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100点やめて60点を目指す ご自愛ブログ

2020.4に休職、「薬を使わないうつ病治療」を経て、2022.4に正式復職。自分を育て直す旅が始まりました。

【Day611】親の離婚証人になった日|たくさんの「悲しい」と夫の愛と

 

こんにちは、emustanyです!

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

最近立体的なマスクつけている人、急に増えてません?

※こういうやつ。

 

気になっているのですが、「似合わなかったら嫌だな」「サイズやフィット感はどうなんだろう」などいろいろ思って、どうも決心ができません。

 

失敗する練習と思って、チャレンジしてみますか・・・。

 

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f:id:emustany:20211205225251p:plain

 

□□□ もくじ □□□

 

決戦終了しました


昨日、実家行ってきました。

忌まわしい緑の紙に署名捺印するために。

 

【実家訪問の目的】については、こちらをどうぞ。

 

家族と会うのは、去年7月以来です。

父・母・兄、皆一様に元気そうで何よりでした。

 

 

13時半ごろ着いて、実家を出たのは19時過ぎ。

 

 

離婚について、ようやくもろもろ具体的に目処がついたとは言っても、家の雰囲気はギスギスしたものでした。

2人が同じ空間にいるだけで、すぐ火花が散りそうな空気が漂っていました。

 

母はリビング・父は別室、という感じで、4人一緒に過ごす時間はさほど長くありませんでした。

願わくば、「最後くらいみんなで和やかに過ごしたい」という気持ちもありましたが、無理な願いだったようです。

 

 

それでも、やっぱり集まることにして良かったと思います。

最初は郵送でやり取りするなんて話もありましたが、ちゃんと顔を見て話せただけでも良かった。

 

特に父は、月末には沖縄県民となる予定なので、なかなか会えなくなります。

スマホの件とかいろいろあったけど、後味悪いままサヨナラにならなくて良かった。

 

 

メインイベントの離婚届については、ちょっとだけすったもんだしました。

 

もともと両親は記入済みだったのですが、父の記載箇所に母が誤りを発見。

母に「私が言うと揉めるから、emustanyが言ってきて」と言われ、仕方なく別室にいる父に伝言。

 

新しい紙に父が書き直し、続いて母が書いていたら、今度は母が書き間違い。

コントかよ。(もしくは白ヤギ黒ヤギか)

 

ようやく、兄とわたしが証人欄を埋める番。

すると、兄の欄は印鑑の朱肉が水っぽくて捺し直しだわ、わたしの方は本籍地の住所がもしかして合っていないかもだわで・・・。

 

いやいや、証人も「本籍地」を書くなんて聞いてないし!

まぁ証人ってそこまで大した意味はないらしいし、調べられれることもなかろうと、結局あいまいなまま書きましたけどね。

 

 

本籍地って、きっと結婚時の住所にする人が多いんだと思うんですけど。

 

我々夫婦は、なぜかとあるスポットの住所にしちゃったんですよね。

そしたら提出時に、「その住所はない、番地が足りない」とか何とか言われて、その場で訂正した覚えがあります。

 

結果、ちゃんとした住所を覚えていないのです。

そのスポットをググったところで、訂正したってことはたぶんそれも正しくないわけで。

 

ま、本籍地を必要とすることって、そうそうないだろうから良いのだけど。

 

 

どうにか最後は、4人最後の「記念写真」を撮り、兄と帰路につきました。

 

最初、父も母も写真を撮るのは嫌がりました。

が、ここは譲れんとばかりに「わたしのために協力して」と言い、どうにか実現させました。

 

きっとみんな、これを見て懐かしむ日が来るはず。

そう願っています。

 

 

 

帰宅後やってきた感情の波


実家にいる間は大丈夫だったのですが・・・

帰宅するとホッとしたのか、感情の波がやってきました。

 

 

主な感情は「悲しい」でした。

 

両親が仲良くしてくれなくて、悲しい。

お父さんがお母さんを大事にしてくれなくて、悲しい。

お母さんがお父さんを大事にしてくれなくて、悲しい。

 

そして。

わたしは役に立てなくて、悲しい。

 

 

「ここで一緒にいるのが地獄なんだ」と言う父。

「あの人はあなたが思うような人じゃない」と言う母。

 

2人が互いと離れたがっているのが、悲しい。

 

 

父が発つその日。

2人はどんな別れ方をするのだろうか。

 

「今までありがとう」?

「元気で」?

「お世話になりました」?

「またいつか」?

 

どんな気持ちで家を離れ、どんな気持ちで見送るのだろう。

このシーンを想像するだけで、胸が苦しくて、悲しい。

 

 

これまで長らく気を張ってきたはず。

相手にイライラしたり、一触即発の雰囲気で過ごしたり。

 

でも、その相手がいない生活になったら、張り合いがなくなるんじゃないか。

開放感もあるかもしれないけど、ガクッと来るんじゃないか。

何とか自分を奮い立たせようとして、無理をしたり、何かに依存したりするんじゃないか。

 

そんな姿を想像しては、やっぱり悲しい。

 

 

 

 

”宇宙人” な兄との会話


悲しいと同時に、責める気持ちも出てきます。

 

もっと早くにどうにかできなかったのか。

もっと努力できなかったのか。

本当にもう元には戻れないのか。

違う道や方法はないのか。

 

 

途中駅まで一緒に帰った兄と、少し話したんです。

「もっと努力できなかったのか」ってこと。

 

それから、以前カウンセラーに

お母さんが幸せそうじゃなかったのは、幸せになる気がなかったからなんじゃないかな。

それはお母さん自身の問題。

と言われた話も。

 

●カウンセラーの言葉については、このあたりで出てきます。

 

 

すると兄は、こう返してきました。

2人ともたくさん努力をしてきて、その末のこれなのかもしれないよ。

これが、出来うる最良の結末だったのかもしれない。

 

過去のどこかの時点で、こうなる未来が決まってしまっていたのかもしれないね。

月並みだけど、お父さんが退職して家にいるようになった時とか。

 

努力するのって確かに素晴らしいこと。

でも、努力すれば変わる・変えられるって言うのは、僕たちが苦しむ要因にもなるよね。

努力すればできる・努力すべきなのに、そうしない・できない自分は悪、って。

 

どんなに努力してもダメってことだってある。

努力すべき・努力すればどうにかできるって考え方には固執しない方が、自分のためになるんじゃないかな。

 

きっと2人とも十分努力してのこの結果なんだよ。

そう思った方が救いがあるんじゃないかって、僕は思うよ。 

 

 

それから、こんなことも言っていました。

僕らには僕らの生活がある。

ドライかもしれないけど、僕は両親もあくまで他人だと割り切って考える方が良いんじゃないかなと思うよ。

 

君は、線引きできないくらい自分事のように感じたり、どうにかしたいってなっちゃうんだろうけど。

 

僕たちは両極端の自己防衛策を取ってるのかもしれないね。

 

 

これまで兄は宇宙人のような存在だったんです。

 

年も離れているし、性格や志向/嗜好も全然違うし、一緒に過ごした時間も短くて。

何考えているかわからないし、感情のないロボットのようにさえ思っていました。

 

加えて、兄のうつ治療については疑問(もしくは不満?)を持っていました。

わたしよりずっと前にうつ病になった兄ですが、治療は投薬のみで、わたしには兄は本気で治す気がないように見えていました。

 

 

しかし昨日。

先ほど書いたこと以外もいろいろと話をする中で、兄の人間らしい部分であったり、彼なりに自分の不調に向き合ってきたことが垣間見えました。

 

そのことは少しわたしを嬉しくさせました。

兄を頼もしく、誇りに思う気持ちもよみがえってきました。

 

 

40歳前後のわたしたち兄妹。

これから先も、両親のことでいろいろな問題が出てくると思います。

 

兄妹でうまいこと協力しながら、1つ1つ乗り越えていかなければなりません。

そのためには、わだかまりや不信感は小さいに越したことはありません。

 

 

正直、まだまだ宇宙人的な部分はあります。

もともとそんなに頻繁に会ったり話したりしていなかったし、昨日だってかなり久しぶりの再会だったくらいで。

 

しかし、ここでもまた「対話」していくことの大事さを改めて感じたのでした。

 

 

【兄】については、このあたりの記事をどうぞ。

 

 

 

夫の優しさが沁みた


兄と途中で別れて、自宅最寄り駅に着いたのは21時。

 

改札を出ると、夫が迎えに来てくれていました。

手にはわたしのストールを持って。

 

手をつなぎ帰宅すると、お風呂も沸かしてくれていました。

 

 

実は夫にはおととい、こう伝えてありました。

1つワガママを聞いてほしいんだ。

明日わたしはそれなりにダメージを受けて帰ってくると思う。

優しく包み込んでくれたら嬉しい。

 

これがあったから、迎えに来てくれたんだと思います。

 

「もしかしたら来てくれるかも」という淡い期待の一方で、「期待してはいけない」とも思っていました。

彼の姿を見た瞬間は、すごく嬉しかった。

 

ストールもお風呂も想像していなかったので、さらに嬉しくなりました。

 

 

お風呂に浸かっていると、ポロポロと涙が出てきました。

 

「悲しい」の気持ちでいっぱいでした。

涙を流しながら、ひとつひとつの「悲しい」を言語化しながら見つめました。

 

一方では、夫の優しさに触れて、嬉しいやら感謝の気持ちやらも溢れてきました。

「あの人で良かった」
「あの人と一緒ならわたしは大丈夫」

そんな安堵感や確信も感じていました。

 

 

両親の夫婦関係は、ずっと反面教師として見てきたんです。

自分と両親とを一体化して見ては、「自分たちは彼らのようにならないように(なってはいけない)」と意識してきました。

 

でも、本当は自分と両親とは切り離して見るべきなんですよね。

両親達がうまくいこうがいかまいが、それは彼らの問題。

自分たちが両親達と同じようにしたところで、両親達と同じ結果になるとは限らない。

 

わたしはこの辺の境界線がぐちゃぐちゃなんだと思います。

 

 

これまでも、夫に対して「この人には足を向けて寝られない!」と思う出来事が何度もありました。

今回もまた夫に救われて、一層その気持ちが強くなりました。

 

夫に負けないよう、わたしももっともっと大きな愛で夫を包みたいものです。

 

 

 

 

前を向くために


いろいろ書きましたが、正直なところ、心中は複雑です。

 

離婚を「受け止める」までは、できている気がする。

でも、「受け入れる」となると、やっぱりもう少し時間がかかるかなという感じ。

 

 

親は親、自分は自分。

親も結局は他人。

自分が大切にすべき・向き合うべきは夫。

 

それはわかったんですけどね。

 

 

マインドフルネス的なことで言えば、

「悲しいと感じているんだね」
「複雑な気持ちなんだね」
「抵抗感があるんだね」

と、ただただ気づいて認めるだけでいいはず。

 

そして

「そっかー、そりゃ悲しいよねぇ」
「抵抗感を感じるのも当たり前だよ」

と、大事な友だちに接するように寄り添う。

 

「そんなこと感じちゃいけない」と無理に抑えつけない。

「こんな弱い自分じゃダメだ」と否定もしない。

 

「ポジティブに考えなきゃ」
「早く前に進まなきゃ」

と焦って尻叩きしたりしない。

 

 

そうやってある程度 ”感じきる” ことで、前を向けるようになるのでしょうね。

 

考えてみれば、親の離婚に対して悲しい気持ちや、心配・不安というのは、きっと今しか感じられないもの。

だから、下手にふたをしたり誤魔化したりせず、存分に感じておけばいい。

そうしてもOKなんだよ、と自分に許可しようと思いました。

 

 

そうしながらも、自分がすでに持っている大事なものにも目を向ける。

気持ちを伝え、感謝の意を示し、彼の・自分の愛をとことん感じる。

 

 

そんな感じでやっていこうと思います。

 

 

ではまた。

 

 

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