こんにちは、emustanyです!
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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久しぶりの青空で、朝からとても嬉しい気持ちです。
気温もちょうどいいし、もうずっとこうだったらいいのに!
こんなにも太陽が嬉しいのに、夏が来れば今度は嫌気がさす。
人間って、なんてワガママなんだろう。。
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さぁ書くぞ、昨日のリワークについて
昨日は頭痛もひどくて、リワークについて書けずじまいでした。(; ・`д・´)
今日は体調も回復してきた感じなので、早速書いていきたいと思います。
(早くしないと記憶が飛んじゃう。苦笑)
さて、『身近な人との対人関係スキル(伝え方編)』がテーマの今月のリワークも、早いもので3回目です。
昨日は『自己表現』ということで、「自分の気持ちに目を向け、I(わたし)メッセージで伝えよう」という内容でした。
#第1回、第2回の様子はこちらからどうぞ。
自分の気持ちに目を向ける
自分の気持ちに目を向ける・・・。
簡単に聞こえますが、案外できていない人は多いんじゃないかと思います。
というのも、赤ちゃん→幼少期→学生→社会人へと成長していくにつれ、だんだんと自分の気持ちは把握できなくなっていくものだから。
赤ちゃんはとても素直ですね。
「お腹が空いた」「おむつが汚れた」「抱っこして」など、自分の気持ちをよく把握していて、泣いてアピール(表現)します。
それが、だんだんと大きくなるにつれ、「あれしなさい」「これならいいよ」「それはダメ」などと親や先生から言われているうちに、素直な自己表現をしなくなっていく。
聞き入れられないものより、褒められたり認められたものを強化していくので、表現しない気持ちや考えは、だんだん薄れて忘れ去られていくんだとか。
表現できないと苦しいので、抑圧したり否認して、心の奥底に沈めてしまうことも。
そうして、気持ちや考えをしまい込んでいくうち、自分の素直な気持ち・本心がわからなくなっていってしまう。
だから、大人になるほど自分の気持ちはつかみにくい、ということ。
小さい頃から、無意識に持ち続けてきたこんな考えはないでしょうか?
「人に迷惑をかけてはいけない」
「ものわかりのいい人は好かれる」
「愚痴をこぼしてはいけない」
「文句や反論は言ってはならない」
「泣いてはいけない」
こういうものは、【外的な基準】というそうです。
少し言い換えれば「常識」とか「正しいと思っていること」。
親だけでなく、学校から教え込まれているものもあります。
たとえば学校でよく教室に掲げてあった、「みんな仲良く」とか「一致団結」みたいな、クラス目標もそれにあたります。
大人や社会にとって都合のいい考え、とも言えるかも。(苦笑)
【外的な基準】のみで自分をコントロールしている人もいるかもしれません。
わたしも母の基準はとても大きいですし、多かれ少なかれ、誰しもそういう部分を持っているでしょう。
【外的な基準】が一概に悪いというわけではないのですが、こればかりだと自分の気持ちや考えがわからなくなってしまいます。
【外的な基準】は集団生活をする上で必要だったもの。
ものによっては、自分を守ってきてくれたり、強み・長所になっているものもあるでしょう。
だから、【外的な基準】もひっくるめて、自分の気持ちや考えを大切にしていく。
これが大事なようです。
Iメッセージで伝える
この、自分の気持ちや考えを大切にしていく、というのは一体どういうことなのでしょうか。
表現しない気持ちや考えは薄れ、忘れ去られていくということからすると、やはり表現するのが健全なのでしょう。
で、ここで出てくるのが、Iメッセージです。
Iメッセージについては、アサーション(話す側、聞く側それぞれがお互いを尊重して、率直に自己表現を行なうためのコミュニケーションスキル)として有名ですし、ご存知の方も多いでしょう。
#過去のリワークでも出てきています。
「私は」を主語にして文章をつくることで、ぼんやりしていた自分の気持ちや考えが明確になってくるというもの。
たとえば
- 「どうしよう」
→「私はどうしたらいいか、迷っている」 - 「ぐずぐずしてるのを見ると腹が立つ」
→「私はあなたのやることが遅く感じるので、あなたに早くしてほしい」
人に何かを頼むときも、人からの依頼を断るときも、Iメッセージを使うと主張的に表現できます。
伝わりやすいですし、自分の気持ちや考えをないがしろにせず、尊重することができます。
伝えた先のこと
しかし、コミュニケーションは、相手のあることです。
いくらこちらがIメッセージで主張的に伝えても、相手が自分の気持ちや考えを受け入れてくれるか・どう受け取るかは、相手次第。
ここで出てくるのが、これまた有名な「課題の分離」の考え方。
#こちらも過去のリワークで出てきています。
「課題の分離」って、考え方としてはよくわかるし、役立つものだとは思うんです。
ただ、「この先は相手の課題だから」とするのはどうも冷たい・ドライに感じるし、だから黙らなきゃいけない・これ以上は言っちゃいけないと思うと苦しい。
このことに関し、講師(カウンセラー)は
「相手の課題だからすべて黙りなさいということではない」
「なぜNOと言うのか、なぜそのような考えなのか、相手に聞くことで相互理解を図っていくことが大事」
と言います。
それはそうだけど・・・
それで本当に解決するのだろうか?
気持ちがおさまらない場合はどうしたらいいの?
わたしの頭の中には、現在進行形で頭を悩ませている課題がありました。
「家族からの脱皮」という金言
未だスッキリしないままの、両親・兄との間のワクチン観のやりとり。
親は「打ちたい」、わたしは「打ってほしくない」、兄は「本人がリスク鑑みて決めればいい」というスタンス。
この例で言えば、ワクチンを打つかどうかは両親の課題であって、わたしの課題ではないということになります。
これまで何度となく、Iメッセージを意識しながらわたしは両親に、いかに打ってほしくないか、リスクがあるかを伝えてきました。
が、伝わらない。
いや、伝わってはいるのだけど、「打たない」という選択をどうしても受け入れてもらえない。
このことに、わたしはとても心が重くなっていて、どう気持ちを持ってったらいいやら悩んでいました。
どちらを選択するかは相手の課題だから、と割り切れたならどんなにラクか。
でも、命や健康がかかっているような案件だからこそ、割り切れない。
本来はカウンセリングで話をすべきだろうとは思いつつ、リワーク中に質問として、この件をやんわりと話してみました。
#ワクチン打つ打たないはセンシティブなことなので、ぼかして話しました。
すると講師からは、こんなコメントをもらえました。
家族とか親との関係は、本当に難しいんですよね。
同僚や友人のようには割り切れないし、感情の揺れ幅も大きい。
受け入れてもらえなければ、ショックも大きくなります。
同じ屋根の下で過ごしてきたからこそ、当然価値観も共有しているはずと思ってしまうんですよね。
でも、実は家族も、家だけでなく外との関わりがあって、個々の人格や価値観を持っている存在。
冷たい考えかもしれないけど、やっぱり必ずしも相容れるとは限らないんです。
だから、こうやって意見が対立して折り合えないのは、家族から脱皮をするいいタイミングだと思ったらいいかもしれない。
いつも同じ価値観で、家族の価値観を優先したり受け入れたりしなくてもいい。
「家族からの脱皮」という言葉に、グッときました。
わたしが少し前から言っている、「同じ船に乗っていないと気づいた」とか、「家族の再定義」というのと近いのかもしれません。
幸い、この質問については、ほかの参加者にとっても気づきや参考になる部分があったようで、思い切って聞いてみてよかったなと思いました。
「家族からの脱皮」については、腹落ちするまで、まだしばらく考えていくことになると思います。
結果的に、昨日のリワークのテーマである『自己表現』とは少しずれてしまったけど、自分の中ではまたひとつ大きな学び・気づきが得られた回でした。
*おわり*
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次回更新でまたお会いできますように!(*´ω`*)エヘヘ
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