こんにちは、emustanyです!
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
タイトルをご覧ください。
休職&ブログスタートから555日目を迎えたようです。
「5」という数字が好きです。
理由は・・・誕生月が5月だから、ですかね。
#一説では、好きな季節というと誕生月の頃という人が多いとか。
みなさんの好きな数字は何ですか?
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
□□□ もくじ □□□
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
「散歩 ”道”(どう)」を極めつつある
何度となく書いていますが、すっかり朝散歩の習慣が定着しています。
雨が降らない日は、ほぼ毎朝のように散歩に行っています。
#「ほぼ」というのは、気分や体調(生理序盤とか)によって、行かない日もあるから。
起きる時間に幅がある(5~8時)ので、出発時刻や所要時間はまちまち。
とりあえず、最低6000歩は歩くことと、夫の始業時間(9時半)より前に帰るようにはしています。
毎日のことなので、飽きないように、ルートはいくつかあります。
最終的に行きつく先は川沿いの遊歩道なのですが、そこに至るまでのルートがいくつも、それこそ無限にあるのです。
公園の中を突っ切ったり、高速の高架下の遊歩道を歩いたり、住宅街を通ったり。
それによって、行きつく川の位置も変わってきます。
どのコースをどっち周りで行くかは、気分次第で気ままに決めています。
ルールがあるとすれば、「前日とは違うコースを選ぶ」ことだけ。
まぁ、仮に同じコースでも、目に入る景色、気づき、思考、そして感じることは違うので、それはそれで問題ないのですけど。
雨の日でも、気にせず散歩に行けたなら「ホンモノ」と思います。
でも、きっと前世はネコなわたし(※ちょっと何言ってるかわからない)は、濡れるのが大っ嫌いなので、雨の日はノーサンキューです。
それでも、ポツポツくらいの小雨なら、よっぽど気分が悪くない限りは行くことが多いですけどね。
香りは一瞬で記憶を呼び覚ます
いくつかあるルートのうち、お気に入りは、パン屋の横を通るコースです。
言わずと知れた、焼き立てパンの香りがたまりません。
思いっきり深呼吸しながら通過します。
このパン屋は、いわゆる「町のパン屋さん(※)」です。
※「町のパン屋さん」とは、デニッシュとかハード系のパンは置いてなくて、アンパンマンの主要キャラ(あんぱん、食パン、カレーパン、メロンパン、ロールパン、ジャムパン、クリームパンなど)で構成されているようなパン屋さんを勝手に意図しています。
ただ、おそらくですが、ここは業務用のパンも作っているっぽいんですね。
(製造卸って言うんでしょうか)
パン屋のある建物の上階に排気口?吹出口?ダクト?が見えるし、表に〇〇食品工業と書かれた車が止まっているので、きっとそうだろうと想像しています。
通常のパン屋さんよりも、多くのパンを作っているからでしょうか。
ここを通ると、かなり強めにパンを焼く香りが漂います。
この香りを嗅ぐたび、ブワッと呼び起こされる記憶があるんです。
それは、高校でアメリカに留学した時の記憶。
厳密には、朝スクールバスで高校に着くとまず向かう、カフェテリアの風景です。
わたしは、友だちの勧めでゲットしたフードチケットで、よく朝にカフェテリアで焼き立てのパンを食べていました。
小さい食パンというか、ちぎりパンのような形をしていて、紙の箱に乗っていたような記憶があります。
記憶はあいまいですが、たぶんこのフードチケットは、貧富の差に関係なく子どもが学べるように、というための制度だったんじゃないかと思います。
なぜそれを、留学生のわたしが申請した(利用できた)のかは、定かではありません。
ホストペアレンツが、朝食作ってくれなかったからかな。
パンを焼く香りというのは、(プロならともかく素人には)だいたい同じです。
といって、家庭と違って、カフェテリアや業務用パンを焼くお店から漂う香りは、かなり強いのでしょう。
だから、今でもこの強めの香りをかぐと、留学時の具体的な記憶が呼び起こされるのだと思います。
今思うと、結構頑張っていたよね
留学に限らず、学生時代の思い出は年々薄れつつあります。
でも、今思うと、17歳だった当時の自分は、結構頑張っていたんじゃないかと思うんですよね。
わたしは、高2~高3にかけての1年間、アメリカのオレゴン州にあるTigard High Schoolというところに通っていました。
エージェントを通した、いわゆる私費交換留学です。
8月末にドキドキしながら成田空港を発ち、サンノゼかサンディエゴで何とかトランジットして、ようやくポートランド空港に到着。
出迎えてくれたホストファミリーの姿に、「いよいよだ」と意気込み、少しホッとしたのもつかの間・・・
空港から家までの車中、ろくに意思疎通ができず、とてもショックを受けました。
留学初日から、「もう帰りたい」と随分泣いたのを覚えています。
#山村留学時はまったくホームシックにならなかったことを思うと、言葉が通じない無力感や孤独感が、相当堪えたのでしょうね。
Junior student(高2相当)として学校に通い、途中でホストチェンジをして、翌年の6月?の卒業式に特別に参列させてもらって帰国するまで。
いろいろ苦労や困難もあったけど、よくやったなと思います。
とてもじゃないけど、今同じことができるとはちょっと思えない。
当時はスマホはもちろんなく、電子辞書も、英英辞書を搭載していたのはたった2機種という時代。
インターネットもまだまだ黎明期で、下手したらダイヤルアップだったかも。
スマホやネットが普及した今留学するなら、どんなにラクかと思います。
とりあえずGoogle翻訳は使いまくるでしょうね。
それにインスタなどで、言語力問わず、いくらでも交流できそうです。
日本にいる家族や友人とも気楽に連絡し合うだろうから、寂しくはなさそう。
でも、それだと英語力は伸びにくいかもしれないですね。
ホームステイ先は、途中でチェンジしました。
最初の家は、お父さんがステップファザーの3人家族で、いわゆる中流~労働者階級だったのかなと思います。
家の中が結構荒れていて(messy)、食事は外食や冷凍食品も多い家庭でした。
ホストシスターと同室だったのですが、思春期なのか情緒不安定で気難しく、ホストファザーとの関係もあまり良くないので、結構振り回されました。
なんか変じゃない?これが普通なの?
もっと普通で楽しいホストファミリーもいるんじゃないの?
そう思ってはいたものの、親にはほとんど話しませんでした。
きっと「自分で解決しなきゃ」「心配や迷惑をかけてはいけない」という思いがあったんですね。
しばらく我慢していたものの、やっぱりおかしいんじゃないかと現地コーディネーターに相談したこともありました。
しかし、「これがアメリカよ」などと言われて、そんなもんかと受け入れてしまい、その後も我慢を重ねました。
確か最終的には、親にも話して、日本のコーディネーターづてに再度交渉をしたんだったと思います。
親には「もっと早く言えば良かったのに」と言われました。
チェンジした後の家は、前の家より裕福で精神的余裕もあったようです。
いろいろと良くしてくれたので、「終わり良ければ全て良し」で帰国できました。
本当はもう少し早く、あるいは1回で諦めずに交渉をしていたら、もっと充実した留学生活になっていたのかな、と思います。
まぁでも、当時の自分には、あれが精一杯だったかもしれませんね。
ずっと自信が持てなかった
英語は中学の頃から好きでした。
だからこそ、留学を決意したわけです。
しかし、それはあくまで教科としての英語の話であって、実生活で活かせるスキルはと言うと、まるでありませんでした。
#まぁ日本の英語教育を考えれば、別に当たり前ですけどね。
スピーキングはてんでダメだったし、リスニング力もそんな強くなかった。
リーディングだって、特別に訓練したわけでもないので、量をこなしたり早く読めるはずもなく。
でも、そんな英語力でも、1年間ただ過ごしたのではなく、友だちを作り、一学生として高校で授業を受け、異文化のよく分からない環境で生活した。
それだけで、全力で褒めるに値します。
だって、今の自分からすると、もう同じことができると思えないから。
アメリカの高校は、基本は科目選択制ですが、それでも必修科目はあるんです。
留学生であっても、「English」と「US History」は受けざるを得ませんでした。
「English」って、つまり国語ですよ?
「US History」は日本史ですよ?
どう考えたって、めちゃめちゃハンデがでかいじゃないですか。
しかもそれを英語で学ぶんですから。
宿題もわんさか出るから、かの有名?な分厚くて重い教科書を、お決まりのJANSPORTのリュックに入れて持ち帰ります。
知らない単語だらけの教科書を、辞書を片手に、必死で読むことになります。
何ならレポート課題も結構出ます。
そして授業中は、積極的な意見発表が求められます。
グループワークなんて日には、「留学生で本当ゴメンナサイ」の極み。
控えめに言って、地獄でしたね。(=_=)
残念ながら、留学を終える時も、「英語が話せる」と自信を持って言えるレベルにはなりませんでした。
でも、言語や文化の壁がありつつも、それなりに友だちはできました。
アメリカの高校生活、そして一般家庭の生活を垣間見ることができ、存分に異文化体験もできました。
こう考えると、決して、悪いことや大したことないことばかりの1年だったわけではなかったんだなと思えます。
もっと充実した、実りある留学生活にできた余地も、そりゃーありますよ。
わたしとは雲泥の差で、素晴らしい留学体験をした方も多いでしょう。
でも、だからって頑張ってなかったわけじゃない。
当時のわたしは、自分のできる範囲で、頑張っていたと思う。
自分の留学体験には、ずっと引け目を感じるというか、自信がなかったんです。
でも、もうそろそろ認めてもいいんじゃないか。
もっともっと、褒めてあげたっていいんじゃないか。
当時のわたしに会えるなら、「よくやっていると思うよ」と抱きしめてあげたい。
「どうしたらこの状況を打破できるかな」って、一緒に考えてあげたい。
「もっともっと楽しんで」と声をかけてあげたい。
自分にやさしく、理解を示して寄り添う姿勢は、今からでもきっと遅くないですね。
これからは、パン屋の横を通るたびに、
「よく頑張ったね」
「わたしにはできないよ」
「誇りに思う」
と声をかけてあげることにしようと思います。
日本じゃできない体験もたくさんして、良い経験になったな。
(留学時の写真はフィルム写真しかなく・・・残念)
ではまた。
*おわり*
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
◎ランキング参加中!(良ければポチッとお願いします)
【にほんブログ村】
【人気ブログランキング】
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
◎こちらでも発信中です!(遊びに来てね)
【Instagram】https://www.instagram.com/emustany/
【Twitter】https://twitter.com/emustany
【note】emustany@脱皮しはじめた休職者|note