今日から9月。2020年も気づけば残り1/3。
何だか本当早すぎてついていけないemustanyです。
昨日の長文をお読みいただいた方、本当にお疲れ様でした。
懲りずに今日も、後半戦であるカウンセリングについて書いていきたいと思います。
#長くても前編を読みたい!という ドM気質の 方はこちらへ。。
午後の部:カウンセリングの巻
さて、8/22と8/29の2週にわたって、それぞれ午前にリワークに参加した内容も交えつつだったカウンセリング。
2回のカウンセリングで話題としたのはだいたいこんなことでした。
- 親のせいにしている気がして心苦しい、罪悪感がある。
- 「わたしはわたし、お母さんはお母さん」で涙が出た。
- 兄の影響も強いのかなと思った。
- 夫について:
・「認めてほしい」「感謝してほしい」という気持ちが強い。
・「大事にされてない」と感じることがある。
・うまくいかないと両親のようになるのではという恐れがある。 - 「好かれようとしなくていい、喜ばせようとしなくていい、認められようとしなくていい」というのが抵抗がある。
1と5については、昨日の記事前半に書いた内容です。
2については以前書いたこちらの通り。
それから3については、127日目の記事で書いた内容+昨日の記事で書いた第3回のリワークでの話がそれにあたります。
4の夫のことについては、これまでカウンセラーにあまり話していなかったのもあって話題にしてみました。
内容的にはブログでは何度となく同じようなこと書いているものです。
#直近ではこれ。
「大事にされてない」に関しては、ここ数週間ほど夫は仕事が立て込んでいることもあって、 最近ちょいちょいありまして。
仕事と家庭が同じ空間に入ってしまう在宅勤務だと、うまくモードを切り替えられないまま夕飯となることもあって、会話が弾まず何だか寂しいとか。
佐原に行った日も、せっかく出かけてるのに夫は仕事用の携帯持参で、カフェでもメール返すのに一生懸命で、悲しかったとか。
そんなことを話してみました。
ここからは、カウンセラーからのフィードバックについて主要なものだけ抜粋して書いてみようと思います。
#うあぁゎぁぁあぁ長い。。
親のせいにしてる?でも子どもは悪くないよ
- 親がうまくできなかった事情はいろいろあるかもしれない。しかしそれは親側の事情であって、子ども側には関係ないこと。
子どもには何ら責任もないし、どうしようもないこと。子どもはどうしたら認めてもらえるか、愛してもらえるか、小さな頭で必死に考えてやってきただけ。 - 子どもにとっては今ある環境がすべて。
大人との関わり合い方で価値観や人に対する見方、自分の能力に対する考えも決まってしまうし、大人からの愛情が受け取れなければ子どもは何しても無駄だな、信頼できないな、愛してもらえないなって思ってしまうもの。
これを受けて、わたしからはこんなことも伝えました。
- 人の親になるって本当に難しい、すごいことだなと思う。親としての影響が大きくて怖いし、すごく責任が重いように感じる。
もともと自分はあまり子を持ちたいと思ってこなかったタイプだけど、その考えにますます拍車がかかった。
これに対してカウンセラーから言われたのは、
- 少し極端な考え方をしているかも。そうやって極端に考えてしまう癖があるかもしれないね。
- 周りでお子さんがよく育ってるなと思う家庭は、その方の親も安定しているし穏やかなことが多い。なので親による影響があるのは事実。
でも、たとえそういう穏やかでない家で育ってきたとしても、こうすればいいって分かってさえいれば、大丈夫。気負いすぎないで。
この対話を通じて、親を悪者にしているような罪悪感については少し和らいだ気もします。
まぁきっと事あるごとに頭をもたげてくるんでしょうけど。
すごく家族を求めているし離したくないんだね
- 他の人には嫌われてもいいけど、家族には認められたいし喜ばせたい。
どうして喜ばせたいのかな、どうして認められたいのかな、ってことを整理していきましょう。 - 家族に嫌われたらどうなるのかな。捨てられちゃう?
でも家族って少々言い合っても違う意見言っても、嫌いにはならないよね。まして離婚になるのはよっぽどのこと。だけど、幼い〇〇ちゃん(わたし)はきっとケンカは怖いし見捨てられちゃう気がしたんだろうね。 - 自分の大切な人を信じたいけど、どこか信じきれないでいるんだろうね。
小さい〇〇ちゃんが「離れてっちゃうかも」「怖いよ怖いよ」って言ってるのかもしれない。大人の〇〇さんがなだめてあげよう。 - もしかしたら自分で嫌われちゃう・捨てられちゃうってストーリーを作り上げてるところもあるかもしれないよ。
(認知行動療法でいうところの)「自動思考」とか考え方の癖かもしれないね。
きっといつも怒りを我慢してるんだね
- 家族に対して「気づいてほしい」「労ってほしい」って期待があるけど、言えないで「察して察して」になっちゃうから、我慢が大きくなって怒りも大きくなっちゃうのかな。
- 怒りは小出しにした方がいい。小さいうちに出す。
大きくなるまで我慢しちゃうからこそ「これを言ったらおしまいだ」って考えて、それがストッパーになってるんじゃないかな。 - 夫に対してイライラするのは、「わたしが信じる人はこうでなくちゃ」という期待が大きいからかも。
家事に関しては、「こうしてもらえたら嬉しいんだけどな」って提案式にしてみるとか言い方を変えるのも手だし、「察して」ではなく嫌味じゃない・アサーティブな言い方でちゃんと伝える。
完璧主義を相手にも求めてしまうんだね
- 幼い〇〇ちゃんは「完璧であること」を決心したんだと思う。
だから大人になっても、小さい〇〇ちゃんが「それじゃダメ」って許さないんじゃないかな。
大きくなった〇〇さんが「完璧じゃなくても間違ってもいいんだよ」「そんなことしなくても愛してもらえるよ」って言ってあげるといいね。 -
自分の求めるレベルが高すぎるというのは重々理解してそうなので、そのレベルを下げることを考えていくといきましょう。
求めるレベルが高いのは何でなのかな?お母さんの影響?
レベル感は人によって本当に違う。自分と同じにはできない・ならないから、違うんだってことを受け容れられるようになると少し楽になるかな。
親に言いたくても言えなかったことがあるんだろうね
- ケンカして機嫌の悪い両親に寄ってってご機嫌取りして・・・そんなことを子どもにさせてたって思ったら親だって悲しいと思う。
- 本当はきっと、「悲しいよ」「つらいよ」「やめてよ」「怖いよ」って、〇〇ちゃんはいろいろ言いたかったんじゃないかな。
「~に越したことはないけれど」と変換しよう
- 好かれる「に越したことはないけれど」、認められる「に越したことはないけれど」、でもそうでなくても大丈夫。
考えない、評価しない、書いて外在化する
- 「頭では分かってる、けど感情がついてこない」
なんでついてこないのかな?どんな考えが浮かぶんだろう?
どうしてそう考えるの?それってリーズナブルな考え方、それとも極端?
頭で考えるんじゃなく、書き出して外在化してみよう。 - どんな状況で、どんな自動思考があって、どんな感情がどの程度のレベルで起こって、というのを見ていく。そしてその根っこにある信念とか価値観(~ねばならないとか)を把握する。
そうすると何か起こった時、「あぁこれは生育歴から来てたよね」「これは思考グセだったよね」と確認できる。そしたらそれを都度訂正すればいい。 - 「今こう感じているのはあのせいだな」「あのクセででこう考えてるんだな~」って理解して、認めて、ジャッジはしない。考え始めると深みにはまるだけなので置いておく。
その繰り返し。
・・・大変お疲れ様でございました。
実は上に書いたのは、直近の8/29の時のもので、8/22の内容は含まれていません。
まぁでも2回とも似たようなこと話したりもしているし、内容的にも8/29の方が濃かった気がするので、いったんはこんな感じで。
今まで自分の頭で過去を紐解いてこうかなって理解してきたことが、カウンセラーと話して解釈だとか提案だとかをもらうことでさらに理解が深まった感じはしています。
こうした「自己理解」というのは、面白いと言うと少し語弊があるかもしれませんが、やって損はないなと思います。
少なくとも30年超生きてきて、一つのたな卸しのタイミングなのでしょう。
問題はここから。
いかに実生活の中で、理解してきた内容を踏まえながら同じ轍を踏まないように改善していけるか。
次からはその、いわゆる「実践」についてをテーマに話していくことになるのかなと思います。
*おわり*