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100点やめて60点を目指す ご自愛ブログ

2020.4うつ休職→薬を使わない治療で2022.4正式復職。自分と仲良く&自分に優しくありたい。

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★メンタルヘルス不調で休職するまでの流れ【後編】

※タイトルに「★」のついた記事は、休職経験をまとめた記事です。
そのほかのまとめ記事は、
『★ 休職まとめ ★』カテゴリ一覧 からどうぞ。

 

──────────────────
心身の調子を崩して
会社を休職する・・・
──────────────────

 

昨今あまり珍しくないことだと思います。

 

今やメンタル関連の情報は、隠したり恥じたりする必要のない、ごくごく ”日常的” に触れるコンテンツになりました。(むしろ情報過多とさえ言える状況かもしれません。)

 

しかし、いざ自分が当事者になった時。

慌てず対応できるでしょうか?

 

普通に考えて、身近に経験者がいる場合を除き、多くの人は「休職」についてそこまで詳しくないものでしょう。

 

何となくのイメージはある。

だけど、細かいことなんて、いざその場にならないとわからない。

 

きっとそんなものだと思います。

わたしもそうでした。

 

そこで、わたしが「休職者」になって体験したこと・知り得たことを、まとめ記事として書くことにしました。

休職生活の実態、休職生活で学んだこと、「薬に頼らない」治療の内容、信頼できるクリニックの選び方など。

すべて実体験ベースで綴っていきます。

 

今まさに休職すべきか悩んでいる人。

家族など、身近な人をサポートしたい人。

「休職」の実体験を知りたい方へ、どうか届きますように。

 

 

f:id:emustany:20211031182517p:plain

□□□ もくじ □□□

 

 

わたしが休職するまで(詳細)


前編では、わたしが休職するまでの流れについて、ざっくりレベルで書きました。

 

後編となる今回は、より詳しく・・・

  • 個々のタイミングで、具体的にはどんなことがあったのか。
  • そもそも、どのような経緯で心療内科を受診したのか。
  • そして、どんな話をした結果、休職という診断/決断に至ったのか。
    などなど

 

こういう話を書いていこうと思います。

 

 

それでは早速参りましょう。

 

 

 

▼2019年11月

11月上旬: 会社のストレスチェック


わたしの会社では、毎年秋になると、全社員がストレスチェックを受けるよう通達があります。

※「ストレスチェック」とは
ストレスに関する質問票(選択回答)に労働者が記入し、それを集計・分析することで、自分のストレスがどのような状態にあるのかを調べる簡単な検査です。
労働安全衛生法」という法律が改正されて、労働者が 50 人以上いる事業所では、2015年12月から、毎年1回、この検査を全ての労働者に対して実施することが義務付けられました。
(引用元:
https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/anzeneisei12/pdf/150709-1.pdf

 

このテスト、全部でたしか200問くらいあるので、

「テスト自体がストレスだ!」

なんて声が職場のあちこちから聞こえてくるのが、毎年恒例になっています。

(注:ストレスではなく、正しくはストレッサーですが。)

 

 

各設問にどの程度当てはまるかを5段階で回答していくのですが、これじゃあ自分の意思で結果をある程度コントロールできてしまう・・・

「何だかなぁ」と毎年思いながら受けていました。

 

 

テスト結果は当然会社側にもフィードバックされます。

例年のわたしは、変に要注意人物として目立ったりしないよう、1や5などの両極端の数字はつけないようにしていました。

 

 

ですが、2019年は仕事の負荷・ストレスがかなり高かったのもあり・・・

何となく素直に、半ば勢いに任せて回答していったんです。

 

 

そしたらまぁ、黄色信号くらいの結果になってしまって。

 

回答完了直後に表示された結果画面を見て、

「・・・やっちまった?」

なんて思ったのを覚えています。

 

 

 

 

11月下旬: 健康管理センターから呼び出し


ストレスチェックを終えて数日後。

会社の健康管理センター(保健室みたいな所)からメールが届きました。

 

「テスト結果について産業医と面談しましょう」と。

 

 

当時のわたしは、自分が相当ストレスを抱えている自覚がありました。

 

仕事面で高負荷だったのはもちろんのこと。

この年の10月に聞いた両親の離婚話が、ずっと心の中でくすぶっていたのもあります。

 

 

この時わたしが携わっていたのは、いわゆるトップオーダー(トップダウン?)のプロジェクト。

 

前例がないので、何をするにも手探り状態だったこと。

契約や社内手続きでは、常にウルトラC的な対応を求められること。

関わる人たちが、管理職や幹部、体育会系の男性ばかりだったこと。

 

わたしにはどれも苦痛でした。

 

大阪に頻繁に日帰り出張し、残業時間も入社以来一番多くなっていました。

きっと身体的な疲労も強かったはずです。

 

まぁ、いずれも当時は気づいていなかったのですが。。

 

 

 

そんな状況だったのもあり、面談では心療内科の受診や休職の話も出てくるかもしれないけど、

「さもありなん。」
「まぁそれでもいいや。」

と、何だか投げやりな気持ちもありました。

 

今思うと、すでに心も身体もだいぶ疲弊していたんでしょうね。

 

 

心の奥底では逃げ出したかったのかな、とも想像します。

 

逃げたい、でも自分から逃げ出すような選択はできなくて、

ストレスチェックで引っかかった」
「医者に休職を勧められた」

という、”正当・妥当な” 理由を求めていたのかもしれません。

 

わたしには、ドクターストップこそが、誰も何も口出しできない、まさに ”正当・妥当” なものに思えたのでしょう。

(この時は完全に無自覚・無意識、でしたが・・・)

 

 

そうしたこともあってか、あるいは単なる仕事グセか。

わたしはある長文メモを作成してから、産業医との面談に臨んだのでした。

 

 

 

 

▼2019年12月

12月 3日: 産業医と面談


面談開始早々、わたしは産業医にメモを渡しました。

 

このメモには、現在の仕事の状況、自覚している心身症状、性格などの自己分析、などを書いていました。

うつ病の可能性もあると踏んでいたので、自分のうつ病に対する考えも書きました。

 

 

産業医は嫌な顔1つせず受け取り、線を引きながら読んでくれました。

メモはA4両面で4~5枚くらいあって恐縮だったのですが、目の前でしっかり読んでくれているのを見て、ちょっと救われましたね。

 

 

 

面談時間は50分程度だったでしょうか。

メモがあることで、あとの話は早かったように思います。

 

結果としては、やはり心療内科を受診してください」とのことでした。

 

 

 

受診するのは想定内です。

 

しかし問題は、医療機関を自分で一から探すのは骨が折れる、ということ。

これは、心療内科に限らないとも言えるし、心療内科だからこそとも言えます。

 

 

結局、産業医を頼ることにしました。

 

わたしがメモに「薬は飲みたくない」と書いていたので、産業医はこれを汲んで、薬物治療中心ではない心療内科をピックアップしてくれました。

 

 

■わたしが「薬は飲みたくない」と書いた理由:

いくつか理由はありますが、もともと本などの影響で、薬中心や対症療法的な医療への疑問や抵抗感を持っていました。
(※これに関しては賛否両論あるのは認識しています。)

 

学生の頃は、比較的気楽に飲んでいた頭痛薬や鼻炎薬なども、いつからかほとんど飲まなくなりました。

数年前に2回インフルエンザになったっぽい時も、解熱剤は飲みませんでした。

風邪の初期症状には、西洋医学の薬ではなく、葛根湯や銀翹散などの漢方薬を飲みます。

 

 

それに加えて、数年前からうつ病を患う兄の経過を見てきた影響も、かなり大きかったように思います。

 

兄は季節性のうつ病で、冬にひどくなります。

抗うつ薬を飲んで何とか冬を過ごすものの、毎年不調と復調を繰り返していました。

そんな兄を見ていると、どうやら抗うつ薬は、対症療法としての効果はあるようだが、根本治療にはならないらしい、と思えました。

 

 

また、わたしは過去に2回、心療内科に行った経験があるのですが、その時のことも引っかかっていました。

 

いずれも軽い問診のみで、抗うつ薬抗不安薬が処方されました。

薬を調べたところ、副作用や、飲む量が増えていくことが気になり、「脳に作用する薬を常用して薬漬けになるのは怖いというイメージを抱くようになりました。

 

ちなみにこの時は、2回とも初診以降は通院せず、薬も飲まず、何となくやり過ごして終わりました。
(いろいろわかった今だからこそ、当時の振り返りもしたいなと考えています。)

 

 

誤解してほしくないのですが、わたしは決して「薬を飲むな」と言いたいのではありません。

状態によっては必要な方もいるでしょうし、実際に薬で楽になった方もいると思います。

「”わたしは” 薬中心の治療は怖いので、その方法を選ばない」だけです。

 

 

産業医が紹介状を書いてくれたのは、3つのクリニック。

 

仕事の合間に2つのクリニックに電話し、予約を取り付けました。

いずれも午後の予約で、半休を取得することにしました。

 

 

おぼろげながら覚えているのは、この予約の電話をするのがやや大変だったということ。

 

美容院とか歯医者とか、何らか予約をする電話などいくらでもしてきたはず。

それでも、この時は予め話すべき内容をすべて書き出し、とても緊張しながら電話をかけた覚えがあります。

 

きっと、自分の判断力や対応に自信が持てないとか、「失敗してはいけない」という思いが強くなっていたのでしょうね。

(今思うと、この場合の失敗って何?って感じですが・・・)

 

 

 

 

12月13日: 心療内科Aを受診


最初に行ったのは、心療内科A。

ここは、薬を使わないとは謳ってないけど、「女性のメンタルヘルス」を標榜しているから、と産業医が選んでくれたクリニックです。

 

 

結論からすると、ここはまったく合いませんでした

 

もしここに通っていたら今頃どうなっていたかと思うと・・・

ちょっとゾッとしますね。

 

 

山手線の駅からほど近いビルの8階にあった、このクリニック。

立地的な通いやすさは一切文句ありません。

 

しかしこのビルが、古さのせいなのか、通りから少し奥まっているからなのか、まぁとにかく雰囲気が暗めで。

 

クリニック内部も、思い出せる光景は、少し陰気な雰囲気と無機質な内装。

心療内科は明かりを暗めにしているところが多いように思いますが、そのせいだけじゃなく、どことなく鬱屈とした雰囲気が漂っていました。

 

極めつけは、受付と診察室が異なる階にあることでした。

受付→診察→受付といちいちエレベーター移動するとか、面倒すぎます。

 

 

・・・まぁこういうことは、いいんです。

肝心なのは医師とのコミュニケーションや治療内容であって、環境面は最悪目をつぶれます。

 

しかし、その肝心な部分でも、ここは気になることが多すぎました。

 

以下、わたしが気になった点です。

  1. 順番が次になると、診察室のすぐ外で待つよう言われるが、待っている間(ドア・壁を隔てているのに)中の声がかなり聞こえる
    →人の話は聞きたくない!自分の話も当然聞かれたくない!

  2. 前述のメモを持参したが、受付では受け取ってもらえなかった
    →後述しますが、次に行った心療内科Bでは難なく受け取ってくれ、診察の前に医師に渡しておいてもらえました。

  3. 医師はメモを一切読んでくれなかった
    →読めば済む(書いてある)ことばかり質問されて、イライラしました。後から読むためにコピーすることもしませんでした。
    →後述しますが、次に行った心療内科Bでは、診察の前にひととおり目を通してくれていました。

  4. 診察中、受付?から何度も電話がかかってくる
    →少しならともかく、そこそこ話し込んでいて・・・うーん(怒)。

  5. 医師の話し方が気になる
    →タメ語を多用したり、フランクすぎる話し方が耳につきました。
    →その割には、薬の説明などは説明が高等というか、わかりにくかった。

  6. 「とりあえず」で抗うつ薬抗不安薬を処方される。
    →こちらとしては十分に話を聞いてもらえたと思えず、医師も「まだ1回しか話してないからわかんないけど」なんて言っていたのに、「とりあえず」でポンッと処方して「飲んで様子見ましょう」だなんて。。

 

 

どこをとっても、患者に向き合う・寄り添う姿勢が感じられませんでした。

 

患者になって再認識しましたが、心療内科って、薬や治療うんぬん以前に、「先生」との相性がとても大きいと思っています。

先生を信頼できればこそ、安心して薬も飲めるわけで・・・。

 

こっちを向いてくれない(物理的に/心理・態度的に)人間に、どうして自分の心や身体を預けられるでしょうか。

 

 

もちろん、相性というのは人それぞれです。

好みや価値観によるでしょうから、あくまでわたしなりの感じ方です。

 

 

5の「医師の話し方が気になる」というのが最たる例です。

 

わたしは、公的な人間関係においてあまりに砕けた話し方をされると、「馴れ馴れしいな」と思う人間です。

「フランク」「親しみやすい」と言えば聞こえはいいですが、わたしからすると「見下されている」「大切に扱われていない」と感じます。

 

ここにはきっと、公平性を重んじていたり、「人は大切に扱うべき」という価値観、「わたしは大切に扱われたい」という気持ちが根っこにあるのでしょう。

 

だから、医師がフランクすぎると、「診てやってる」という態度に映ります。

これがとても居心地が悪いし、反発したくなるんです。

 

 

その一方で、薬のことなど、こちらがあまり知識を持っていないことについて、説明不足だったり難しい言葉のまま話すようでは、信用できません。

 

ビジネスでもそうですが、「難しいことをいかに平易に伝えるか」が重要だと思うんです。

それをしないのは、患者に無理解であるか、寄り添う姿勢がないからではないか、と思ってしまいます。

 

 

 

上記のことは、「医師 対 患者」という、人間同士の問題です。

相性や好みの問題で片づけられなくもない。

 

ただ、ここのクリニックは、病院全体としてもプライバシーへの配慮が足りないのでは?と思いました。

どうも旧態依然としているというか、患者を大切に扱う気がないように見えました。

 

 

結局ここでは、プチうつ〜うつの間かなと言われました。

つづけて「まだ一度しか会ってないからわかんないけど」とも言われましたけど。

 

そして、「とりあえず」と、気分をリラックスさせるためにSNRI、それから早朝覚醒などがあったので睡眠系の薬を出す、と。

薬がどう働くかや、副作用はあるか、という説明はありませんでした。

 

最後は「1週間後にまた来てもらって、その時休職するか決めましょう」ということで終わりました。

 

 

 

このクリニック(そして医師)は絶対ないな。

 

そんな確信を持ちながら帰りました。

もちろん、「とりあえず」で処方された薬など、飲みませんでした。

 

 

 

 

12月17日: 産業医に報告


週が明けて、産業医と再び面談をしました。

面談内容としては、心療内科Aの受診結果の報告です。

 

メモを読んでもらえなかったことや、クリニック/医師に感じた違和感・不満などを率直に伝えました。

 

この面談の翌日に心療内科Bを予約していたこともあり、この日の面談は、20分程度の簡単な報告で終わったように記憶しています。

 

 

 

 

12月18日: 心療内科Bを受診


心療内科Bは、産業医のオススメのクリニックです。

ここはわたしの希望である「薬を使わない」に合致するクリニックであり、HPにも「薬に頼らないうつ病治療」と明記していました。

 

何を隠そう、この心療内科Bこそが、その後わたしが通うことになったクリニックになります。

 

■わたしの主治医について:

当ブログでは、この心療内科Bの先生(=主治医)を、信頼と親しみを込めて「アインシュタイン先生」と呼んでいます。

なぜアインシュタインかって、髪型からわたしが勝手に想起しただけですが。笑(ベートーヴェンでも良かったかも)

アインシュタイン先生については、「医師」ではなく「先生」として表記します。

以後お見知りおきを・・・。

 

 

良くも悪くも、直近に心療内科Aという前例があったことで、心療内科Bの良さが際立って感じられました。

 

(上でも少し書いていますが)

心療内科Bでは、受付で「メモを持参したから先生に読んでほしい」と伝えると、難なく受け取ってくれました。

加えて、先生はわたしが診察室に入る前に、メモに目を通してくれていました。

 

 

診療室に入ってまもなく、先生が言った言葉を覚えています。

これ(メモ)読みましてね。

どんな方が入ってくるかなって想像してたんですけど。

 

これを読めば、だいたいわかってしまうんだけどね。

でもちゃんと聞いていきますからね。

 

読んでくれた。

そしてそれを踏まえて話を聞いてくれる。

この先生は、わたしという人間とちゃんと対峙してくれる。

 

それがわかってとても嬉しかったし、安心しました。

 

 

初診時の詳しいやりとりについては、以前書いたことがあるのでここでは割愛しますが(※関連記事は文末にまとめてあります)、話した内容は以下のとおり。

  • 1つ目のクリニック心療内科A)の受診結果について
  • 山村留学について
  • 両親について
  • 取り得る選択肢について
  • 先生からの見立て・意見など

 

 

初診は40分ほどでしたが、その後半、先生からはこんなことを言われました。

これまでの話や出ている症状からすると、「軽め〜中程度のうつ」です。

直近の血液検査結果では、たんぱく質・鉄の欠乏が見られます。

こういう身体・栄養状態が原因で、うつ症状が出ることもあるんですよ。

ここに通うことになった時は、改めて血液検査をしっかりやりましょう。

休んで体調を治すのとあわせて、今の思考癖や価値観などの立て直しをして、テクニックを身につけていく。

逃げていい、適当でいい、頑張らなくていい、とかね。

そうして復帰しても対応できるようにするのがいいのでは、と思いますよ。

ちゃんとやれば、薬は使わなくても大丈夫です。

カウンセリングとかリワークセミナーを通じて、軌道修正していけば大丈夫だから。

今すぐには休むか判断できないでしょ。

今日の結果を踏まえてどうするか、自分で決めていいですよ。

休むなら手続きもするし、負荷抑制の方向で行くなら、そう産業医に伝えるから。

 

 

先生の言うとおり、わたしは休職を即断できませんでした

 

「今の自分は果たして本当に休むべき状態なのか?」

「休みを必要とするほど自分はひどいのか?」

 

こうした自分の中での問いに、堂々と「YES」と答えられなかったからです。

 

 

わたしには、「誰がどう見ても休むのが妥当」と思えることが重要だったんですね。

 

今になってみれば、これは他者思考、「しっかり者」というセルフイメージ、そして「休む=悪」という価値観があってのことだったとわかります。

 

「逃げてしまいたい」とか「いい加減もう疲れた」とか。

自分の気持ちや欲求がどうかなんて、まったく意識していなかったんです。

 

 

 

あと10日もすれば年末年始で、リフレッシュできるから。

1月以降はプロジェクトのフェーズが進むので、きっと自分の仕事にも変化があるはずだから。

 

そんな淡い期待もあったと思います。

加えて、過去2回の受診経験から、何やかんやでそのうちどうにかなると踏んでいたのかもしれません。

 

 

結局わたしは、そのまま仕事を継続したのでした。

 

 

 

 

▼2020年1~3月

1月~2月: 仕事の継続


年末年始の休暇は、確かにリフレッシュにはなったと思います。

たぶん・・・。

それなりに・・・。

 

 

仕事が始まると、あれよあれよと元通りの生活になりました。

早速大阪出張に行ったり、残業する日が続いたり。

 

 

カレンダーを見返すと、この時期は頻繁に年休を取っています。

しかも、単に「年休」と書くのではなく、「年休(疲れた)」とか「年休(もうやだ)」とか書いていました。

 

それから、体調不良のメモも目につきます。

微熱や胃の痛み・ムカムカなど。

 

 

12月に期待していた仕事の変化は、実際どうだったのか。

 

確かに変化しましたが、ラクになったわけではありませんでした。

「量的な負荷」よりも「質的な負荷」が大きく、相変わらずストレスを感じながら過ごしていました。

 

 

 

3月: フルリモートワーク&体調の悪化


3月に入ると、わたしはフルリモートワークの生活になりました。

新型コロナの脅威を無視できなくなった影響です。

 

1月に国内初の感染者が出てから、2月にダイヤモンド・プリンセス号の一件があり、マスク・消毒液・トイレットペーパーが次々と店頭から消えました。

2月末の時点で、わたしは電車通勤や外出がとても怖くなっていました。

 

 

以前からたまに在宅勤務をしていたので、これを毎日できるよう交渉しました。

わたしの会社では、制度上「週2日・月8日まで」という上限があったのですが、少し特例的に許可してもらった形です。

(※のちに制度が変更され、全社的に在宅勤務推奨となりました)

 

 

 

時を同じくして、夫も在宅勤務(と言っても最初はほぼ自宅待機)になりました。

 

夫婦2人とも家で仕事する生活なんて、初めてのこと。

 

まるで休日のようなのに、休日のようには過ごせない。

そんなもどかしさがありました。

 

 

環境面も生活面も、一から調整していく必要がありましたが、即対応するのはなかなか難しいものがあったのも事実。

 

取り急ぎ、わたしがリビングのテーブルで、夫は和室にローテーブルを置いて、一応部屋を分けて仕事することにしました。

しかし、いずれも仕事用の環境ではないため、夫は腰を痛め、わたしは肩こりに悩むようになります。

 

本当なら、家事分担について話し合えれば良かったのですが、なぁなぁになってしまったことも災いしました。

家で同じように仕事しているのに、洗濯も昼食づくりもわたしがメインで担っていて、次第に「なんでわたしばっかり」と不満でいっぱいになりました。

 

 

 

仕事面でも変化がありました。

 

さすがに出張はなくなったものの、代わりにオンライン会議が増え、チャットのやりとりも頻繁になりました。

新たなコミュニケーションスタイルは、新たなストレスを生みました。

 

鳴りやまない通知に、既読後なかなか返事をくれない上司。

オンライン会議は発言しにくいし、十分な意思疎通が取れないまま進めるしかない。

 

朝7時、誰より早く仕事開始しているのに、残業時間は伸びるばかり。

 

 

家にいるのに、仕事をしなくてはならない。

仕事をしているのに、家事もしなくてはならない。

 

どっちも中途半端にできず、どんどん疲弊していきました。

 

 

 

そうこうしていると、3/11にめまいの症状が出ました。

 

めまいは初めてではありません。

2012年に一度、良性発作性頭位めまい症になっています。

 

しかし、何日も続くめまいは経験がありませんでした。

 

 

初めは回転だけだったのが、次第にフワフワ感も強くなっていきました。

フワフワ感を抱えての座り仕事は、しんどいものがあります。

 

夜中に目が覚めると急にめまいがして、リビングのソファで上体を起こしながらどうにか寝た日もあります。

睡眠にも影響が出ていました。

 

気づけば、頭(脳)が膨張しているような感覚や、頭の奥でビーーーーーとしびれているような、グヮーングヮーンと響くような感覚も伴うように。

 

 

さすがにおかしいと、めまい外来を受診したのが3/23のこと。

 

診断は、良性発作性頭位めまい症&頭鳴(ずめい/あたまなり)

抗めまい薬など、2種類の薬が処方されました。

 

 

原因としては、以下2つが疑われました。

  • オンライン会議でのイヤホンの多用
  • 仕事に適さない環境(=ダイニングテーブル)で長時間仕事したことによる、姿勢の悪化や首・肩の緊張(肩こり)

 

前者については、カナル型は良くないということで、すぐ骨伝導型に変えました。

後者については、肩・首回しやストレッチをするように言われ、なるべく意識するようにはしました。

 

薬もきちんと飲みましたが、なかなかすぐに改善しませんでした。

 

 

 

 

▼2020年4月

4月4日: 心療内科Bを受診(再診)


わたしは2020年4月4日に、12月に行った心療内科Bを再受診しました。

そして、「休職を考えたいと思う」と伝えました。

 

 

何が最後の一滴だったのか、今となっては定かではありません。

 

再受診の直前ごろは、夜に嗚咽して涙する日がよくありました。

心が苦しくて、頭の中はグチャグチャで取っ散らかっていました。

 

仕事で資料やメールを読んでも、パッと頭に入ってこない。

何も考えられず、ボーーッとすることもありました。

 

いろいろと、いっぱいいっぱいでした。

 

 

4月4日直前の、2日と3日はどうしても仕事が嫌で、年休を取りました。

つまり、わたしの休職前最後の勤務日は、4月1日になります。

 

 

この時、「もうだめだ」と思い、再受診の予約をしたんです。

 

 

先生と話した結果、診断書を出してもらうことにしました。

診断書に記載した病名は『自律神経失調症』、期間は3ヶ月です。

 

 

休職はもちろんですが、診断書をもらうのも初めてのこと。

 

先生と話しながら、わたしの頭の中ではずっと

「本当にこれでいいんだろうか」
「とんでもないことをしてるんじゃないか」

と不安でいっぱいでした。

 

 

病名に関しては、かなり長い時間悩みました。

判断力が落ちていたことに加え、うつ病』の診断書を会社に提出するインパクトの強さが怖かったからです。

 

人事情報として残る情報、上司への影響、自分が復帰する時の周りの反応・・・

いずれも、うつ病の方が深刻になるように思えました。

 

一方で、こうも考えていました。

自律神経失調症だと身体の病気、うつ病だと心の病気という感じがする。

より「休むのが妥当」と思われそうなのは、身体的な方では?

 

 

やはりここでも、周りから自分がどう見えるかばかり気にしています。

同時に、自分の中の「休む=悪」という考えを、いかに正当化するかにも強く意識が向いているようです。

 

結局、一番大切な「自分はどうしたいか・どう思うか」がないのです。

 

 

この時、先生にはこう言われました。

うつでも自律神経失調症でも、どちらでも良いと思いますよ。

あなたのようなケースで、どちらの病名も書くことがありますし、あなたが決めて良いですよ。

 

大事なのはね、決めようとした時にあなたがどんなことを考えているかです。

どうしてそう考えるのか、これを探ることが重要なんです。

 

 

何はともあれ、3ヶ月間分の診断書を無事受領。

次回は血液検査(採血)ということで、予約をして帰りました。

 

 

この日は土曜日でしたが、上司にはその日のうちに連絡を入れました。

 

ちなみに、上司にとってわたしの休職は ”寝耳に水” だったかというと・・・

そういうわけではありません。

 

12月に最初に産業医と面談した際、産業医から上司に報告を入れてもらった経緯があります。

また、その後1月の評価面談の際にも、直接上司と少し話をしています。

 

そんなこともあり、上司からは「具体的な手続きは週明けに確認しておきます」ということで、この日の連絡は終わりました。

 

 

 

 

4月6日: 休職開始


クリニックの受診・診断書をもらったのは4月4日(土)。

ですが、恐らく会社でのわたしの休職開始日は、4月6日(月)と思われます。

 

 

細かいことは忘れてしまいましたが、この日は必要な事務手続き(診断書の送付など)について、上司と軽くやりとりをしたくらいです。

 

わたしは身近に休職された方がいなかったのもあり、

「休職ってこんな(簡単にできちゃう)もんなの?!」

と、少々呆気にとられた記憶があります。

 

 

まぁ、病休、しかもメンタル不調での病休ですからね。

あまり複雑・煩雑なやりとりだと、人によってはかなり負担だろうと思います。

 

その点、わたしの場合は状態としてまだマシな方だったろうし、会社から求められるものも少なかったので、幸いでした。

 

 

■休職制度について:

休職と一口に言っても、会社によって制度はさまざまだと思います。

 

当社の場合、最初に休職に入った段階での会社の扱いは、「病気休暇」です。

最初の6ヶ月間までが「病気休暇」、それ以降は「病気休職」となります。

 

当社では病気休暇では基本給を満額支給、病気休職も減額支給されます。

ちょうどコロナ禍で暗い話も多く見聞きしたこともあり、自分はどれだけありがたい立場なんだと何度も思いました。

 

細かく言えば、このあたりの扱いは入社からの勤続年数によって異なります。

このように手厚い会社を選び、そしてそれなりに長く勤めてきたことを、初めて?心から良かったと思ったのでした。

 

 

 

 

というわけで。

今回は、【わたしが休職するまでの詳しい流れ】について書いてみました。

 

ちょっと、いや、だいぶ長かったですね。

(10000文字越しているので、今までで一番長いかも?!)

 

 

引き続き、わたしの休職経験について、実体験ベースで書いていこうと思います。

よろしければまたお読みいただけたら幸いです。

 

 

 

ではまた。

 

 

●前回の記事(ざっくりした流れ)はこちら。

産業医との面談に向けて作成したメモは、こちらの後半に載せています。(※記事内容は初診のことですが、初診時にもこのメモを持参したためです)

心療内科Aでの様子は、こちらで少し書いています。

心療内科Bでの初診時の詳しいやりとりは、こちらで書いています。

産業医の「紹介状」を見て見たい方は、こちらに載せていますので、ご参考に。

 

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