【休職52日目】東京はもう嫌だ|誕生日を過ぎて将来を考える
今週のお題「遠くへ行きたい」
気温高め・雨の可能性なし、で洗濯物がよく乾くのが嬉しい季節です。
こんにちは、先日無事誕生日を迎えたemustanyです。
また1つ、オトナになった
誕生日とか年をとるとか言っても、現実には昨日から今日、そして今日から明日へと時間が流れていくだけ。
誰かに年齢を訊かれたり書類記入の機会でもない限り、自分の年齢を意識することなどそうそうないし、ここ数年(なんなら20代の頃から)、さして自分の意識だとか行動は変わってないなと思ったりもします。
ただし1つだけ。
健康欲については確実に年を重ねるごとに増しているなと。
思えば、子どもの頃って本当にしょっちゅう怪我したり病気になってたはずなのに、まったく健康不安がなかったのってどうしてなんだろう?
親が心配したり面倒見てくれてたからでしょうか。
熱を出すと母が果物ゼリーを買ってきてくれるのが嬉しかった記憶があります。
大人になった今はもう自分で面倒見るしかないのですよね。
身体的な痛みや苦しさも、「これ大丈夫なのかな」「●●かもしれない」といった不安も、基本的には全て自分が向き合うしかない。
これ、老いていくにしたがってまた逆転していく気もするけれど、まだしばらくの間はこの状態が続いていくんだよなぁ。
なんなら今よりもっと自己解決が求められていく(ように感じる)かもしれない。
まぁたとえどんなに健康に心がけようとも、肉体的にはすでに30年以上使ってきているわけで。
どうしたって、10代までのような新品・新古品のようにはなれないのも事実。
母が言ってましたが、うまいこと騙し騙し付き合っていくしかないのでしょう。
いつから「将来の夢」を考えなくなったのか
誕生日を迎えて、ふとそんなことを思いました。
一年の計は元旦にあり と言いますが、昔は数え年で年始に年をとっていたことを思えば、誕生日に先々のことを考えてもおかしくはないですね。
改めて考えてみると、小さい頃からあまり将来の夢を語ることはなかった気がします。
記憶にあるのは、保育園の頃に「ケーキ屋さん」と言っていたこと。
山村留学で乗馬にハマっていた頃は「馬の調教師」と思ったこともありましたが、具体的に進路を考えるほどではありませんでした。
大学は英文学科に進みましたが、進学にあたって将来を考えたかと言うとそんなこともなく。
単純に教科として英語が好きだったのと、高2〜高3で1年間アメリカに留学していて戻ってきた時期からの受験は厳しかったので指定校推薦に飛びついたのが実態。
就職に関しても、氷河期直後くらいの代なのでまだまだ企業側が優位な中、 ”就職” 自体が目的になってしまっていたところはあります。
もちろん就活当時は「ここで働きたいのだ」と本当に思っていたし、それらしい志望動機もちゃんと言っていたけど、具体的に成し遂げたいことだとか将来の自分像は正直あまりありませんでした。
今あらためて考える、将来のこと
社会人として過ごす今、自分の将来を考えるにはどうしても「仕事はどうするのか、変えるのか」とか「老後の生活はどうなるのか」を考えてしまいます。
子どもがいないことと、まだ親の介護問題がないことで、考える幅はいくぶん自由かもしれません。
仕事についてはここ数年にわたって変え時かなと思っています。
IT系企業に勤めていますが、先述のように、今思えば強い思いで選んだわけではありません。
仕事をしていても、わたしが興味があるのはシステムというよりも人間側のほう。
会社には技術者も多いですが、わたし自身は文系ですし技術に明るいわけでもありません。(勉強しても理解が追いつかない)
仕事に邁進してやりがい・自己実現を求めるというよりは、家庭生活(夫・自分)をちゃんと大事にして過ごしたいので、究極は金稼ぎの手段でしかないのかもしれない。
転職も何度となく考えてきたものの、転職サイトに登録するくらいで、なかなか踏み出せないまま過ごしていました。
何をしたいのか・何ができるのか・どういう環境でどういう人たちと働きたいのか、ずーっとぼんやりとしていましたし、会社制度が世の中一般と比べて非常に恵まれているのもあって、安易に手放しがたいというのも大きな要因でした。
そこへ来てこのコロナ禍、そして休職です。
休職に至ったのは、仕事とコロナの両方のストレスが原因だったと考えています。
では、もしもコロナの問題がなくてオフィス勤務の日々が続いていたとしたら、休職には至らなかったのでしょうか?
恐らくですが、そのままの日々だったとしても早晩限界が来ていたとは思います。
ただ、コロナが一切関係ない12月の時点でも休職は勧められていた状況でしたが、この時点では決意できませんでした。
やはりコロナによる状況悪化(世の中的にも自分の身体的にも)は大きかったでしょうね。
通常時と比べれば周りの理解を得られやすいと思ったのも事実です。
じゃぁ、もしも生活しているのが東京や首都圏や大都市圏でなかったら、どうだったのか?
これについては正直わかりません。
休職するかどうかにまで影響したかどうかは計りかねるところです。
でもきっと、東京で暮らすほどの不安やストレスはなかったのではないかと想像します。
逆に東京に暮らす限り、休職していようともコロナの不安はつきまとうし、生活に大きく影響をするわけです。
前回、もしコロナがなければ休職中に山村留学先で過ごしたかったと書きました。
これだって、もしわたしが東京以外の比較的感染者数が少ないところに住んでいたなら、もう少し気楽に考えて実際に北海道へ行っていたかもしれないわけです。
というか、そもそも東京にいるからこそこういう思いが強くなったわけで。
東京は便利です。何でもあります。
車がなくても(というかわたしは免許もない)移動に困らないし、見るものも買うものも余りあって全く追いつかない。
だけど、東京は疲れる。
視界が狭くて緑がないし、音や光が溢れているし、一歩外に出ればすぐ人に囲まれてしまう。
すぐ隣に住む人や街ですれ違う人がどんな人なのかも全くわからない。
コロナのような感染も含めて災害リスクも大きくて、ちょっとやそっとの準備では不安が拭いきれない。
山村留学とアメリカ留学で不在にした6年間以外、ずっと東京で過ごしてきたはずなのに、ただただここはもう嫌だ・離れたいという思いが強くなっています。
住む場所が違えば何もかもが解決してハッピー!と思っているわけではありません。
「住めば都」と言いますが、逆に「住めば地獄」ということもあるでしょう。
だけど・・・
やっぱり東京はもう嫌だ、お腹いっぱいだ。
3つ年上の夫ともども、40代に向けて今後のことを考えていかなければなぁ。
*おわり*