こんにちは、emustanyです!
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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本日、2020年4月4日に休職の診断書を受けてから丸1年を迎えました。
これで正式?に「休職して丸1年」です。
今日から、以下のように変更しようと思います。
- ブログのタイトル
『休職 はじめました。』→『休職 はじめました。【Season2】』 - 記事のタイトル
【休職〇日目】→【Day〇】
ブログタイトルは、「休職はじめました」がおさまり良すぎて捨てられず。(苦笑)
『"2年目の" 休職はじめました』とか、『休職2年生 はじめました』とか、ほかのパターンも考えていたんですが、結局シンプルに伝わるものにしました。
心機一転、できるだけ毎日更新で続けていこうと思います。
今後とも、よろしくお願いします!(*´▽`*)
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あっという間の1年間だった
はい、そんなわけで、無事?休職して1周年を迎えました。
昨日は青春18きっぷの旅で結構疲れていたのもあるのでしょうが、なんと、驚異の10時間睡眠を達成しました。(笑)
休職したばかりの頃(というかその直前まで)は、23時に寝て5時台に起きるような生活がデフォルトだったので、ずいぶんと眠るようになったもんです。
#まぁ今日は休日だったから余計によく寝たということもありますが。
最近ふと気が向いて、初診&再診時の録音を聞き返したんです。
診察時間は初診の時(2019年12月)が40分ほど、再診の時(2020年4月)は30分ほど。
当たり前かもしれないけど、先生の態度は今とあまり変わらない雰囲気で、話の内容も一貫性があり、何だか安心します。
わたしの声調は、初診時に比べて再診時は覇気がない感じがしました。
たぶんこの時はもう、諦めモードというか、ほぼ休職するつもりで受診したからでしょう。
再診時の会話の中で、診断書の病名と期間をどうするか、先生から尋ねられるシーンがあります。
一般的なクリニックでは、医者が患者にそれを問うなど有り得ないのでしょうね。(苦笑)
先生の意図は、病名や期間を聞かれていろいろと逡巡する、その時にどんな思考が頭の中で繰り広げられているかを観察してほしいからなんですよね。
今はその意図がよく分かります。
わたしは、病名を「うつ」とするか、「自律神経失調症」とするかで迷っていました。
その時の思考を振り返ってみると
- 「うつ」は精神的、「自律神経失調症」は身体的な不調というイメージ。
→「うつ」の方が会社とか職場の人に与えるインパクトは大きそう。
→「自律神経失調症」で休職というのはあまり聞いたことがなく、それが妥当なものとして受け入れられるのか分からない。
→「うつ」だと妥当で受け入れられやすそうだが、復帰時にものすごく気を遣われそう。
→「うつ」だと上司に迷惑がかかるのではないか。それは不本意。 - 自分は本当に「休むべき状態」なのか、分からない・自信が持てない。
→誰が見ても休むに値する・休むのが妥当と思われるほど、自分は本当に不調なのだろうか。(もしそうでないなら、休んではいけない・何か言われるのではないか)
こうした思考から、透けて見えるのは
『「うつ」だと良くも悪くもインパクトが強すぎる気がする。でも「自律神経失調症」では休むのが妥当と思われにくく、ずる休みっぽく思われるのではないか』
という、ひたすら他者からどう見えるかばかり気にしている自分の姿。
今だってそういう思考が全くなくなったわけではないけど、少なくとも今だったら
『まぁ休むための口実としてはどっちでもいいや』
くらいには思えるかもしれません。
コロナの影響で、何だかぼんやりとした1年だったけど、過ぎてみればあっという間でした。
ぼんやりとした中でも、隔週ペースで診察やカウンセリングに通い、毎月リワークを受けてきたことで、少しずつですが変化もある気がしています。
ちょっとずつ、自分の ”鎧” を脱いだり着替えたりしている感じかな。
「うわ、こんな鎧も着てたのか!」と気づいたり、
「なんだこれ、脱ぎたいけど全然脱げない!」ともがいたり、
「なんでこんな鎧を着るようになったの?」と探ったり。
たぶん鎧を全て脱ぎ去ることはできないし、そこまでしなくていいんだと思います。
これまでの自分を守ってきてくれた鎧でもあるのだから。
だけど、重かったり古かったり、自分が自由に動くのに支障があるのであれば、試しに脱いでみたり、軽くて気分がいいものに新調してみる。
何となくそんなイメージでいます。
休職してよかったこと、得られたもの
「本当にこれでいいのか?」と葛藤しながらも思い切って休職したわけですが、失ったものはいろいろあると思います。
その一方で、休職したからこそ得られたものだって、きっと多くあったはず。
まだまだ絶賛休職中なわけですが、1周年を迎え、少し考えてみました。
①自分のことをよく考えるようになった
自分のことは、自分が一番よく知っている。
そう思っていました。
誰よりも付き合いが長いし、就活の時など折々で自己分析もしてきたし、一番の理解者は自分だと。
ですが、知っているつもりで知らなかった、見ているつもりで見ていなかった。
実は全然理解していなかったんだなと思うようになりました。
ある出来事に対して、自分がどう感じたり、どう考えるのか。
なぜそう感じ、考えるのか。
すべて明らかになったわけじゃないけれど、自分の反応やその背景に興味を持つようになりましたね。
渦中にいる時はちょっとそれどころじゃないけれど、時間を置いてから、できるだけ客観的かつ公平に振り返ってみる。
そんなクセがついてきたように思います。
②自分に優しくしたい、仲良くなりたいと思うようになった
自分の思考癖(自動思考)や、無意識な中でのセルフトークについて知ることで、今までいかに自分で自分を追い込んだり尻たたきをしてきたか、気づくことができました。
もしこれが友だち関係なら、いじめに近い、嫌な友だちです。
自分のことを理解すればするほど、これからはもっと、自分に優しくしたくなりました。
ケンカばかりの両親を見て育ったことで、人の言動を読みすぎたり、機嫌を伺うようなクセがつきました。
さらに、「人と違う方がいい」という母の価値観が、自分と他者を比べるクセを強化したように思います。
母は父のことを「だらしない」とよく愚痴っていましたが、わたしの「きちんとさん」の性格はここから来ているかもしれません。
母からは褒められたり認められた記憶があまりなく、他者、特に今は夫に対してそれを求めてしまいます。
「べきねば思考」や「完璧主義」も、恐らくは母のこうした価値観・言動によって、正解が分からないながらも何とか認めてほしくて、試行錯誤した結果でしょう。
楽しかった山村留学も、親の庇護のない環境で過ごすことが、自分のことは自分でしなければならない、人に頼ったり甘えてはいけない、という過剰な自律心につながったように思います。
別に悲劇のヒロインぶるつもりはなく、わたしだけが特別なわけでもないと思います。
ただ、周りの環境にどうにか適応しようと一所懸命やってきた幼き(若き)自分に気づく度、「大変だったよね」「がんばったんだね」とヨシヨシしてあげたくなるのです。
うまい付き合い方を探るのはまだまだこれからですが、少しずつ優しくしてあげたいと思っています。
③その他
#③で「その他」って、まとめすぎですが。(苦笑)①と②がそれだけ大きかったということで、お見逃しください。
ほか、小粒ながら休職してよかったこと・得られたものというと、こんなものがあります。
- 季節の移ろいや自然の良さを感じることができた
※これは休職だけでなく、コロナの影響もありますが・・・
毎日好きな時間に寝て起きて、仕事する夫の傍らで家事に勤しみ、たまにクリニックに行く以外は基本的には遠出することもなく、手近なところで過ごす日々。
そんな代り映えのしない毎日でも飽きずに過ごしてこれたのは、日々の暮らしの中に季節の移ろいを感じることができたからかもしれません。
散歩に行くと、今まであまり気にも留めなかった様々な植物たちに目を遣ることが増え、あれが咲いた・これが散ったと一喜一憂。
また、家で過ごしていると、オフィスとは違って日の長さや気温の高低に敏感になりました。
太陽が出ているだけですごく嬉しかったり、観葉植物たちが元気がないと心配になったり、虫や鳥の声に耳を傾けてみたり。
こういうことって、心に余裕がないと、小さな変化に気づかなかったり、有難みを感じられないですよね。
- 「”専業主婦” 体験」ができた
仕事を休むことで、思いがけず、母と同じ ”専業主婦” を体験できました。
休職以前ももちろん家事はしていたわけですが、改めて向き合ってみると、やってもやってもキリがない世界だなと痛感しました。
いわゆる ”仕事” と同様に、家事だって頭は使うし、効率的に進めなきゃだし、骨も折れるので、立派な仕事のひとつだとわたしは思います。
だけど、家事は仕事と違って、賃金のような分かりやすい対価もなければ、明確な終わりやゴールもないまま、毎日延々と続くので、”専業主婦” という職業は結構ツラいかもしれないなと思いました。
もちろん「ちょうどいい」とか「無理のない」範囲でやればいいんでしょうけど、わたしのようなタイプはなかなか手抜きができないので、余計にしんどいかもしれません。
本当は、休職=療養中であるので、「仕事しない代わりに家事をがんばる」というのは本末転倒なのに、やっぱり仕事をしていないことの罪悪感や無価値観を拭いたくて、一生懸命やってしまうところもありました。
これもまた、気持ちの余裕が必要なのかなと思います。
家事は嫌いじゃない(洗濯とか料理は結構好き)けど、”専業主婦” に向いているかというと微妙かも、と思ったのでした。
- 収入減を経験できた
社会人になって十数年、毎月決まった日になれば給与が振り込まれる生活でした。
その額も、決して豪遊できるようなものではないとは言え、毎年少しずつ増えていくのが当たり前。
(有難いことに)自分の収入が減る日が来るなんて、考えたこともありませんでした。
はじめの半年間は、基本給が全額支給されていて、収入面での影響はほぼありませんでした。
しかし半年を過ぎてからはこれが減額となり、これまでと同じように生活費や貯金を供出できなくなりました。
当たり前に受け取り続けてきたもの(しかも増え続けてきたもの)が減る恐怖や不安と言ったらありません。
途端に足下がおぼつかない、グラグラした気持ちになりました。
幸いなことに、我が家は夫と二馬力&子どももいないので、収入減がすぐに生活困窮につながることはありません。
それでも少し、今後のことを考えさせられました。
- 夫との時間をたくさん持てた
オフィス勤務のままであっても、あるいはコロナ以降の在宅勤務生活であっても、ふたりとも仕事をしている状況では、夫との時間はこの1年ほど多くなかったと思います。
もちろん今だって、夫の勤務中はさすがにベッタリできません。
ただ、例えばコーヒーやおやつを持って行くタイミングや、夫がトイレ休憩のタイミングで、息抜きになるように声を掛けたり、ガス抜きになるよう愚痴を聞いたりはします。
今までなら、夫との時間は夜ごはん~寝るまでの時間くらいでしたが、今はもう少しこまめに話したりもでき、そのことが嬉しいなと思います。
ただ、これもやっぱり気持ちの余裕があってこそ。
コロナ禍で顔を合わせる時間が増えたことで、夫婦仲が悪くなったりストレスを感じるようになったという話もよく聞きます。
我が家(というかわたし)もまだまだ、ちょうどいい距離感を探っている最中、ですかね。
- ブログを1年続けられた
最後は(これが最後かよ!って感じですが)このブログのこと。
どうにかこうにか、こうして開設1周年を迎えるまで続けてこられました。
ちなみに1年続けてきての成績としてはこんな感じ。
1年で269記事書きました。(※この記事は270記事目)
1日で2記事書いた時もありますが、平均すれば2日に1記事以上となりますので、上出来です。
しがないブログですが、継続して読んでくださる読者の方の存在は本当に励みになっていますし、コメント・スター・ブックマークも毎回嬉しいです。
最初の頃は、「休職 はじめました」というタイトルのブログなのに、休職や病気に関すること以外を書くか若干悩むこともありました。
が、それも休職者のありのままの姿かなと思い、気にせず書くようになりました。
おかげで、ともすればただただ過ぎていく(特にコロナ禍で)ぼんやりとした日々も、何だか1つ1つ意味のあるものだったように感じられます。
これは・・・ある意味財産ですね。
そんなわけで。
休職したからこそ得られたものもいろいろあったなと、しみじみ思います。
「うつ(自律神経失調症)で1年以上休職」なんて聞くと、どうしてもネガティブに捉えてしまいがち。
わたしだって、誰か知人がそういう状況だと聞けば、何となく居心地が悪いような、少し哀れんだ表情を浮かべてしまうんだと思います。
だけど、きっと1年前の分かれ道で「休職」という選択肢を選んだからこそ出会えた自分や景色があったはず。
誰がどう言おうと、自分だけは肯定的に捉えたいものです。
今日からまた、気持ち新たに。
三歩進んで二歩下がったり、もしかしたらふりだしに戻ったりもするかもしれないけど、歩き続けるしかありませんね。
でも、もうできるだけお尻は叩かないように。
ぼちぼちいこうと思います。
*おわり*
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次回更新でまたお会いできますように!(*´ω`*)エヘヘ
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