こんにちは、emustanyです!
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
11月も残すところ2日。
否、今日はもう終わりですから、もはや残り1日ですね。(=_=)
12月になると俄かに高まる年末感・・・。
昨日は、夫の兄・妹家族ときょうだい会をしました。
久しぶりに義兄宅の猫、そして義理の姪っ子ちゃんにも会えて、穏やかで楽しい時間を過ごしました。
この年末は、2年ぶりに帰省して家族や親せきと再会する人も多いでしょうね。
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□□□ もくじ □□□
1本目の決戦終了、結果は?
前回の記事に、こう書いておりました。
診察では「復帰可能」の診断書を出してもらうことになるでしょう。
決定ではありませんが、ほぼ確実かなと思っています。
▽
▽
▽
無事・・・
「復帰可能」の・・・・
診断書を・・・・・
受領・・・・・・
しました!
#ゴチかよ。(ΦωΦ)
まぁブログに書いていたくらいですからね。
ほぼこうなると踏んでいたわけで、特段驚いたり何だりはなかったんですけど。
実際の診断書の書面上の表現としては、こんな感じです。
病名:自律神経失調症
上記病名にて、現在加療休業中であるが、
病状軽快し、2021年12月1日頃より復職可能と考えられる。
復職後当面の間は、仕事の質量に関し、
心身に過大な負担がかからないよう、配慮が必要と考えられる。
「12月1日頃から」となっていますが、12月1日から復職は・・・しません!(苦笑)
先日書いたように、この診断書をトリガに復帰向け手続きが開始となります。
今の見立てとしては、1月の復職審査会にかけて、OKなら1月中旬から慣らし勤務スタートという見込みです。
ドキドキしますね。
診察で先生と話したこと
診察では、いつも通り始めに体調面を少し報告して、あとは気分・気持ち面をメインに話しました。
後者に関しては、①復職について、②両親の離婚について、を話しました。
①復帰についての気持ち
ここに関しては、
- 「戻るかぁ」という気持ちが半分
- 「戻らなきゃ」という気持ちが半分
といったところ。
積極的に「戻ろう」とならないのは、不安が隠せないから。
「うまくやれるかな」「仕事ちゃんとできるかな」って気持ちと。
「がんばりすぎちゃわないかな」「再発したらどうしよう」って気持ちと。
また、仕事が始まれば、どうしたって今ほどには家庭・生活にかまけられなくなってしまいます。
サラリーマンとして仕事する限り、ある程度それは仕方ないことでしょう。
とはいえ、せっかく休職中に「わたしはワークよりライフを大事にしたい」という、”ワークライフバランス観” に気づいたわけです。
復帰して、どのようにこの価値観を実現していくかは大きな課題となりそうです。
あとは、今の生活が終わってしまうことの寂しさも大きいですかね。
1年半以上、仕事・会社に縛られない ”自由気まま” な療養生活を送ってきて。
休職してから始めたこともあれば、小さいことだけど挑戦してみたり、変化させてきたこともあります。
そうしたこと1つ1つに対して、自分がどんな気持ちや考えを抱いているのか、じっくりじっくり見ていく時間を過ごすことができました。
過去の自分を振り返ることも、人生イチやってきたと思います。
こんな時間の過ごし方はもうできないのかもと思うと、とても寂しい。
消化不良を起こすんじゃないかと不安な気持ちも。
自分の気持ちや考えに目を向けること。
過去の体験や環境との関連を探ってみること。
このような、一度ついた習慣はそう簡単になくなったりはしないはずと信じつつも、自分との対話は意識して続けていきたいものです。
きっとそれがセルフケア(あるいはセルフコンパッションやレジスタンス)になると思うので。
ちなみに先生には、もっとざっくりとしか話していません。
こうやってブログに書きながら、「具体的にはどういうこと?」「なぜそう思ったんだろう?」と掘り下げていくクセがついた。
これだけでも、きっと成長なんだと思っています。
②両親の離婚について
先生には、
- 長引いていた離婚話が、年内決着(=離婚成立&別居)するらしい
- 離婚届の証人はわたしと兄が署名することになった
- 離婚も証人になるのも抵抗感はあるし悲しい
→でも、少なくとも自分の気持ちを伝える努力はしたし、ようやく最近「親とわたしは違う人間」と腹落ちして、成長したのかなと思う - 親の離婚話と自分の不調・休職が時期的にリンクしているようで、一種の通過儀礼のようなものだったのかと思うようになった
こんな話をしました。
2点目に関し、先生は「ああそう・・・子どもに書かせるの」と。
そのトーンからは、 ”子どもにそんなことさせるなんて残酷な親だね” と言っている感じがしました。
最後の点について、わたしが「まぁこじつけとか、単なる偶然かもしれないけど」と付け加えると、先生はこう言いました。
それが事実か・正しいかどうかというより、あなたにとってしっくり来るなら、それでいいんですよ。
今のそのストーリーは、あくまで ”今のあなたが書いた小説” なんです。
40歳とか50歳になれば、また違う小説を書くかもしれないけど、そういうもんです。
”小説” というのは、なるほどなぁと思いました。
それなら確かに、同じ出来事だとしても書き手・読み手によって異なるストーリーになりますし、登場人物それぞれに過去や感情や考え方がありますもんね。
先生曰く、表層的な病状(ex.うつ症状、不眠)や、環境・状況(ex.パワハラ、過労)の裏に、解消できていない、あるいは抑圧しているプライベートな課題がある、というのはよくあることなんだそう。
わたしの不調も、表向きは仕事面の影響が大きかった。
でも本当に向き合うべき課題は、時を同じくして起こった両親の離婚話だった、ということなのかもしれません。
それが、”今のわたしが書いた小説” ということなのでしょう。
ついに歯車が回り始めました
土曜の診察から週が明けて、今朝は産業医面談。
「12/1頃から復職可能」の診断書が出た旨を、報告しました。
これを受けて、面談では今後の進め方について具体的に確認。
1月の復職審査会に向けた資料作成のため、12月に入ったら産業医や職場(新旧上司)と、ヒアリング面談を何度か実施することとなりました。
手始めに、来週会社に行くことになりました。
途端にドキドキです。
最初は9時からと言われたのですが、午後一に調整してもらいました。
というのも、9時となると電車はラッシュど真ん中になりますし、会社の最寄り駅はその時間は「超」混むので、出来る限り避けたいところ。
一度は「復帰すればこの時間出社することもあるから」と言われました。
それはもちろん全くその通りなんですが、コロナだってあるし、ダメ元で交渉してみました。
結果、無事調整してもらえて、ひと安心。
以前なら妥協していたかもしれないけど、主張してみるもんですね。
交渉にあたっては、リワークで何度もやってきたIメッセージや、主張的な自己表現も意識しました。
休職中に「言いにくいことを言っても大丈夫、嫌われない」という経験を、少しずつ積んでこれたのも大きかったと思います。
面談を終えると、
「もう引き返せない」
「本当に大丈夫だろうか」
「久しぶりに上司(旧)と会うの、ちょっと怖いな」
「産業医や上司(新)と初めて対面するのも、ドキドキする」
「家事の再分担とか、早く進めて慣れておかなくちゃ」
いろんな不安や恐れが湧いてきて、ドキドキしました。
「復職する時は、みんな不安になるものだから。」
方々でそう聞いてきたし、頭ではわかっています。
が、わかってはいても、自分事となるとなかなか冷静にはいかないものです。
できることとしては、そういう自分を否定したり、無理やり説得したり抑えつけようとしないことでしょうかね。
「不安に感じてるんだね」「怖いんだよね」
と気づいて受け止めて、
「うまくいくに越したことはないけど」
「失敗してもいい」「命取られるわけじゃない」
「きっと大丈夫」「なんとかなる」
と、何度も言い聞かせていく。
面談を、相手から評価される場のように考えない。
少しずつ慣らしていく、新しいやり方を試していく。
その練習をしていけばいいんだ、と意味づけする。
そんな感じでしょうか。
いずれにしても、賽は投げられたわけです。
でも、だからって「絶対完璧にやり通さなきゃいけない」わけではない。
まずは淡々と、やるべきことをできる範囲(と思うマイナス30%くらい)でやっていくことを目標に。
来週を考えるとまたドキドキしますが。
その前にはもう1つの決戦(離婚の調印会)が控えているし、今からずっとドキドキするのもね。。
これからしばらく、自分の心には負荷がかかるだろうことだけは、きちんと認識して過ごしていきたいと思います。
人気3種(サーモン・ねぎとろ・まぐろ)のよくばりごはん。間違いない。
美味しいもの食べて、心も満たしていこう。(こぶた的発想)
ではまた。
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