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100点やめて60点を目指す ご自愛ブログ

2020.4に休職、「薬を使わないうつ病治療」を経て、2022.4に正式復職。自分を育て直す旅が始まりました。

【Day555】パンの香りが呼び覚ます記憶|過去の自分へのエール

 

こんにちは、emustanyです!

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

タイトルをご覧ください。

休職&ブログスタートから555日目を迎えたようです。

 

「5」という数字が好きです。

理由は・・・誕生月が5月だから、ですかね。

#一説では、好きな季節というと誕生月の頃という人が多いとか。

 

みなさんの好きな数字は何ですか?

 

 

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□□□ もくじ □□□

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「散歩 ”道”(どう)」を極めつつある


何度となく書いていますが、すっかり朝散歩の習慣が定着しています。

 

雨が降らない日は、ほぼ毎朝のように散歩に行っています。

#「ほぼ」というのは、気分や体調(生理序盤とか)によって、行かない日もあるから。

 

 

起きる時間に幅がある(5~8時)ので、出発時刻や所要時間はまちまち。

 

とりあえず、最低6000歩は歩くことと、夫の始業時間(9時半)より前に帰るようにはしています。

 

 

 

毎日のことなので、飽きないように、ルートはいくつかあります。

 

最終的に行きつく先は川沿いの遊歩道なのですが、そこに至るまでのルートがいくつも、それこそ無限にあるのです。

 

 

公園の中を突っ切ったり、高速の高架下の遊歩道を歩いたり、住宅街を通ったり。

 

それによって、行きつく川の位置も変わってきます。

 

 

 

どのコースをどっち周りで行くかは、気分次第で気ままに決めています。

 

ルールがあるとすれば、「前日とは違うコースを選ぶ」ことだけ。

 

 

まぁ、仮に同じコースでも、目に入る景色、気づき、思考、そして感じることは違うので、それはそれで問題ないのですけど。

 

 

 

雨の日でも、気にせず散歩に行けたなら「ホンモノ」と思います。

 

でも、きっと前世はネコなわたし(※ちょっと何言ってるかわからない)は、濡れるのが大っ嫌いなので、雨の日はノーサンキューです。

 

 

それでも、ポツポツくらいの小雨なら、よっぽど気分が悪くない限りは行くことが多いですけどね。

 

 

 

香りは一瞬で記憶を呼び覚ます


いくつかあるルートのうち、お気に入りは、パン屋の横を通るコースです。

 

 

言わずと知れた、焼き立てパンの香りがたまりません。

 

思いっきり深呼吸しながら通過します。

 

 

このパン屋は、いわゆる「町のパン屋さん(※)」です。

 

※「町のパン屋さん」とは、デニッシュとかハード系のパンは置いてなくて、アンパンマンの主要キャラ(あんぱん、食パン、カレーパン、メロンパン、ロールパン、ジャムパン、クリームパンなど)で構成されているようなパン屋さんを勝手に意図しています。

 

 

ただ、おそらくですが、ここは業務用のパンも作っているっぽいんですね。

(製造卸って言うんでしょうか)

 

パン屋のある建物の上階に排気口?吹出口?ダクト?が見えるし、表に〇〇食品工業と書かれた車が止まっているので、きっとそうだろうと想像しています。

 

 

 

通常のパン屋さんよりも、多くのパンを作っているからでしょうか。

 

ここを通ると、かなり強めにパンを焼く香りが漂います。

 

 

 

この香りを嗅ぐたび、ブワッと呼び起こされる記憶があるんです。

 

 

 

それは、高校でアメリカに留学した時の記憶。

 

厳密には、朝スクールバスで高校に着くとまず向かう、カフェテリアの風景です。

 

 

わたしは、友だちの勧めでゲットしたフードチケットで、よく朝にカフェテリアで焼き立てのパンを食べていました。

 

小さい食パンというか、ちぎりパンのような形をしていて、紙の箱に乗っていたような記憶があります。

 

 

記憶はあいまいですが、たぶんこのフードチケットは、貧富の差に関係なく子どもが学べるように、というための制度だったんじゃないかと思います。

 

なぜそれを、留学生のわたしが申請した(利用できた)のかは、定かではありません。

 

ホストペアレンツが、朝食作ってくれなかったからかな。

 

 

 

パンを焼く香りというのは、(プロならともかく素人には)だいたい同じです。

 

といって、家庭と違って、カフェテリアや業務用パンを焼くお店から漂う香りは、かなり強いのでしょう。

 

 

だから、今でもこの強めの香りをかぐと、留学時の具体的な記憶が呼び起こされるのだと思います。

 

 

 

今思うと、結構頑張っていたよね


留学に限らず、学生時代の思い出は年々薄れつつあります。

 

でも、今思うと、17歳だった当時の自分は、結構頑張っていたんじゃないかと思うんですよね。

 

 

わたしは、高2~高3にかけての1年間、アメリカのオレゴン州にあるTigard High Schoolというところに通っていました。

 

エージェントを通した、いわゆる私費交換留学です。

 

 

8月末にドキドキしながら成田空港を発ち、サンノゼかサンディエゴで何とかトランジットして、ようやくポートランド空港に到着。

 

 

出迎えてくれたホストファミリーの姿に、「いよいよだ」と意気込み、少しホッとしたのもつかの間・・・

 

空港から家までの車中、ろくに意思疎通ができず、とてもショックを受けました。

 

留学初日から、「もう帰りたい」と随分泣いたのを覚えています。

#山村留学時はまったくホームシックにならなかったことを思うと、言葉が通じない無力感や孤独感が、相当堪えたのでしょうね。

 

 

Junior student(高2相当)として学校に通い、途中でホストチェンジをして、翌年の6月?の卒業式に特別に参列させてもらって帰国するまで。

 

いろいろ苦労や困難もあったけど、よくやったなと思います。

 

とてもじゃないけど、今同じことができるとはちょっと思えない。

 

 

 

当時はスマホはもちろんなく、電子辞書も、英英辞書を搭載していたのはたった2機種という時代。

 

インターネットもまだまだ黎明期で、下手したらダイヤルアップだったかも。

 

 

 

スマホやネットが普及した今留学するなら、どんなにラクかと思います。

 

 

とりあえずGoogle翻訳は使いまくるでしょうね。

 

それにインスタなどで、言語力問わず、いくらでも交流できそうです。

 

 

 

日本にいる家族や友人とも気楽に連絡し合うだろうから、寂しくはなさそう。

 

でも、それだと英語力は伸びにくいかもしれないですね。

 

 

 

ホームステイ先は、途中でチェンジしました。

 

 

最初の家は、お父さんがステップファザーの3人家族で、いわゆる中流~労働者階級だったのかなと思います。

 

家の中が結構荒れていて(messy)、食事は外食や冷凍食品も多い家庭でした。

 

ホストシスターと同室だったのですが、思春期なのか情緒不安定で気難しく、ホストファザーとの関係もあまり良くないので、結構振り回されました。

 

 

 

なんか変じゃない?これが普通なの?

もっと普通で楽しいホストファミリーもいるんじゃないの?

 

 

そう思ってはいたものの、親にはほとんど話しませんでした。

 

きっと「自分で解決しなきゃ」「心配や迷惑をかけてはいけない」という思いがあったんですね。

 

 

しばらく我慢していたものの、やっぱりおかしいんじゃないかと現地コーディネーターに相談したこともありました。

 

しかし、「これがアメリカよ」などと言われて、そんなもんかと受け入れてしまい、その後も我慢を重ねました。

 

 

確か最終的には、親にも話して、日本のコーディネーターづてに再度交渉をしたんだったと思います。

 

親には「もっと早く言えば良かったのに」と言われました。

 

 

チェンジした後の家は、前の家より裕福で精神的余裕もあったようです。

 

いろいろと良くしてくれたので、「終わり良ければ全て良し」で帰国できました。

 

 

本当はもう少し早く、あるいは1回で諦めずに交渉をしていたら、もっと充実した留学生活になっていたのかな、と思います。

 

まぁでも、当時の自分には、あれが精一杯だったかもしれませんね。

 

 

 

 

ずっと自信が持てなかった


英語は中学の頃から好きでした。

 

だからこそ、留学を決意したわけです。

 

 

しかし、それはあくまで教科としての英語の話であって、実生活で活かせるスキルはと言うと、まるでありませんでした。

#まぁ日本の英語教育を考えれば、別に当たり前ですけどね。

 

 

スピーキングはてんでダメだったし、リスニング力もそんな強くなかった。

 

リーディングだって、特別に訓練したわけでもないので、量をこなしたり早く読めるはずもなく。

 

 

でも、そんな英語力でも、1年間ただ過ごしたのではなく、友だちを作り、一学生として高校で授業を受け、異文化のよく分からない環境で生活した。

 

それだけで、全力で褒めるに値します。

 

だって、今の自分からすると、もう同じことができると思えないから。

 

 

 

アメリカの高校は、基本は科目選択制ですが、それでも必修科目はあるんです。

 

留学生であっても、「English」と「US History」は受けざるを得ませんでした。

 

 

「English」って、つまり国語ですよ?

 

「US History」は日本史ですよ?

 

どう考えたって、めちゃめちゃハンデがでかいじゃないですか。

 

 

しかもそれを英語で学ぶんですから。

 

 

宿題もわんさか出るから、かの有名?な分厚くて重い教科書を、お決まりのJANSPORTのリュックに入れて持ち帰ります。

 

知らない単語だらけの教科書を、辞書を片手に、必死で読むことになります。

 

 

何ならレポート課題も結構出ます。

 

そして授業中は、積極的な意見発表が求められます。

 

グループワークなんて日には、「留学生で本当ゴメンナサイ」の極み。

 

 

控えめに言って、地獄でしたね。(=_=)

 

 

 

残念ながら、留学を終える時も、「英語が話せる」と自信を持って言えるレベルにはなりませんでした。

 

でも、言語や文化の壁がありつつも、それなりに友だちはできました。

 

アメリカの高校生活、そして一般家庭の生活を垣間見ることができ、存分に異文化体験もできました。

 

 

 

こう考えると、決して、悪いことや大したことないことばかりの1年だったわけではなかったんだなと思えます。

 

もっと充実した、実りある留学生活にできた余地も、そりゃーありますよ。

 

わたしとは雲泥の差で、素晴らしい留学体験をした方も多いでしょう。

 

 

でも、だからって頑張ってなかったわけじゃない。

 

当時のわたしは、自分のできる範囲で、頑張っていたと思う。

 

 

自分の留学体験には、ずっと引け目を感じるというか、自信がなかったんです。

 

でも、もうそろそろ認めてもいいんじゃないか。

 

もっともっと、褒めてあげたっていいんじゃないか。

 

 

当時のわたしに会えるなら、「よくやっていると思うよ」と抱きしめてあげたい。

 

「どうしたらこの状況を打破できるかな」って、一緒に考えてあげたい。

 

「もっともっと楽しんで」と声をかけてあげたい。

 

 

 

自分にやさしく、理解を示して寄り添う姿勢は、今からでもきっと遅くないですね。

 

 

これからは、パン屋の横を通るたびに、

 

 「よく頑張ったね」

 「わたしにはできないよ」

 「誇りに思う」

 

と声をかけてあげることにしようと思います。

 

 

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なつかしのTigard High School
日本じゃできない体験もたくさんして、良い経験になったな。
(留学時の写真はフィルム写真しかなく・・・残念)

 

ではまた。 

 

 

*おわり*

 

 

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