こんにちは、emustanyです。
いつもいつも、ありがたいのよ夫さん
今週のお題「感謝したいこと」
朝、出社する夫を駅まで見送りがてらスタバに行くのが好きです。
でも今は緊縮財政中!コーヒー飲むだけなら家でもできる!NO スタバ!
昨夜そんなことをポロリと言ったら、夫から
行きなさい、行きなさい。
心地よく過ごせる時間、自分がやりたいことをやることが大事よ。俺はemustanyにそうしてほしいよ。
緊縮財政て言ったって、幸い即困るような状況じゃないんだから、自分を押さえつけたり、”~べき・ねば” ばっかりで行動するのはやめなさい。
と言われました。
夫よ、毎回毎回、何でそうも ”できるやつ” なんだ。
一体全体、どう育ったらそんなに達観して優しくできるんだ。
うらやましい。。
ということで、ありがたくスタバ行かせてもらいました。
おかげでようやく今季初の「クランベリーブリスバー」をいただけました。
夫が帰ってきたら「ありがとう」「おかげで良い時間を過ごせたよ」って言おうっと。
書いてはみたが、まだモヤってるHSP
昨日、昨今のHSPブーム?について思うことを書きました。
改めて読み直すと、書き直したり補足したいと思う部分がチラホラ。。
書き終わってからもずっとぼんやり考えていました。
何でこんなにもHSPに違和感があるのか。
取り急ぎ出た答えとしては、たぶんわたしの違和感は、個々の特徴・事象・症状を「HSP」としてまとめて扱うところにあるのかなぁと。
自己診断では各項目にYES・NOで答える形になってるようだけど、本当はそれぞれ尺度(例えば1~10の10段階とか、発生頻度・確率とか、その時のダメージ度とか)があると思うんです。
それと、項目の内容には身体的なダメージに直結するものもあれば、行動面につながるもの、こころ・気持ちに影響するものもあります。
何となくそれって、それぞれ別なんじゃないの?と思うんですね。
ものによって対処の方法が違うのではと。
うーん、うまく言えないのがもどかしいんですが。
ざっくり言うと、あの診断で同じ10点をマークしたとしても、人によって何に反応しやすいか、どれくらい影響があるかというのは違うのでは?ということなんです。
例えば、ある人は他の人の行動に影響を受けやすくて、対処としてはその場から離れるとかカウンセリングを受けるなど。
違うある人は光やにおいに敏感で頭痛など身体的症状が出る、だから対処としては対症療法的な治療を行うなど。
これらが個々にある状態では、あくまで個々の性質・病気としてそれぞれの対処を行うだけではないのかと。
で、それが全方位的に当てはまった時に初めて「HSP」という「超敏感・繊細な人」という気質として扱えるようになるんじゃないのかなぁ。
あれ?
あんまり言ってること、変わらないですかね?^^;
HSPという気質があること自体は認めているんです。(偉そうな言い方だけど)
だけど、わたしとしては全方位的に敏感・繊細な人=HSPと捉えているので、
「本当にそんなにたくさん(※全人口の15~20%、約5人に1人がHSPと言われています)いるもんなの?」
とどうしても思ってしまう。
わたしみたいに一部項目が当てはまる人が5人に1人ってレベルじゃないのかなぁ。
全方位的な人が5人に1人なんだとしたら、精神的にも身体的にもつらくて生活に支障がある人が相当多いってことだけど、本当か?
うーん。
考えすぎなのかしら。
何度も言いますが、わたしが書いている意図というのは、HSPとして挙げられている気質で大変な思いをしながら過ごしている人がいること自体を否定するものではありません。
単純にわたし個人にとって、HSPという呼び方・まとめ方・扱い方が何だか腑に落ちない・懐疑的なものである、ということです。
もしかしたらわたしの書いた内容で傷つく方や不快な思いをする方もいるかもしれません。
そのような思いをさせてしまい、申し訳ありません。
これ以上傷を負わないよう、そっとページを離れていただければと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
*おわり*