こんにちは、emustanyです。
ライフスタイル的な話の2回目です。
なんか、どんどんシンプル化しているなーって話の続き。
今回もまだ思考コネコネ編。
早よそれっぽい記事書け。
●前回のお話はこちら。
□□□ もくじ □□□
わたしのシンプル化は外見に関わる部分が中心
前回こう書きました。
今、自分史上もっともシンプル化しているものは、大きく2つです。
1つはファッション。
そして、もう1つは美容。
両方合わせると、
「自分の ”見た目” を良く見せようとすること」
とでも言えるかもしれません。
わたしの中で、自然とシンプル化していっているのは、どうやら主に外見に関わる部分。
そんなことに気づきました。
流行・トレンドについていこうとすること。
季節が変わるたび、服やコスメを買い足すこと。
新しい着こなし・着回しを考えること。
それはきっと、楽しくて刺激的なことでもあります。
好き・得意であれば・・・。
もともと必要/重要じゃなかった?
ファッションにしても、美容にしても。
思い返すと、昔からそんなに興味関心、熱量がなかったなぁと。
無関心とまでは言いません。
それなりに憧れなり、がんばらなきゃという気持ちもあったと思います。
でも、雑誌を読み漁ったり、いろいろ買って試したり。
そういう行動は取ってきませんでした。
”女子” たるもの・・・
早ければ中学生、遅くとも大学生になれば、自分の「身なり」あるいは「見栄え」に敏感になります。
#きっと最近はもっと早いんでしょうね。
ファッション誌を読み、流行り(とされる)の服やグッズを買い、化粧をしたり、スキンケアに勤しんだり、髪を染めたり巻いたり。
わたしは、高校生の頃に茶髪でルーズソックスを履き、ギャルもいたような世代。
SPEEDと同世代とでも言いましょうか。
でも、どうもわたしは、周りの子たちほどファッションやコスメに興味を持たないまま過ごしてきたように思います。
たぶんいくつか理由があります。
母がファッション、美容・コスメ、流行、ブランドといったものに無関心だったこと。
むしろ見下している向きもありました。
そして、小5~中3の5年間、山村留学で北海道のド田舎に住んでいたこと。
これくらいの年齢って、多感で一気に ”おませ” になる時期です。
もし東京で過ごしていたら、きっと全然違っていたんじゃないかなと思います。
高校で東京に戻ってきた時。
都会(って言っても東京の西側だけど)の高校で浮かないよう、少しは頑張りました。
でも、大学は堅実な女子大だったせいもあってか、結局わたしの美意識はあまり開花しなかったな。
記憶にある限り、いわゆるデパコスって買ったことがないと思います。
SK-IIも買ったことないな。
それともドモホルンリンクルのお年頃?。(ΦωΦ)
正直、美容カウンターの人も雰囲気も苦手です。
「きれいねー」「女らしいわねー」とは思いますが。
幸い、社会人になる頃にはネット通販もだんだん普及してきました。
だから、その気になれば別に美容カウンターに行かずとも、いろいろ買えます。
それでもあまり手が伸びなかったってことは、自分にとってはそんなに必要/重要じゃあなかったってことなのかなと。
そもそも濃いメイクが苦手
コスメに関しては、しっかりメイクがあまり似合わないということもあります。
中学生の頃、先生に「emustanyは化粧映えしそう」と言われました。
(化粧してないのにどうしてそんなこと言ったんだろう?苦笑)
その時はちょっと将来が楽しみになったものです。
疎かったけど、当然のように自分も化粧をするのだと思っていたんですね。
しかし実際のところは、少しメイクするだけで濃いと感じてしまいます。
別に濃い顔立ちをしているわけじゃありません。
奥二重だし、わりと冷たく見られがちな、さっぱりした顔です。(´-ω-`)
なのに。
軽く唇に色を付けたり、頬にチーク乗せるだけで、なんかケバくなってしまう。
人に言われたわけじゃないけど、自分にはそう見えるんですよね。
鏡に映る自分が居心地悪くて。
メイクに関しては、最盛期は独身時代だと思います。
結婚してからもしばらくは続いていたかな。
日焼け止めか化粧下地塗って、チークして、眉描いて、アイシャドウ塗って、アイライナー引いて、マスカラ塗って・・・
たぶんそれでもメイクは薄めだったと思います。
肌に何層も塗りたくったり、色のバリエーションを持ったりもしてなかったし。
そして、気づけば今、アイライナーもマスカラもしていません。
ファンデ+眉+アイシャドウ、くらい。
ちょっとそこまで~、だとスッピンに近い時もあります。
このへん詳しいことは次回書く、と思います。(*´з`)タブンネ
きっと「人に見せるためのメイク(&ファッション)」をしなくなったんでしょうね。
だからって他人の目線が全く気にならないわけじゃないんです。
お手洗いとかでメイクに励む女子を見ると、何となく少し恥ずかしい気持ちになってきて、そそくさと立ち去ったり。
でも、自分が傷つけられたり居心地悪くならない程度にやっていればOK。
そうやって割り切れるようになりました。
これはやっぱり結婚したことが大きいのかもしれません。
なぜ女子が着飾るか。
「そうするのが好きだから」というのもあるでしょう。
でも、知らず知らず刷り込まれたイメージ・価値観によるところもあると思います。
先日、Podcast『Over the Sun』でも言っていましたが、女性は小さい頃から「幸せになること」を刷り込まれています。
そして、その多くは
「結婚=幸せ」
「好きな人と相思相愛になること=幸せ」
だったりします。
そうした結婚・恋愛至上主義の価値観の中では、他の女性と競争することになります。
で、競争で勝つ手段の1つが、外見を磨くことなわけです。
それが本当に男性に効くのかは本来全く別な話だけど。
だから、無事?に結婚し、自分の見栄えで男性に気に入られたり他の女性と競争する必要がなくなったことで、着飾るのをやめてシンプル化していっているのは、ある意味当然なのでしょう。
シンプルはラクだ、ラクは正義だ
シンプルに対する感度や好き嫌いって、人それぞれです。
でも、少なくともわたしにとっては、ファッションや美容に関してシンプルであることは、端的に言ってラクです。
ファッションはともかく、美容(メイクやスキンケアなど)って、「する」にしても「しない」にしても、賛否両論あります。
※しない=たとえば今のわたしなら肌断食・湯シャンなど
美容業界って広告など社会的な影響力も大きく、情報も溢れています。
どの説(情報)がどれくらい正しいかはよくわかりません。
今正しいとされていることが引っくり返ることも往々にしてあります。
また、今やっている行いが、将来的にどう影響してくるかも未知数です。
ある人に起きた影響が、自分にも同様に影響するかもわかりません。
本当に自分が今やっている方法でいいのか、不安がないわけじゃないんですよね。
でも・・・ラクです。
今のわたしには「ラク」は正義です。
全方位がんばったり努力するなんて、自分が持たないもの。
前回こんなことも書いていました。
全部をシンプルにすれば物足りなく。
といって、全てを複雑化すればドンと疲弊してしまう。
だから、どちらかだけに淘汰されることもなければ、反動から他方を求めるようになったりするのかもしれません。
これって進化なのかな?
もしかしたら退化なのかな?
自分をラクにして生きやすくしていくため。
そう考えれば、シンプル化=進化なのだとわたしは思いたいです。
どんなに手抜き・ズボラであったとしたって、変化を起こす以上、対応・馴染むのにはパワーを必要とします。
だから、きっとそれも進化なんだと思うのです。
ではまた。
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