そろそろ夏の疲れが来ているのでしょうか。あるいは昨日の電車長旅のせい?
こんばんは、熱はないけど気だるいemustanyです。
#電車旅の話もしたいのだけど、今日はリワーク&カウンセリングの話を書くとお約束(?)してしまったので、心を鬼にして(大袈裟)そちらはまた後日書くことにします。
さて、8/22・8/29と2週連続でリワーク&カウンセリング二本立てをこなしてきたので、今日はそのご報告を。
すでに若干記憶が飛び始めており(苦笑)、ざっくりとポイント絞って書いていくつもり。
しかし!
何せ本来だったら4記事分となるような内容量のため、如何せん長いです!
自分自身の記録として書いているところもあるので恐縮ですが、もしお時間とご興味あればお付き合いくださいね。
#忙しいよ!興味ないよ!って方は回れ右で。(苦笑)
午前の部:リワークの巻
まずリワークですが、29日で全4回の講座が終了しました。
#1回目、2回目についてはこちらから。
親・子・きょうだいの関係からうつ脱出のヒントを探る、といったテーマのプログラムだったのですが、後半2回の内容は
- 第3回: 親・きょうだいとのかかわりから自分の考え方の癖や習慣に気づく
- 第4回: 親・きょうだいと心の距離をとる方法を学ぶ
といった感じでした。
第3回:感情の追体験がしんどい
第3回では、過去を振り返って『親・きょうだいからされて学習したこと』について思い出すというワークをしました。
《どんな状況で、どんな行動をし、どんな感情・反応があって、どう影響しているのか》について書き出していくのですが、これが案外しんどくて。
これまで自分なりに自己理解を進めてきた中でもいくつか思い起こす過去のシーンがあったので、それをベースに書きました。
ちょっと長いけど、こんな感じで。
- 4人家族で3組しか揃ってない食器を使う時、母が率先して代替の仲間外れの食器を選んでいた。母は「仲間外れの方がいいの」と言っていた。
わたしは「お母さんとはいつも一緒になれない」と寂しい気持ち。仲間外れじゃないと母に認めてもらえない気がする。
次第に自分も仲間外れを選んだり、あえて違う立場を取ったりするようになる。「皆と同じ」は価値が低いと考えるように。
- 両親がケンカしており、激しい口論の後どちらかが場を離れて冷戦状態になるが、物に当たる状態(ドアをバタンと閉める、ドシドシと足音を鳴らして歩く、音を立てて物を置く、など)が続く。わたしは両親が離れてから両方のもとに行って、違う話をしたりしてご機嫌取り(ご機嫌伺い)をしていた。
大声や物音が怖い。ケンカしないで仲良くしてほしい。悲しい。いつか刺し違えるんじゃないかと不安な気持ち。
わたしが間に入らないとどうなるか分からない。人の空気が不穏になるのに敏感。激しい口論以外のケンカの仕方が分からない。言い合うケンカはできないが、物に当たることはしてしまう。 - テストでいい点をとったり通信簿がオール5でも、母はあまり関心がない。プレゼントをあげても「ありがとう」「嬉しい」より先に「ここが好きじゃない、ここがいまいち」みたいなことを言う。
どうしたら母が喜ぶのかが分からず、困惑・やるせない・情けない気持ち。
母を喜ばせたい。喜ばせなければならない。でもわたしは母を喜ばせられない。 - 兄(6歳上・理系)が数学を教えてくれる。たまに母もいて、兄と一緒に教えてくる。
兄が説明すればするほど難しく感じ、冷静でドライな物言いの兄に教わるのが苦しくなって「もういい」と投げ出してしまう。
どうせわたしはお兄ちゃんには勝てない・敵わないという悔しくて苦しい気持ち。母は兄を認めているのに、という劣等感。
仕事でも兄みたいなタイプが苦手。兄が得意とするようなフィールドには立ちたくない/逃げたい。
案外しんどかった理由は、この《どんな感情で》の部分だったのかなと思います。
当時の場面を思い出すだけでなく、感情まで思い出すことで追体験のようになったからなのかなと。
この後、親・きょうだいとの関係から習慣になっている考え方・否定的な思い込みなど、今の自分にどんな影響があるかを改めて考えました。
そして最後に今後どのクセを相続/放棄するかを書いたのですが、正直いずれもスパッと放棄できそうになく、なんだかモヤモヤして終わったのでした。。
第4回:離れればいいってもんでもない
リワーク最終回は、『自分が笑顔でいられるための居心地のよい距離を見つけよう』ということで進めていきました。
端的にまとめると、「付き合い方(コミュニケーション)を変える」のが主旨。
具体策としては、会わない・連絡しないなど物理的な距離を取ったり、友人や仕事上の付き合いのように挨拶や話し方を変えたりして心理的な距離を取るという方法が提案されました。
この提案、もちろん「そうだよなぁ」と理解はできてやってみようかなという気もあるにはあるんですが、どうーーもやんわりと抵抗を感じるような・・・・・
何だろうと思っていたら、最後に
「好かれようとしなくていい」
「喜ばせようとしなくていい」
「認められようとしなくていい」
という言葉が出てきて、まさしくこれがわたしの一番手放しづらい(手放したくない、執着している)部分だ!とドキッとしました。
うまく言えないのですが、わたしは「喜ばせたい」「認められたい」という気持ちがすごく強くて、「嫌だから距離を取る」のは何だかしっくりこないんです。
むしろもっと距離を縮めたいと望んでいて、(嫌な言い方だけど)すり寄って行ってるというか。
もしこの「喜ばせたい」「認められたい」といった気持ちを手放してしまったら、家族が壊れてしまうような、バラバラになってなくなってしまうような感覚があるんですね。
このモヤモヤ感をリワークの中で共有してみたら、
「手放してもいい、放棄してもいいと知っている・分かっていることが重要で、実際にそうするかどうかは別でいいんですよ」
と言われました。
なるほど。
第3回、第4回共通して抱えている思い
とまぁ、リワークの内容はこんな感じだったんですけれども。
過去を振り返っていくことで、幼き自分が処世術として身に着けてきた価値観や習慣などがかなり理解できてきました。
その一方で、最近抱えている思いがあります。
それは「親のせいにしているだけではないか」という罪悪感。
これについては少し前にも書きました。
理解が進めば進むほど、
「本当にそうなの?」「親のせいにしてるけど、わたしが悪いんじゃないの?」
という疑問や戸惑いが強まるばかり。
なので、ここに関してはカウンセリングで話してみることにしました。
・・・と、ここまで書いてきて、いよいよ次はカウンセリングについてだ、と少し書き始めたのですが、やっぱり長い、長すぎる!
今でも十分長いので、やっぱりいったんリワークについてのみで区切ろうと思います。^^;
#書く自分も大変だし、読んでいただく方もつらいだろうし、後から自分で読み返してもしんどくなりそうなので。。
最後に余談ですが、このリワーク&カウンセリングの日はさすがにちょっと疲れを感じました。
自分の過去を振り返るだけとは言え、少なからずネガティブな記憶や感情を呼び起こすので、人によってはかなり応えるようですね。
わたしはネグレクトやDVを受けたわけでもないですし、今みたいな状況になるまでは特に自分の家族や生育環境に何か難があるなんて全く思っていませんでした。
それでもダメージがあるということは、もっと大変な環境で過ごしてきた人にとってはかなりハードなはず。
だからこそリワークやカウンセリングなど、「人と一緒にやる」「話しながらやる」といったことが重要なのかなと思いました。
ということで、続き(カウンセリング)はまた別のタイミングで。
乞うご期待、という感じかはわからないけれど。。
いつもお読みいただいている方には感謝していますが、今回は特に、こんなに長いものを最後までお読みいただき、有難うございました。
*おわり*