お題「遠くへ行きたい」
件のアベノマスク、我が家には昨日届きました。
届いた直後は「これのために我々の血税が使われたんだな〜」と複雑な気持ちに。
Twitterなどでお怒りやら批判やらを見てきているので、ついつい「本当にたったこれだけか」と思ってしまいますが、これを全世帯向けに準備してくれた・配達してくれた人がいるんだなと思うと、一概にきつい言葉を吐けるものではないなと。
ま、政府オーダーを受けるなら相応のリターンなりはあるんでしょうけどネ。
さて、ちょうど書こうと思っていた内容が、『遠くへ行きたい』というお題とぴったりでした。
ちなみに遠くというのは場所というより時間的な意味ですが。
北海道 十勝で過ごした5年間
わたしの30数年の人生において、もっとも素晴らしき日々、もっとも充実していた日々は、小学校から中学校にかけて5年間過ごした北海道の十勝。
「むかし北海道に住んでいたことあるんですよ」と人に言うと、たいていの場合は「親の仕事の都合?」などと聞かれるものです。
まぁ普通はそう考えますよね。
わたしが北海道に住んでいたのは、山村留学(もしくは自然体験留学)と呼ばれるシステムによるものです。
※全国山村留学協会HPによれば、山村留学とは「自然豊かな農山漁村に小中学生が一年間単位で移り住み、地元小中学校に通いながら、さまざまな体験を積む活動」だそうです。(https://www.sanryukyo.net/new/whatis/)
親元を離れて、はじめ3年間は寮、そして残り2年間はホームステイで生活しながら、地元の小中学校へ通いました。
もともとわたしは東京では40名1クラスの学校に通っていました。
しかし山村留学先の小学校では同級生はたった4人、しかも同じ教室で上/下の学年と一緒に過ごす複式学級で、全校生徒は50名前後だったと思います。
中学校は隣の地区の小学校が合流しますが、それでも同級生は15人くらい。
・・・この人数のギャップたるや!
東京では学芸会で西遊記をやった記憶がありますが、三蔵法師役だけで5〜6人くらいいたような。(二日間開催だったのと、予備人員?)
ところが山村留学先では、全員が役付き、何なら一人二役もままある話。
しかも運動会/体育祭は、幼稚園・小学校・中学校、さらに地域職員も合同で開催されます。
人数が少ないから、何をやるにも地域一丸だし、みんなが主役です。
クラスの中でグループができて、お互いにいがみ合ったり競争したり、なんてこともほぼありません。(そんなことしてたら何もできない)
東京に住んでいる人からすると考えられない環境ですよね。
自然体験より馬三昧の日々
山村留学生の1週間は、平日は地元生徒同様に学校に通い、休日はさまざまな自然体験プログラムに参加するのが通常です。
もちろんプログラムがない週末もありますが、自分の力だけで気軽に遠くに行くことなど到底できないようないわゆるド田舎の環境なので、できることと言えば友達の家に遊びに行くくらいで、あとは掃除するなり勉強するなり。
せっかく企画されている自然体験プログラムですが、わたしはあまり参加しませんでした。
(今考えると申し訳ない・・・)
というのも、わたしは違うことにそれはそれはどっぷりハマっていたから。
それが乗馬だったのです。
そもそもわたしがここ十勝へ山村留学に行くきっかけは母の勧めだったのですが、この町の魅力のひとつが乗馬ができることでした。
視察時の体験乗馬ですっかり馬が気に入ってしまい、山村留学する一番の決め手になったと記憶しています。
学校帰りも休日も、毎日毎日朝から晩まで(正確には夕飯前まで)乗馬施設に通っていました。
必ずしも毎日乗馬ができるわけではないですが、馬の世話もたくさんしたし、他の人が乗っているのを見たり、とにかく馬の近くで過ごすのが自分にとっては本当に自然なことになっていました。
当時の馬仲間たちとは、今もLINEのグループでつながっています。
学年も違うし、地元民も山村留学生も混じっていますが、乗馬を通じて多くの時間を共にして切磋琢磨し合ってきたことで、地理的距離や時間的距離が離れた今でもいつでも当時のように話せる「心友」という感じがする仲間たちです。
※馬仲間の友達については、ここでも少し書きました。
乗馬はとにかく楽しかったし、上達したり大会に出たりパレードに参加するのは嬉しかったし、乗馬のおかげで毎日がとても充実していて時間が経つのは本当にあっという間でした。
わたしの山村留学は、まさに乗馬留学と言っても過言ではないくらい、乗馬中心の5年間だったのです。
あの素晴らしき日々に戻りたい
いつのまにか ”大人” になってから久しいですが、朝から夜まで・平日も休日も熱中し続けられたものは後にも先にも乗馬だけです。
もちろん今から違うものにハマる可能性もありますが、自ら家庭を持って仕事に家事にと過ごす今となっては、当時のような馬三昧の日々はなかなか簡単に手が届くものではありません。
そして、当時はその素晴らしさ・豊かさには悔しいほど無頓着だった北海道の大自然も、今となっては喉から手が出るほどうらやましい。
東京はどこに行っても人が多いし、空は本当に狭くて、視界に入る緑も少なすぎる。
何でもあるようで、いつもイライラ・ハラハラ・せかせかしていて、心の豊かさにはほど遠い今の生活。
大人になればなるほど、どれだけ当時が豊かで恵まれた生活だったんだろうとつくづく思います。
もし。
もしもコロナがなければ。
きっとわたしは当時ホームステイしていた家、もしくは友達の家に長期滞在をお願いして、休職期間を過ごさせてもらっていたと思います。
都会に溢れる音や光の強い刺激のない環境で、ただただゆっくりと大自然に囲まれながら過ごしたかった。
満員電車に乗って人ではなく物として運ばれ、窓からはコンクリートだらけの景色を見ながら、ディスプレイを見続けては決まった時間にコンビニ飯を食べ、また物として運ばれてぐったりして帰る・・・
これが当たり前でない人たちと触れ合って、いかに自分の人生観・仕事観・生活観が彼らと違うものであるかを感じたかった。
残念ながら、休職期間中(〜7月頭 ※予定)に行くことはもう叶わなそうだけど、せめて少し落ち着いた頃に実現できたら嬉しいな。
それまでは脳内で当時の様子を回想したり、目に焼き付いている風景をまぶたの裏に描いて「エア山村留学」?をして過ごしたいと思います。
*おわり*