お題「#おうち時間」
こんばんは、emustanyです。
久しぶり(4/24が最後だから11日ぶりだ!汗)の日記です。
気づけばGWも(カレンダー通りの場合は)明日が一応最終日。
ですが、窓から電車を見ていても、ラジオの渋滞情報を聴いていても、今までの常識では考えられないほどの非・混雑ぶりですね。
観光地にしても、交通機関にしても、飲食店にしても、みんなみんな書き入れ時だったでしょうから、その影響が心配されるばかりですね。。
さてさて。
せっかく休職を機にブログを始めたというのに、すっかり筆が重くなってしまって、その原因を考えていました。
考えてみてわかったのは、どうもこれはわたしが無意識でやってしまう完璧主義と他者思考ゆえなんだなということ。
今日はこの話をきっかけに、少し今まで書いたブログとは形式も変えながら、最近すっかり板についた?おうち時間の日々徒然について書いていきたいと思います。
ブログを始めたはいいけれど・・・
わたしは文章を書くこと自体は好きな方です。
さすがに詩を書いたり小説を書いたりということはないけれど、小中学校で作文を書くのはわりと得意だったし、手紙を書くのも大好き。
手紙は以前はよく祖父母に書いたものですが、彼らが他界してしまってからは書く頻度は減ってしまって残念。
今は北海道や大阪など遠くに住んでいる旧友や、夫の実家とゆるくやり取りをしています。
日記については、手帳に書いていた時もあるし、「モーニングページ」をやってみたり、健康ログを書き留めてみたりといろいろな形式でやるものの、あまりコンスタントには続かない傾向。
そんな中、今度はブログに手を出してみたわけです。
実は大学生の頃に楽天広場を書いていたり、mixiをやっていたりもしたので、なんとなく気楽に考えていました。
が、どうも日に日に筆が重くなっていく。
もちろん気分の良し悪しもあるし、日によって書きたいことも違うから、ある程度そういう日があるのはわかるのだけど、それだけではない。
しばらく考えてたどり着いたのは、どうもこれは自分の完璧主義と他者思考が影響していそう、ということでした。
書き始めると、全体の構成や改行位置や句読点の数や文章のわかりやすさ・伝わりやすさがどんどん気になってくるのです。
仕事の資料作成時の癖なんでしょうか。常に他の人から見て読みやすいかを意識している気がします。
そうやって推敲しまくるため、アップまでにものすごく時間がかかってしまい、何だかちょっとグッタリしてしまう。
次の日になれば「ブログ書かなきゃ。続けなきゃ。」と、まるで毎日ブログを書くことが義務であるかのように感じて苦しくなってしまう。
考えてみれば、少なくとも現状のわたしのブログというのは、決して固定のフォロワーさんや購読者がいるわけでもないですし、ブログを書くことは休職経過の記録も兼ねて勝手にやり始めたことであって、休職条件でもなければ誰に頼まれたわけでもないのです。
だから読みにくくても自分しかわからなくても構わないし、毎日書かなきゃいけない理由も一切ない。
好きな時に好きなように、思ったまま書けばいい。
・・・はずなんですよね。
そんなことに今さら気づいたので、今日はPCでもスマホでも見やすくなるような改行も全然しないし、一文もダラダラッと長くそのまま書いています。
どうしても気になって仕方なくなるようなら、いつか直せばいいや。
それくらいのつもりで書いていこうと思います。
旧友から「お揃いマスク」が届いた
ここからは最近の出来事をつらつらと。
おととい、小中学校の時の友だちから手紙とマスクが届きました。
封筒がふっくらしていたので、「ずいぶんたくさん手紙書いてくれたんだな」と思いながら開けてみて、マスクが入っていたのでびっくりしました。
なんでもこのマスクは彼女のお手製で、しかも当時の仲良し4人でお揃いらしい・・・!
この4人というのは、単なる学校の友だちというより、”仲間”や”同志”に近い関係性。
当時わたしは北海道にいて乗馬をやっていたのですが、この4人で互いに切磋琢磨しながら、厳寒の中でも馬に乗ったり世話をしたりしていました。
毎日のように一緒に過ごしていたからか、心のつながりを感じられる友だちです。
実はこのメンバーには4月上旬の時点で休職中と伝えていて、それもあって心優しい彼女が気遣ってくれたのかなと思います。
4人でお揃いのマスクとわかって、これはもう、一瞬泣きそうになるくらい嬉しくなりました。
自分が誰かにとって「お揃いマスク」をする相手として認めてもらえている。
それを感じることができたのが嬉しかったのです。
これ、また他者思考のクセが出てしまっているわかりやすい例だな、と自分でも思います。
ここのところ、嬉しかったり怒ったりといった感情が高ぶった時に、なんでそんな気持ちになるんだろう?と自己分析してみたり、トラウマとかインナーチャイルド系の本を読んでいて、なんとなく自分なりにわかってきたことがあります。
それは、どうもわたしは
『人に必要とされたい、認められたい、感謝されたい、ほめてほしい、大事にしてほしい、離れていかないでほしい』
といった思いが強いようで、おそらくこれは自分と母、両親間の関係性の中で出てきたものではないかということ。
こうした思いがあるからこそ常に他者思考になり、相手にとって自分がどんな存在なのかを意識したり、相手を喜ばそうとして奮闘してしまうんですね。。
まぁそれはそれとして。
この「お揃いマスク」、まだ実戦には登場していないのですが、4人とも同じマスクをつけながらオンラインお茶会でもできたら面白いかなと思いつつ、休職中の自分が誘うと相手に気を遣わせちゃうかなぁ。。
再びのめまいで薬漬けの日々
GW序盤の4/30の朝、久しぶりに起き抜けのめまい(回転)があり、3月に受診した医院へ再度行ってきました。
回転そのものはずっと続くものではなく、しばらくすると治まる、いわゆる「良性発作性頭位めまい症」の症状。
これに対しては、前回飲んでいた薬をまたもらい、もしまた回転が起きたら薬を飲むのとエプリー法をすること、という対症療法的なことになりました。
一方、3月にめまいが始まってしばらくしてからずっと続いている、頭や耳の奥でビーーーンと響いている感じ、グワーングワーンとする感じについて。
これについては当初から疑っていた「頭鳴(ずめい/あたまなり)」のようで、てんかん薬を処方されました。
頭鳴は脳が興奮状態に陥っている状態のようですが、片頭痛に伴うことが多い、うつ病とも関係するという特徴はまさしくわたしも当てはまるものです。
実は今回めまい(回転)があった前日夜はイヤホンをしたまま寝てしまいました。
また、3月めまいが起きた時は、在宅勤務が始まって毎日のようにZoomでオンライン会議をしていてその時もイヤホンをしていました。
これが原因かも?と気になって医者へ聞いてみると、やはり影響はあるとのことでした。
イヤホンよりヘッドホン(ただし密閉型でなく開放・オープン型)がいいし、イヤホンするなら骨伝導がいいよ、とのことだったので早速注文しました。
ここの医院は神経内科、耳鼻咽喉科に加えて頭痛・めまい外来でもあるのですが、せっかく外出自粛の中で電車に乗って行くのであればと、もう1つ気になっている症状も見てもらうことにしました。
実は3月下旬から喉の奥(壁)にプツプツがあるのが気になっていました。
ネットで調べると、アレルギー症状のほかウィルス性みたいな言葉も見かけて、万が一にもコロナの症状だったら・・・と不安ながらも様子を見ていたのです。
特に熱などは出ていないものの、さすがに1ヶ月近く治らないので今回相談してみることにしたのですが、結果としては「咽頭炎」ということでした。
で、これに対しては気管支喘息・アレルギー性鼻炎の薬が処方されました。
結局、心療内科の血液検査結果で処方されている亜鉛+鉄の薬に加えて、てんかん+鼻炎の薬が加わり、計4種類を飲むことに。
亜鉛+鉄はサプリに近いとは言え、同じ時期にこれだけの種類の薬を飲むことは過去に例がありません。
普段は風邪薬や鎮痛薬もできるだけ飲まないようにしているタイプなので、副作用が強く出たりするのではと心配していましたが、今のところは大丈夫そうです。
まだてんかん薬→頭鳴も、鼻炎薬→喉のプツプツも、劇的に効いた感じはありませんが、あまり神経質になりすぎないように療養していければと思います。
*おわり*