今日はアイスを食べなかったemustanyです。
こんばんは。
もともと大好きなスイカバーに加えて、今年はアイスの実の和梨味にもハマっていますが、何の気なしに食べたらその後手に入らなくなっちゃった!という事態はなんとしても避けたい。
なので、「ローリングストック」もしくは「1 in 1 out」の方式で、冷凍庫には常にどちらも1個以上入っている状態にしております。
今日は夕方出掛けたついでにちゃんと(?)スイカバーを補充しました。
これで明日食べちゃっても安心です。
明日は東京都知事選!
さて、本日は夫婦揃って期日前投票に行ってきました。
混んでたら嫌だなーと思いながら行きましたが、幸いその場にいたのはせいぜい10人程度でスムーズに投票を追えました。
わたしたちの前にいた若いメンズが「こういうとこ来たの初めてなんだけどー」と言っていて、どうやら事前に投票所入場整理券の裏面に記入をしていなかったらしく、早速列を外れて記入をしていました。
初めての選挙なのかな。ちゃんと投票に来てえらいえらい。
思えば選挙権を得てから十数年経ちますが、おそらく投票しなかったということは一度もなかったと思います。
小さい頃から両親がきちんと選挙に行くのを見てきたせいか、投票に行かないという選択肢など考えたこともありませんでしたが、選挙のたび投票率を見ていると決してそれが「普通(あるいは当然)」なことではないんだなぁと気づかされます。
「どうせ誰に投票しても一緒」
「自分の一票なんてあってもなくても変わらない」
確かにわたしもそう思うことはあるし、自分の”推し”候補が下馬評とずれていたり、対立候補に組織票が見込まれると、「意味あるのかなー」と悶々とします。
でもみんながみんなそんなこと言って権利を放棄してしまったら、なんのための選挙かわからないですもんね。
選挙に行く・行かないって、先ほど書いた通り、ある意味親の教育による気がします。
親が政治に無関心だったり選挙に行く習慣がなければ、やり方もわからないだろうし「面倒だから行かなくてもいいや」となりそう。
そういう意味では親に感謝、ですかね。
今回の都知事選の争点は、否が応でも新型コロナ関連。
しかしそのほかにもオリンピック、福祉、災害対策、消費税、外国人参政権、教育・・・等々、検討すべき点はたくさんあります。
7つのゼロを公約としていた小池都政に都民はどのような評価をつけるのか。
また、世界も凄まじい勢いで激動している中、次の4年、そしてその先の東京ひいては日本をどのようにしていきたいのか。
わたしが誰に投票したのかをここで書くつもりはありませんが、正直かなり悩みました。
気になる候補が3人いて、その公約やビジョンがそれぞれ一長一短で、むしろ全員でやってくれと言いたくなるくらい。
投票を終えた今も、「あの人で本当によかったんだろうか」とぐずぐず思っています。
たぶん『正解』があると思ってしまうからなんでしょうね。
明日どのような結果になるのか、楽しみなような不安なような複雑な気分です。
もう3ヶ月経ったのか
緊急事態宣言直前の4月4日に心療内科を受診し、「自律神経失調症のため3ヶ月間の加療が必要」という診断書を受け取ってから、丸3ヶ月が経ちました。
このブログもちょうどその日からスタートさせ、ゆるゆると更新してきました。
休職の旨を課長に伝えて診断書を産業医に送付した時、なんとなくホッとしたのを覚えています。
その一方で、わたしの頭の中ではいつもこんな考えが渦巻いていました。
「ついに休むことにしてしまったが本当にこれでよかったのか」
「自分は本当に休むような(休むに値する)状態だったのだろうか」
「身体症状が出てることで正当化してるけど単なる甘えや逃げだったんじゃないか」
「急に休むなんて周りに迷惑をかけてしまって申し訳ない」
「世の中にはもっと辛い状況の人や休めない人もいるのに自分はずるい」
休んでからしばらくは、何をしていても「これでいいのだろうか?」ばかりでした。
いつ起きて、いつ寝て、どこで何をして1日を過ごすか。
本当は「何をしてもいい」「好きにしていい」はずなのに、常に「正解」「義務」「あるべき姿」を追い求めていたように思います。
「こうしなきゃ」「あれはだめ」「こうすべき」が少しずつ弱くなって、「これでもいいか」と思えるようになってきたのは、つい最近のこと。
嬉しい・悲しい・むかつくなど感情が動いた時になぜそう感じるのかを深堀ってみたり、親との関係性やどんな家庭で育ったのかを振り返ったりしてきたことで、だんだんと自分の”思考グセ”が見えてきました。
この思考グセを踏まえながら過ごしていると、逆の見方をしたり他の人ならどうかと客観的になることができ、ようやく「これでもいいか」と自分を落ち着かせることができるようです。
とは言っても、まだまだ思考でもって無理やり違う方向を向かせている状態なので、感情が昂ることもあれば、やっぱり「ねばならぬ」「べき」思考に引っ張られてしまうこともしばしば。
ここからはある程度訓練するしかないのでしょう。
アインシュタイン先生に言わせれば「3年かかる」ということですが、いつか自然と「これでもいい」と思うことができて、さらにその先には「これがいい」「こうしたい」「こうじゃなくてもいい」とありのままの自分を認め・受け容れられるようになりたいものです。
・・・ちょっと抽象的でしたかね。苦笑
ともあれ、昨日はクリニック受診日。
前回受診(6/13)で9月末まで休職延長することになってからは少し日が空いてしまいました。
恒例の「最近どう?」的な会話の後、復帰を意識して今後どうしていくか少し話しました。
確かわたしが「今のままの過ごし方でいていいだろうかと思っている」と言ったのがきっかけだったかと思います。
この話については少し長めになりそうなので、明日改めて書こうかなと思います。
#少し書いてみたら頭がぐちゃぐちゃし始めて収拾がつかなくなってしまいました。。
しかしまぁ、過ぎてみればあっという間の3ヶ月でした。
休職が決まった直後は「しかし毎日何して過ごそう・・・」などと思っていましたが、仕事をしないからといって決してヒマにはならないんですよね。。
独身だったらまた違ったんだろうと思うのですが、夫婦で生活していれば毎日何かしらやることが出てくるから不思議です。
といって、特段人に話せるようなことをしていたわけでもないですケド。
次の3ヶ月、もう始まっているわけで、なんだかちょっと焦ります。
休職した人の話を読んでいると「人生のターニングポイントだった」みたいな話が多いので、余計に焦る。
・・・変わりたいなぁ。
*おわり*