 「変えられること」と「変えられないこと」について
- 「事実」「意見」「真実」について
という2点について、ペアワーク(意見交換)をしながら学んでいきました。
端的にまとめると、 1.も 2.も、それぞれを「分けて考えること」の大切さを説くものでした。
まず、1.「変えられること」と「変えられないこと」について です。
「変えられること」と「変えられないこと」と見ただけで、ピーンと来たり想像がつく方もいるでしょう。
わたしも、これを見てすぐ
【他人は変えられないけど、自分は変えられる】
【過去は変えられないが、現在(そして未来)は変えられる】
といった、自己啓発や心理学で言われがちな言葉を思い浮かべました。
これ・・・正しいとは思うんだけど、特に前者の方は、「だからお前が変わればいい」「うまくいかないのは変わらないお前が悪い」と言われている気がして、ちょっとしんどくなるんですよね。。
そんなこともペアワークの中で話をしたのですが、 その方が
自分の思考や行動、あとは環境は変えられるけど、性質的なものってなかなか変えるのが難しいなぁ、って思います。
と仰っていたのを聞いて、少し気が軽くなりました。
たぶんわたしは「自分は変えられる」という時の「自分」について、丸ごと変えないといけないような気がしていて、だから自分を否定されているような感覚がするんじゃないのかなと。
でも「自分」というものをもう少し解像度を上げて分解すると、思考・行動・環境・性質・・・といろいろあって、その中のどれを変えるかと考えればいいんですよね。
単純なことですが、ちょっと目から鱗な感じでした。
他のペアグループからも同様に「性質」や「性格」は変えられない・変えにくい、という意見が出ました。
性質、あるいは性格というものは全く変えられないかと言うと、変えようと思えば変えられる。
ただ、それには覚悟も必要だし、相応の労力もかかる。
であるならば、考え方や行動を変えてしまう方が早いし、変えやすいのでは?
「変えられないもの」を何とか変えようと頑張るのではなく、「変えられるもの」にフォーカスをして、それに対して思考力を使おう。
それが講師(カウンセラー)からの提案でした。
ちなみに性格を変えられないのは、「変えない努力」をしている可能性もあるとのことでした。
性格を変えることに対し、「周りにどう思われるか分からない」「反応が怖い」「恥ずかしい」「失敗したらどうしよう」などの気持ちがあると、変えないようにしてしまう。
アドラー心理学の目的論から来るものでしょうね。
つづいて、2.「事実」「意見」「真実」について 。
わたしたちが普段何気なく見聞きしているニュースやSNS・ネットの情報、職場での同僚とのやりとり、近所でのうわさ話など・・・
それが「事実」なのか、あるいは「意見」なのか、案外わたしたちはごちゃ混ぜにして考えています。
昨今ではフェイクニュースも増えていると言いますし、一連のコロナ騒動に関しても、一体何が正しいやら、何を信じたらいいやら、(1年経っても相変わらず)混乱が続いていますね。
そんな中にあって、「事実」と「意見」を見極める重要性が今後ますます高まることは、皆さんも想像がつくでしょう。
「事実」とは、真偽を証明できること。
すなわち、確かめる方法があるということです。
また、誰が見ても同じ、というのも「事実」の特徴です。
客観的とも言えるでしょう。
対して「意見」とは、真偽を証明できないこと。
主観的であり、他人にはそうでも自分にとっては違う、ということもあります。
専門家や有名人や権威が言っていると、ついつい事実だと思ってしまうのはわたしだけではないでしょう。
〇〇大学の教授とか、本を出しているとか、何かの会長・代表だったりすると、何だかそれだけで「正しい」ように思ってしまうこと、ありませんか?
事実のように聞こえるけど実は意見ということもありますし、専門家だからって正しいとは限りません。
もっと言うと、今は正しいとされている事実が、5年後・10年後も正しいかは分からないのです。
大切なのは、鵜呑みにしないこと、良い意味で疑うことです。
全てに対して疑心暗鬼になれ、というのではなく、「正しいかもしれないし、違うかもしれない」と捉える ”心の余地” を残しておくと良いようですね。
ある出来事や発言や記述に面した時、それが事実なのか意見なのかを見極める上で役に立つ考えとして「CRAP」というものの紹介もありました。
【C】その情報は最新(Current)なのか?
【R】その情報は信頼できる(Reliable)か?
【A】その情報は信頼できる情報源(Authoritative source)から共有されているか?
【P】その情報の目的(Porpose)は何か?
また、「事実」と似た言葉に「真実」があります。
「真実」とは、客観的で誰が見ても同じ「事実」と、事実に対する主観的な意見・見解・解釈・意味づけを包含したもの。
前回の例で言うと、LINEのやりとりで【AさんのメッセージをBさんが既読後メッセージを送らなかった(既読スルーした)】というのは事実ですが、
- Aさんは「既読スルー=嫌いだからするもの」という解釈・意味づけをしており、「Bさんは私を嫌い」というのがAさんにとっての真実。
- Bさんには「既読スルー=嫌いだからするもの」という解釈・意味づけはない(既読スルーという概念がないかもしれないし、緊急・重要以外のメッセージは後回ししてOKと考えているかもしれない)で、Aさんを嫌ってなどいないというのがBさんにとっての真実。
この時、真実というのはお互いの中にしかありません。
同じ出来事(事実)であっても、人それぞれが持つ真実は違うのです。
真実を知りたければ当人に確認する以外にはないのですね。
だけど現実には結構自分の中の真実でもって、感情を揺さぶられてしまったり、相手のことを判断したり、行動を起こしてしまったりするのですね。
・・・ああ、耳が痛い。(;´Д`)
こうした考えに触れていくと、自分の見ている(認識している)世界って一体何なんだろう?って思ったりします。
ともすれば、何が正しいか・何を信じたらいいか、自分の感覚ですら疑わしい。(*_*)
裏を返せば「絶対的な正解」なんて、そんなものはやっぱりなくて、追い求めるだけ無駄ってことでしょう。
だから、「適当に」受け流すなり、余地を残して判断して軌道修正したり、事実は何?と見極める堅実さとともに軽やかさも必要そう。
今日のテーマは結構シンプルなものでしたが、特に「情報の渦」で溺れがちな自分には、いろいろと考えさせられるものとなりました。
自分と他人、事実と真実、こうしたものをごちゃ混ぜにしたまま ”丸ごと” ダメとか正しいとか判断したりせず、とにかく「分けて考えること」こそ遠回りなようでシンプルに考えるためには肝要なのでしょうね。
*おわり*
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次回更新でまたお会いできますように!(*´ω`*)エヘヘ
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