こんにちは、emustanyです。
ちょっと待って、11月下旬というのに今わたし「半袖」なんですけど?
オンラインミーティング
おとといの夜に行われたオンラインミーティングですが、何しろ話が幾分とっ散らかったため、昨日は書きあぐねておりました。^^;
今回、参加者は最多の10名。
うち約半数はわたしを含め、リピーターです。
今回のテーマは『本当の私ってなに?』。
副題/ディスカッションテーマとしては「できるけどやりたくない、でもやるべき?」「できない、でもやらなくちゃ!」「今しているのは、本当にしたいこと?」とされていました。
前回の最後の方に出たある方からの問いを発展させたテーマです。
最後に参加者の一人から、こんな意見(問い)が投げかけられました。
- ある事象に対して「やりたいこと」「やるべきこと」「やれること」がある時、どうやってやることを決めていっているんだろうか。
(※どうやって決めていけばいいんだろうか、を知りたかったのかなと想像します。)
#前回のオンラインミーティングの様子はこちらからどうぞ。
今回はアインシュタイン先生が議論を引っ張っていくというより、参加者同士のフリートークを期待されたこともあって、結構あっちゃこっちゃに話が飛びました。
特に盛り上がったコメントをいくつかご紹介します。
答えのない話なので、皆さんもぜひ一緒に考えてみてください。^^
- 本当の自分っていうのは、良いとこ悪いとこひっくるめて全部。今までのバリバリ働いて自己啓発したり頑張っていた自分も、うつになって自己嫌悪や劣等感の塊になった自分も、すべて本当の自分。ある意味うつになって、今まで無視したり見えていなかった自分が出てきたんじゃないかと思う。
- ネットや本では ”やらなければいけないことなんてない” と見かけるけど本当だろうか?やりたくないこと・できないことだって、実生活の中ではやらなきゃいけない。でもそれってメンタル的にはどうなんだろう。
→一切何もしないと、それはそれで何もしない自分を責めてしまう。
→バランスの問題じゃないか。やりすぎちゃうから苦しくなる。
→心地いいハードルならOKだけど、明らかにハードルが高いなら逃げた方がいいかも。
→ハードルの高低が分からない、自分では無意識の場合もあるから厄介。- もし自分ひとりしかいない世界(あるいは自己完結できる状況)だったら、やるべきこと・やらなきゃと思うことって少ないんじゃないか。
→人にとらわれなくなれば「やるべき」は減りそう。
→「他人(ひと)の目」を気にしているってことなんだろうね。
→好きなこと・やりたいことをやっている時は「他人の目」は気にならない。- やるべきことって、自分で設定しているところがある。やるべきこと(ToDo)をこなしていくことで自分の価値を確認していた。
- 同じやらなきゃならポジティブ・前向きに捉えて取り組もう、って言われたりするけど、それって良いことなんだろうか。
→頭で考えてメリット見出して自分をだましているような・・・とても思考的。
→自分の「飼いならし方」(例えば気分が上がるプレイリストを作っておいて、それを聞きながら取り組むとか)をある程度分かっておくことは有効だと思う。- どうしたらやりたくないことに対して一歩踏み出すことができるか?
→すでに自分のできる範囲から徐々に広げていくとか。
→全く新規、未経験の領域だと失敗が怖くてチャレンジできないかも。
→それもやっぱり他人の目、他の人の評価を気にしているから。- 思ったけど、ホリエモンはきっとこんなこと悩まないよね。
→彼は私たちとは違うと言ってしまうのは簡単だけど、真似られるところがないか見てみてもいいかも。行動から意識が変わることもある。- 「自分が一番変えられないものは何か」って自問してみると、本当の自分が見えてくるかも。
- 本当の自分=1つ、と考えず、場面場面でいろんな役を演じ分けたり、得意な役割を伸ばしていったりするといいのかもしれない。
どうでしょう、何か近い考えなどはありましたか?
ちなみにホリエモンの話を出したのはわたしです。(笑)
なんか、「やりたくないけどやらねば」とか「そのためにはどうすれば」みたいな議論を聞いていて、ふと思ったんですよね。
前回最後の問いを引用すると
ある事象に対して「やりたいこと」「やるべきこと」「やれること」がある時、どうやってやることを決めていっているんだろうか。
ホリエモンには「やりたいこと」と「やれること」しかないんじゃないのかなぁ。
「やるべきこと」は見せていないだけか、もしくはスタッフが支えているか。
それはホリエモンだからできること、と片づけてしまうのは簡単なんだけど、ちょっとくらい彼の姿勢を見習ってもいいかなと思いました。
ついつい「やるべきこと」ばかり気にしてしまうけど、それって必ずしも周りが要求して応えなきゃいけないものとは限らない。
発言にもあったように「自分で設定している」ものも多いはず。
苦しくなる前に、
「それって本当にやるべきことなのかな?そう思い込んでるだけってことはないかな?」
って立ち止まって考えてみるといいかもしれないですね。
断るのは技術だ、慣れだ・・・けど簡単じゃない
今週のお題「ピザ」
水曜日の診察の記事で、両親から来たLINEの件を書きました。
このLINEのきっかけとなった実家訪問は明日の予定です。
上の記事にも書いたように、「モメるなら行きたくない」という主旨のメッセージを思い切って送っていたわけですが、その後どうなったか。
まず、父の反応。
【わたし】を苦しめることになるとは思わず、老耄故の短慮だったと後悔。許せよ!
身動きが取れない状態が続くことで、精神的な劣化現象が起きていると思う。
考えた結果22日は予定通り〇〇へ行くので、君達も予定通りに行動して貰いたい。
文面の固さは気になりますが、一応反省・謝っているように見えます。
恐らく母なら「口だけだ」と言うだろうなと予想します。
一方の母はと言うと、
家族の了解を得てせっかく時間を作ってくれたのに深刻な話になり、ガッカリです。
美味しいピザを作ってあげたかっただけ。
決まった相手に当たり障りの無い話ばかりを取捨選択して会話してる毎日に、疲れてます。
違う相手と、違う話をフランクに話したかったのよ。
といった感じ。
これ、わたし宛のメッセージのようで暗に父を責めていること、気づきますでしょうか。
二人とも当事者以外に対して感情をぶつけてくるのはやめてもらえませんか。
と送った後なのに、まだこういう感じか・・・とちょっとモヤモヤ。
そして一歩遅れて兄から一言。
余裕がないのかコミュニケーションが下手なのか、いずれにせよ皆さん落ち着いて
ケンカしたりするほどの話ではありませんよ
皆さん=両親なのか、わたしも含んで言っているのか知りませんが、いずれにしても素っ気ないというか共感性が低いというか。
両親からの感情的なメッセージが来て、わたしが「感情をぶつけるのはやめて」モメるなら行きたくない」と送ったのが、水曜日。
当日は何も返信はなく、それぞれ上のメッセージが来たのが木曜日。
そして昨日、母から追加でメッセージが届きました。
昨日、ピザの台・チーズ・パプリカなど補充の材料を買って来たよ。
【わたし】も一緒に食べようよ。今日【父】とリハーサルしとくわ。
午前中にこのメッセージが届いてから、わたしはずっと悶々としていました。
行くべきか・断るべきか。
行きたいか・行きたくないか。
母がしきりに「ピザ」と言っているのは、今月は兄の誕生日なのもあり、久しぶりに会う子どもたちに何かしてあげたいのでしょう。
大袈裟かもしれませんが、母にとってピザは子どもたちの共通の思い出の食べ物。
旅行好きの母ですが恐らく一番好きなのはイタリアで、兄ともわたしとも一緒に旅行したことがあります。
彼女の言葉を借りれば「決まった相手に当たり障りの無い話ばかりを取捨選択して会話してる毎日で疲れている」わけで、兄の誕生日やピザを抜きにしても、会うのを楽しみにしてくれているのは確かでしょう。
でもわたしは診察の時にアインシュタイン先生が言っていたサラッと言っていた一言が引っかかっていました。
「私の方が子どもと仲がいいのよって言いたい親もいるんだよね」
子どもからすればどちらの親も大事なのに、4人で会える日ではなく、父が不在の日に3人で会おうとする母。
しきりにピザの話をするところからしても、先生の言うように、無意識ながら父に対して子どもと仲良いのは私だと誇示しているのかもしれない。
今回は離婚関係の話はしないということだったけど、きっと抑えきれず愚痴を聞くことになるでしょう。
それは嫌だ。もう聞きたくない。
でもストレスフルな毎日の中で子どもに会いたい気持ちはよく分かる。
何も大金が欲しいとか旅行に行こうとか言ってるわけじゃない。
ただ子どもに会いたいというだけのささやかな願いを無碍にしていいの?
息子より心理的距離が近いかもしれない娘に断られたら、お母さんは傷つくんじゃないの?
でも・・・今は会うのがつらい。
だけど断ったら・・・取り返しがつかなくなっちゃうのでは?
こんな感じで、母の「おいでよ」にずっと返事できずにいましたが、今日になってようやく断りました。
「先週風邪気味だったし、夫も喉痛めてるみたいだし、時節柄今回はやめておこうと思います。」と。
ちなみに夫のことは嘘です。(昨日軽くケホッとはしてたけど)
母からは
残念ながら了解です。お大事にね。
とわりとあっさり目に返事が来ました。
断っても未だ消えない罪悪感。
ちょっと会いに行くだけなのに、断ってしまった。
お母さんの願いを叶えてあげられなかった。
お母さんを悲しませてしまった。
これがもしかして最期の機会になったかもしれないのに。
断ることができたのは進歩だと思いたいです。
といってスッキリしたかと言えば全然そんなことなくて、本当に後味が悪い。
やっぱりまだまだ、心理的距離もすごく近いし、「お母さんを喜ばせたい病」も強い。
小さい時からずっとやってきたことですから、すぐに切り替えるなんて方が無理で、訓練が必要なのでしょうね。
*おわり*