こんにちは、emustanyです!
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
/////////////////////////////////////////////////////////////////////
昨日、母への手紙を投函しました。
手紙を封筒に入れて封をしてからポストに投函するまで、心はずっとザワザワ。
「本当にこれを出して大丈夫だろうか」
「母はこれを読んでどんな反応をするだろうか」
あとは野となれ山となれ。
きっと悪いことは起こらないはずと信じて。
/////////////////////////////////////////////////////////////////////
珍しく・・・でもそんな日もあるよね
今日は4月リワークの第3回でしたが、お休みしました。
これまで毎月さまざまなリワークに参加してきましたが、途中回を欠席することはありませんでした。
ちなみに、カウンセリングとは違って、リワークの場合はキャンセル料はかかりません。
欠席することを決めたのは今朝です。
8時過ぎに目が覚め、隣で寝ている夫をぼんやりと見ながら、しばし逡巡していました。
こうなった時、自分が出す答えはほぼ「NO」となることを、わたしは知っています。
何となく気乗りしない、あるいは嫌気がして、会社を休む時も同じでした。
前日夜までは行く気でいることも多いのですが、朝起きて「行かない」という選択肢を脳内に発見すると、そのことばかり考えてしまいます。
行かない理由をどうつけようかと、頭がフル回転します。
休職直前の頃は、前日夜からずっとどう休むか考えているということも多かったです。
行かないなら行かないなりに、自分の中で「正当」「真っ当」「問題がない」理由を必要とします。
ただ「行きたくない」というのは、自分の中では許されないのですね。
今日もそう。
「今月のリワークは、前回のおさらい+新しいワークという構成だから、仮に今日出なく次回(最終回)に出れば、今日やったワークも押さえられるから大丈夫。」
これで、納得しました。
本当は、こんなグチャグチャ理由つけなくていいんだと思います。
理由を必要とするのは、自分の中で「出なきゃいけない」「出るべき」と思っているからです。
でも、リワークはそんな強制力のあるものじゃない。
出なきゃ死ぬ、命がかかっているわけでもない。
もっとラクに考えてもいいはず。
もっと「出たいかどうか」に焦点を当てて考えてもいいはず。
昨日紹介した本に、こんなくだりがあります。
いつも時間が足りない。どうしたらいい?
「ほんとうは、やらなければいけないことはなにもない。」
そう三度、声に出してみてください。
余分な方の力が抜けるはずです。
ふ~。
はい、抜けた。
本来やらなければいけないことはなにもないんです。
だって死ぬときは、僕らは得たものをすべて手放して、死んでいくんです。
裸で生まれて、なに一つ持たずにあの世に行く。
それなのに、やらなければいけないことなどあるわけがない。
絶対に得なければいけないものもないのです。
「やらなければいけないことはなにもない」という考えの前提にあるのは、
「自分はそれほどにパーフェクトな存在だ」という認識です。
なにかを「やる」前に、パーフェクトで「ある」ことです。
そのゆとりの中に人間の底力は宿っています。
いのちはゆとりのなかでこそ、芽吹きます。
花が美しいことに、風が清々しいことに、水が澄んでいることに根拠はいらないように、あなたが素晴らしいことにも根拠はいらない。
いつか素晴らしくなるんじゃない。
いま、この瞬間に素晴らしいんだ。
今朝のわたしがなぜ、リワークに行くか行かないか逡巡したのか、理由はよく分かりません。
「準備が面倒」とか、「行くとかえって疲れる」とか、「何となく行く気分じゃない」とか、まぁいろいろあるでしょう。
でもそういう風に思った自分のことを、『受け入れ、認め、ゆるし、愛している』ということ・・・。
だから、休んでもいい。
それでいい。これでいい。
*おわり*
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
次回更新でまたお会いできますように!(*´ω`*)エヘヘ
◎ランキング参加しています。
「応援してやるか」と気が向いた日には、ポチッとしていただけたら嬉しいです。
◎よろしければこちらでもお待ちしています。('ω')ノ
【Instagram】https://www.instagram.com/emustany/
【Twitter】https://twitter.com/emustany
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲