今の家に住んで丸6年を迎えます。
こんばんは、emustanyです。
ちなみに入籍日はもう少しだけ先です。
引っ越してきたばかりの頃はリビングのライトがなくて、キッチンの蛍光灯しかなかったのを思い出します。
婚姻届を書いていたらドーーンって近くの花火大会の音が聞こえて、ふたりで廊下に見に行ったのが懐かしい。。
どうやらわたしは「〇〇上手」だった
こちらの本を読みまして。
はてブで読者登録しているカウンセラーの方々の中に
『根本裕幸のお弟子』『根本裕幸氏に師事』
といった文字を見かけることが多く、「根本裕幸って一体何者!?」と常々思っていました。
調べてみたら、3ヶ月先まで予約の取れない心理カウンセラー であり、著書もいくつかある様子。
その中には、わたしも読書管理アプリ「ビブリア」で《読みたい本》に登録してある本もありました。
はい、大変失礼ながら(たぶんその界隈では超有名な方とは思うのですが)今まで存じ上げませんでした。。。
で、さっそく本屋でいくつか試し読みし、一番読みたくなったものをKindleで購入しました。
『はじめに』の1文目、本の冒頭の冒頭から胸が締め付けられるような、「あぁこれは自分のことだ」という感覚がありました。
※ちょっと長いですが引用します。
「仕事が忙しくても人から頼られたら断れない」
「誰もやりたがらないことでも、自分で穴埋めすればいい」
「家族のためを思って、早起きして家事をこなそう」
なんと素晴らしい心がけでしょう。
とてもやさしくて、気配りができる人にしかできないことです。
こんな人はきっと、周りからも大事にされていることでしょう。
……ところが、このような、誰よりも早く人の気持ちやぎくしゃくした空気を察してしまう「お察し力」の高い人の心は、とても疲れています。
「人の仕事を手伝ってばかりで、どんどん自分の仕事が溜まっていく」
「自分ばかりいつもそんな役が回ってくる気がする」
「家族から、一度だって感謝されたことがないような…」
この本を手に取ってくださったあなたも、一度はこうした思いを抱いたことがあるはず。あなたもまた、「お察し力」の高い可能性が大いにあります。
「お察し力」の高い人は、察する・気づくだけでなく、その場の空気をうまくまとめるために行動もできます。さらに、口出しをして事態がこじれると思えば、言いたいことがあってもそれを胸の内に収めておけます。
相手の行動を先読みしてサポートできるので、周囲の人は常に心地よくいられます。
こうした「お察し上手」な人たちは、おそらくこれまで周囲のためにしてきた「下支え」を、声を大にして主張もせずに毎日を過ごしてきたことでしょう。
しかし、実は「お察し力」の高さが、あなた自身が苦しめることにもなっているのです。
出典元:『人のために頑張りすぎて疲れた時に読む本』(根本裕幸、大和書房、2018/11/20)はじめに
もうね・・・
これ読んだ時点で、すでに少し泣きそうなんですよ。
「お察し上手」の人は、人間関係を先読みして、順序よく考えていくクセがついています。
「自分がこうしたら、相手はこう言うだろう。だから、次はこういう風にして、相手もこうするから、それで自分はこうする」……みたいに相手の言動を将棋の対局のようにずっと先の手まで読んでいるのです。
出典元:『人のために頑張りすぎて疲れた時に読む本』(根本裕幸、大和書房、2018/11/20) 「察しすぎ」が人間関係を困らせる(第1章)
という説明なんか、まさにわたしです!という感じ。
で、考えて考えて、グルグルなって、結局頭真っ白というか思考停止になっちゃうんですけど。
この後は
- 第1章 「私ばっかり損してる!」のは、「お察し力」のせい
- 第2章 「他人第一」をやめて、自分をすり減らさらない
- 第3章 人のために頑張りすぎない「自分軸」構築ワーク
- 第4章 自分の気持ちを優先できる伝え方
- 第5章 「いま、とっても幸せ!」と気づく
と続いていくのですが、ほぼどのページにもハイライト(マーカー、アンダーライン)をつけました。
どこを読んでいても、「ここ重要!テストに出る!」というくらい覚えておきたいことばかりなんです。
そして読めば読むほど、わたしはこの本で言う「お察し上手」なタイプの人間なのだと確信していきました。
全わたしが涙した
昨晩、寝る前に布団で
- 第3章 人のために頑張りすぎない「自分軸」構築ワーク
を読んでいました。
常に人の気持ちや考えや行動を気にしてしまう「他人軸」の「お察し上手」。
結局それは他人に振り回されている状態。
これを「自分軸」、つまり「自分はどうなのか、自分はどうしたい・どうするのか」と主体的に行動を選べるようにしていくためのワークを提案してくれる章です。
このワークの1つめがすごかった。
よく「私は私、人は人」という言葉を聞きますよね。
実は、これを少し応用するだけで、「他人軸」から「自分軸」になる第一歩を踏み出せます。
「人は人」という言葉に、あなたが振り回されてしまっていると思う相手の名前を入れてみるのです。
「私は私、A部長はA部長」
「私は私、BさんはBさん」
「私は私、お母さんはお母さん」
「私は私、彼は彼」
出典元:『人のために頑張りすぎて疲れた時に読む本』(根本裕幸、大和書房、2018/11/20) 「人は人」に苦手な人の名前を入れる(第3章)
ここの
「私は私、お母さんはお母さん」
という部分を読んだ瞬間、
ポロポロポロッと涙が出てきました。
あまりに急なことで自分でちょっとびっくり。
試しに「私は私、お父さんはお父さん」でもやってみたら、こっちもやっぱりちょっとウルッと来る。
でも「私は私、お兄ちゃんはお兄ちゃん」「私は私、〇〇くん(夫)は〇〇くん」は、そこまででもなかった。
これは非常に興味深かったです。
「人は人」と言うよりも、より意識的に、相手との間に線を引くことができるようになります。
もし、この言葉を発することで寂しいような、申し訳ないような気がするとしたら、あなたはその人との距離が近すぎる証拠。「他人軸」になりやすい状態ですので、むしろそう感じなくなるまで続けてください。
出典元:『人のために頑張りすぎて疲れた時に読む本』(根本裕幸、大和書房、2018/11/20) 「人は人」に苦手な人の名前を入れる(第3章)
わたしの唐突な涙はまさしく
「この言葉を発することで寂しいような、申し訳ないような気がする」
ということだったんだと思います。
続く「相手との癒着をはがす」というパートにこんなことが書いてあります。
「癒着」というのはお互いの距離が近すぎて、相手のことを自分のことのように感じてしまう状態を言います。
相手に起こった出来事は、「自分軸」が確立されていれば影響を受けませんが、「他人軸」になっている場合、まるで自分に起こった出来事のように感じられて精神的に強い影響を受けてしまうのです。
出典元:『人のために頑張りすぎて疲れた時に読む本』(根本裕幸、大和書房、2018/11/20) 相手との癒着をはがす(第3章)
わたしにとって、母との関係は恐らくこの「癒着」に近いんだなと思いました。
父についても、彼の心境を慮って心苦しくなったり涙が出ることもあることからすると、母ほどではないにしても少なからずその傾向があるのかもしれません。
お察し上手・他人軸なわたし
本全体は先ほど読み終わりました。
が、如何せん「ここ重要!テストに出る!」が多すぎて、全然消化しきれていない感がすごいです。
ハイライト以外に、大事なところ(後で落ち着いてやりたいワークとか)にはブックマークもつけましたが、紙の本の方がこういう時は見返しやすいですね。
何度も読みたくなりそうだし、買ってもいいけどなぁ・・・。
今朝の朝散歩中は、(ラジオも聴きながら)
「私は私、お母さんはお母さん」
と(小声または脳内で)言いながら歩きました。
さすがに涙はもう出ないですがザワザワする感じはあるので、しばらく続けてみようと思います。
他にも実践したいワークはあったのですが、一度に全部やろうとすると取っ散らかるので、まずは「私は私~」を習慣づけてからですかね。
だいぶ見えてきたかなぁ。
すっごく簡単に言うと
- 育った環境の影響で完璧主義や他人軸になった
(不仲な両親、褒めてくれない+「他人と違う方がいい」という価値観の母、
↓ - 両親の離婚話で精神的に影響を受ける
(癒着に近い心理的距離のため、父・母双方が自分事になってツラい)
↓ - 仕事ではお察し力で疲弊
(お願い・頼み・甘えができず自分を優先することもできず破綻)
みたいな感じなのかな。
明日は診察日。
そして土曜日はカウンセリングとリワーク(3回目)。
このあたりをさらにクリアにしていけたら一歩進みそうだな。
*おわり*