こんにちは、emustanyです!
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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先日、気になっていた『スマホ脳』を読みました。
読了後から、スマホを寝室ではなくリビングに置いて寝たり、昼間もスマホでしかできないこと以外はPCでやるようにしています。
(※本質的なところは ”スマホ=NG、PC=OK” ではないと思います)
物理的に触らない時間を増やして、触らないことに慣れていきたいです。
不要なアプリがないか、その通知は本当に必要か、退会できるサービスはないか、といったデジタル断捨離も並行で進めていきたいところです。
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マスク破れても変わらぬ笑顔姿が何だか痛々しい・・・おつかれさま。
何で家事をサボったり止められないのか
今日は昨日の続きです。
復帰に向けて「これはちゃんと時間取って考えておいた方が良さそうだ」と思った、【仕事と家事とのバランス】について。
単に復帰後の生活で夫との家事分担をどうするかっていう話ではありません。
自分にとって「家事」、あるいは「家族の存在」や「プライベートな時間」が、どんな意味を持つものなのかをハッキリさせて言語化しておきたいのです。
「あぁなんだ、『ワークライフバランス』ね。」って思いました?
まぁそうっちゃそうなんですけど、どうも『ワークライフバランス』って言葉、昔からちょっと違和感というか、「何か・・・そうじゃない」と思っていまして。
んー、『ライフ with ワーク』とかかな。(´ー`)
#まぁ英語は何でもいいんだけど。
この前のリワークのところでも書きましたが、少なくとも今(まで)のわたしにとっては仕事ってあくまでも「ライスワーク(rice work)」なんだと思うんです。
もしこれが「ライフワーク(life work)」と呼べるようなものになったならば、そりゃあ『ワークライフバランス』でしょう。
時間は有限ですから、ライフとワーク、うまくバランス取って両輪回していかねばならないですよね。
しかし「ライスワーク」、すなわち「仕事=ご飯食べる(=生活)ため」である以上、わたしにとっての比重はあくまで《ライフ > ワーク》なんです。
ここを間違った、というか《ワーク > ライフ》と比重が逆転してしまったことが、不調→休職に至った要因の1つなんだろうなと今となっては思うのです。
2019年12月に初診するまでの日々、そしてその後、2020年3月の毎日在宅勤務生活を経て、4月に再診&休職するに至るまで。
ここで共通して起きていたのは、《ワーク > ライフ》となってしまっていたこと。
これは時間的にも、気持ち的にも、です。
特に、2020年3月の在宅勤務生活というのは、家というプライベート空間にいるのに仕事が入りこんできた、しかも夫婦とも、毎日、という初めての経験でした。
もちろん、それまでも在宅勤務をすることはありました。
が、多くても週2回ですし、夫も一緒に在宅勤務をすることなどありませんでした。
家にいて夫もいる・・・
その状況は、まるで帰宅後とか週末といったプライベート時間。
それなのに、仕事をしなければならないし、当然仕事用の振る舞いをしなければならない。
家にいるのに、家のことをできない。
家にいるのに、仕事を優先しなければならない。
家にいるのに、家のことを犠牲にしなければならない。
急に始まったことなので慣れの問題もあっただろうし、上のような考え方をしていたからので余計そうなったのでしょうが、まーーーこれが恐らく結構なストレスになっていたんだろうなと。
休職して分かったのは、どうやらわたしにとって「家事」(や「家族の存在」や「プライベートな時間」も)は思っていたよりもすごく大事なもののようだということ。
本当は ”ライフ” にはいろいろな要素があるはずだけど、どうも「家事」はその大きな部分を占めているらしい。
実際、「休職者」という、ある意味「何もしなくてもOK」という身分になったにも関わらず、わたしは家事をやめられませんでした。
カウンセリングなどでは、「したくなければ家事はしなくていい」とか、「ストレスや負担になるなら、サボったり手抜きして、それに慣れていくこと」とか・・・
散々いろいろ言われてきたわけです。
でも、わたしにとってそれは、いくら頭で理解してもどうしても積極的にはできなくて、やらなければ今度は罪悪感が出てきてしまうのでした。
家事を投げ出したりおろそかにできず、つい頑張ってしまう。
いや、むしろ頑張りたいのかもしれない。
その理由(原因)は、何なのだろう?
先生やカウンセラーと話してもいないので確信は持てないのですが、家事というとまず分かりやすいのは母の影響でしょう。
母が家事をしている姿や口ぐせ、家事についてどんなことを言っていたかを少し思い出してみました。
- 母は専業主婦で「稼ぎがない」ことが引け目となって、父に大きなことを言えなかった。
- 母は家事が好きとか丁寧な暮らしを志向していたタイプではない。
- 子どもが小さい頃、父は会社優先で、今で言うワンオペ育児だった。
- 子どもがひきつけや熱を出した時に麻雀?で帰ってこなかった、という話をよくしていた。
- 母は、父は薄給だったが、自身がやりくりしたから貯金やローン完済や教育費を賄えたという自負がある。
- 服など自分用に買いたいものや海外旅行のお金は、家計費ではなく自身の貯金?から出していたと言っていた。
- 母にとって特に気になるのは恐らくキッチンや水回りの汚れ。それ以外の例えば掃除機掛けとか物の整理については(気にならないわけではないだろうが)あまり文句を言っていない。
- 母が気になる父の行動(よく文句聞くもの)は、
・料理してキッチンを汚す、掃除しても雑
・料理してくれても味が合わない(父の味付けが濃い)
・洗い物が雑
・食べ物のカスを足元に落とす
・汚れがあっても「目が悪いから」と言い訳する
・お風呂場の排水溝の髪の毛を放置する- 母は父のことを「だらしない」「いいかげん」「ずるい」と言う。(本人には言わない)
- 母の口ぐせは「なんで人の後始末ばっかり」。
- 母は料理が好きでも得意でもなかったが、外食はあまりしなかったし、レトルトもあまり使わず、手作りしてくれていた。誕生日とか季節行事の時にはケーキを焼いたりご馳走を作ってくれた。
- 母はブランド品やおしゃれやメイクに興味がなく、どちらかというとバカにしていた。
何だか書いていると泣きたくなってきます。
この気持ちが母への気持ち(つらかったね・大変だったね、という共感)なのか、父への気持ち(可哀そう、という哀れみ)なのか・・・
よく分かりません。
たぶんどっちもある気がします。
透けて見えてくる母の腹の中というのは、
「やりたくないけど仕方なくやっていた」とか
「やっても認められない不満」とか
「家のために自己犠牲してきた」とか
「父=せっかくきれいにしても汚す奴」とか・・・
わたしが生まれたのは1980年代ですが、当時はまだまだ ”男は外で働き、女は家で家を守る” といった、この時代ならではの影響もあったとは思います。
あとは、母は4人兄妹の末っ子でわりと甘やかされて育ったとか、母の実家は商売をやっていてお手伝いさんもいたとか、4月生まれなので勉強とか何かと有利だったとか、諸々育った環境・境遇から形成された価値観や性格もあったでしょう。
こういう母の姿や言葉は、わたしにどんな影響を与えたのか。
恐らくですが、
- 家事はしっかりやらないといけない。
- 家の中はきちんと・ちゃんと・きれいにしているべき。
- 料理は毎日作るべき。(手作りで)
- だらしない、いいかげん=悪。
こういったものは母から来ているものでしょう。
夫は父とは違う人なんだし、時代背景や夫婦の関係(母は専業主婦だったけどわたしは共働き)も違います。
本当は母の価値観をそのまま引き継がなくてもいいはず。
だけど、結局は無意識の中にハッキリとこうした価値観が根付いていたようです。
母からの影響というのが最も大きいところを占めていそうだとは思うのですが、ほかにも影響がありそうかなと思うのは山村留学の経験。
以前にも何度か書いていますが、わたしは小5~中3までの5年間、北海道十勝で山村留学をしていました。
5年間のうち、最初3年間は寮で過ごし、残り2年はホームステイで生活していました。
寮やホームステイというのは、家族以外との共同生活です。
自分を守ってくれる親から離れ、他の子どもたち(タメとは限らない)や他の家庭の人と生活する中で自然と身に付けてきたであろう価値観や思考癖もありそうです。
パッと思いつくところだと、
- 他の子と同じように親に助けてもらったり頼ることはできない。(物理的にも精神的にも)
- 自分のことは自分でやる。
- 人に迷惑をかけてはいけない。
- わがままや無理を言ってはいけない。
- 甘えてはいけない。
- 問題は自分で解決しないといけない。
- ルールには従わないといけない。
まぁこのように、必然的に自立&自律的にならざるを得なかったわけです。
だからって、その間まったく親から自由だったかと言えばそうでもなかったんですよね。
一つ強烈に覚えているエピソードとしては、母と手紙をやりとりしていたのですが、返信しないと母に怒られるということ。
数年前、実家で自分の荷物整理をしていた時に出てきた当時の手紙を見ていたら、
「またあなたから返事が来ませんね。」
「ちゃんとそちらでの近況を知らせてください。」
とか、今読んでも若干キツく感じるような口調の言葉が並んでいて、びっくりしました。
また、山村留学を終えてから高校生以降、母からはたまに
「山村留学に5年も行かせたのは間違いだったかもしれない」
「親の目が届かないところに長く行かせすぎた」
といったことを言われました。
そういえば「ろくに本を読まない子になった」 ともよく言われたな。
#確かに今でこそ本はそこそこ読むけど、小説は昔からあんまり読まないなぁ。
自分自身にとって、山村留学をしていた5年間は本当に今でもかけがえのない宝物のような経験なのですが、母のこうした言葉を思い返すたび、
「自分には良いことでも母にとっては失敗だったんだ」
と、何とも苦い、後ろめたい気持ちになります。
親不孝なことをした、母の望む子になれなかった、申し訳ない、という罪の意識でしょうか。
だから、高校で実家に戻ってきてからは、きっとそれをひっくり返すべく期待に応えよう(または期待を裏切らない)としたり、母に認めてもらったり喜んでもらえるよう一層努めたかもしれません。
無意識ですけどね。
そして、恐らくですが、それは今も続いているんだと思います。
家事というものにおいて、母の価値観を一生懸命実践することで、母に認められたり喜んでもらおうとしているのかも。
だけど、「自分のことは自分でやる」が基本で、「わがままや無理を言ってはいけない」「甘えてはいけない」と思っているので、なかなか人に任せたり頼ったりできないし、抱え込んでしまう。
まして「問題は自分で解決しないといけない」だから、仕事と家事のバランスがおかしくなってストレスを感じていても、「自分がもっと頑張る」ことで解決しようと無理をしてしまった。
いっそ仕事にかまけることができたなら楽だったと思います。
でもそうできず、家事をおろそかにできなかった(したくなかった)のは、やはり母の存在を意識してたからなのかもしれないなと。
長くなってしまいました。
ざっくりまとめると、ここまで書いてきたのはこういうこと。
- わたしにとって、仕事とはライスワークである。(少なくとも今は)
- 本当は《ライフ > ワーク》としたいのに、休職直前は《ワーク > ライフ》となってしまい、大きなストレスがかかったようだ。
- ライフの中で「家事」は大きな部分を占めているらしく、手を抜きたくても抜けない、やらないと罪悪感を感じるようなもの。
- 恐らくここには母の価値観が影響しているのではないか。山村留学の経験も輪をかけている可能性がある。
- わたしは母の価値観で家事を頑張ることで、無意識に母に認めてもらったり喜んでもらおうとしているのかもしれない。
で、これを踏まえて、復帰にどう活かしていくか、ですよね。
#本当はそれをじっくり考えたかったのに、前段の分析がこんなに長くなってしまった。。
途中、SurfaceのOSのアップデートを挟んだり外出していたりして、もう時間がなくなってしまったので(※23時を過ぎて眠いというのはナイショ)、これまた明日に続きを書こうと思います!
いやー、完全に意図せず超大作!( ̄▽ ̄;)
でもこの辺の話はちゃんと押さえておかないと、また同じこと繰り返しかねないのでね。。
よろしければまたお付き合いくださいね。(´ー`)
*おわり*
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次回更新でまたお会いできますように!(*´ω`*)エヘヘ
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