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100点やめて60点を目指す ご自愛ブログ

2020.4うつ休職→薬を使わない治療で2022.4正式復職。自分と仲良く&自分に優しくありたい。

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【Day389】すでに十分グローバル|これも1つのジェネレーションギャップ?

 

こんにちは、emustanyです!

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

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昨日は、2月ぶりの美容院へ。

伸びてぐちゃぐちゃだった髪が整い、髪色も落ち着いて、ひと安心です。

 

鏡越しに見えるお客さんで、腰くらいまでの髪の方がいました。

あの長さを毎日洗って乾かして・・・大変だろうなぁ。

 

わたしがここ最近の記憶で一番長かったのは結婚式の時で、胸下くらい。

長い方がラクなところもあるけど、毎日の洗って乾かしてを思うと、もうあんな長くなんて絶対できないなぁ。

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いまどきの子どもって十分グローバルだよねと思う


昨日電車に乗りながら、ふと、上のタイトルのようなことを思いました。

 

 

正確に言うなら、子どもがグローバルっていうか、少なくとも東京(のさらに言うなら都心部の環境って結構グローバルと言えるんじゃないの?と。

 

まぁ「グローバル」って何なの?っていうのはあるんですが。

 

 

 

 

 

自分が小さい頃、周りに「外国人」と呼ばれる人って、ほとんどいませんでした。

 

※「外国人」の定義があいまいですが、ご容赦を。(外国籍、だと帰化したなど日本国籍を持つ方は含まれないから、ちょっと違う。)


 

 

わたしは小5で北海道に山村留学するまでは、東京都下に住んでいました。

ミシュラン取った山がある、雪の日の中継でよく使われる、最近だと高齢者のワクチン接種で報道があった市です。(笑)

 

 

小4までの記憶の中に、いわゆる「外国人」がいたような風景って思い出せないのです。

 

学校のクラスメイトにもいなかったし、ご近所にも住んでなかったし、町中で見かけることもなかった。

 

 

もちろん、もしかしたらいたのかもしれない。

 

でも、少なくともわたしは認知していなかったみたい。

 

 

 

「ハーフ(※)」の子だって、いたかどうか怪しい。

 

(※)
「ハーフ」は否定的なニュアンスを持つことから、今は「国際児」とか「ダブル」とか「ミックス」とか、いろいろ呼び方があるようですね。どれも定着していない気がするけど。。

「ハーフ」「日本人」を考える(上):結局、何と呼べばいいの? | nippon.com

 

 

 

・・・あ!

 

1人思い出しました!(ΦωΦ)

 

 

 

でもそれくらい。

 

しばし考えてやっと出てくるくらいです。

 

 

 

 

電車とか町中で見聞きする言葉はどうだったか。

 

たぶん英語くらいはあったと思うけど、今みたいに中国語や韓国語を、ここまで当たり前に見たり聞いたりすることってなかったんじゃないのかな。

 

 

今って、ちょっと浅草とか銀座とか観光地に行くと、英語・中国語・韓国語だけじゃなくて、タイ語とかマレー語とかベトナム語っぽい(どれなのかはわたしには分からないけど。苦笑)東南アジア系の言葉もよく耳にします。

 

ラグビーW杯の時期に電車乗っていた時なんて、そこら中ドイツ語を大声で話すデカい人達ばかりだったな。

 

 

 

 

横文字だってこんなに溢れていたかなぁと思います。

 

何でもかんでも、英語に置き換えて表現したり、アルファベット表記する文化も、今ほどじゃなかったんじゃなかろうか。

#まぁこれはわたしが幼くて知らなかっただけで、雑誌とかファッションとかでは当時からそういう風潮はあったのかもしれないけど。

 

 

 

各国料理のお店だって、きっと増えてるんじゃないんですかね?

 

わたしはずっと同じ場所に住んでいるわけじゃないので、定点観測的な増減はよく分からないんですが。

 

ここら辺はインド料理が多いとか、エリアにもよるかな。 

 

 

 

 

 

今は・・・

 

 

家から一歩外に出れば、当たり前に「外国人」に会うし、町中ではいろいろな外国語が耳に入ってきます。

 

「ハーフ」っぽい顔立ちの人もよく見かけるし、TVでも日本語を流暢に話す「外国人」や「ハーフ」タレントの方もたくさん見かけます。

 

海外の様子はインターネットでリアルタイムに知ることができるし、海外にいる人とも時間や距離を超えて交流できます。

 

 

 

 

こんな環境で育った(育つ)子どもたちって、きっと、全然自分とは感覚違うんだろうなと思うのです。

 

 

お店や電車で、自分の近くに「外国人」がいても、ギョッとしたり居心地悪くなったりもしないだろうし。

 

喋る能力としてバイリンガルになるほどじゃないにしても、耳はいいかもしれない。

 

 

ごくごく自然に、”そこに在るもの” として馴染んで育つんじゃないのかしら。

 

 

 

 

 

それに対して、昔の感覚を持った大人たち。(苦笑)

 

その多くは英語コンプレックスがあったりして、「この先は英語ができないとダメだ」と一生懸命勉強したり、子どもにもスクールに通わせたりいろいろするんだろうな。

 

 

 

でもそれって、彼ら(子ども)にとっては、下手したらコンプレックスの植え付けになる気がします。

 

 

だって、彼らの未来には、言語の壁なんてかなり低くなっているはずです。

 

 

「ほんやくこんにゃく」はそう遠くない未来に実現するでしょう。

 

今だって、やろうと思えば【音声入力x自動翻訳】で、だいたい何言ってるかなんて分かるので、そんな必死に学ぶ必要性を感じないんじゃないだろうか。

 

 

もちろん今すぐ必要なら、そして好きならどんどん学べばいいと思いますが。

 

 

 

 

こういう世代間のギャップって、水面下でどんどん進んでいる(いく)気がします。

 

 

「英語を話せるか」みたいな表層的な、能力的なことだけじゃなくて。

 

もっと根底の、「世界をどう見るか」という価値観、色眼鏡みたいなところ。

 

 

 

 

そりゃあ、東京など大都市圏での感覚と、地方・田舎の感覚はちょっと違うかもしれないけど。

 

でも地方・田舎だって、町おこしとか施策で「外国人」がたくさんいるところなんて、いくらでもありますよね。(わたしのイメージですが)

 

 

 

言ってしまえば、いわゆるジェネレーションギャップの一例でしかないのだけど、ひと回り以上年下の世代とは確実に感覚違うんだろうなと思うと、ちょっと考えさせられます。

 

うらやましい気もするし、この先どうなっていくのか読めないなというところも。

 

 

 

 

今はきっとまだまだ過渡期で、5年10年もしたら「グローバル」とか「ダイバーシティ」とか「多様化」なんて、当たり前すぎて死語になっているのかもしれませんね。 

(5年じゃまだ早いかな)

 

 

 

※※※

ちなみにこの記事では「外国人」や「ハーフ」などの言葉を使いましたが、わたし自身にその言葉を使うことによる差別的・否定的な意味は一切ありません。悪しからず!

 

 

 

 

*おわり*

 

 

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次回更新でまたお会いできますように!(*´ω`*)エヘヘ 

 

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