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100点やめて60点を目指す ご自愛ブログ

2020.4うつ休職→薬を使わない治療で2022.4正式復職。自分と仲良く&自分に優しくありたい。

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【Day412】コロナがあぶり出す家族との関係|また家族LINEの話

  

こんにちは、emustanyです!

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

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おととい昨日に比べて、今日は少し体調良くなった気がします。

 

体温高いのは生理前だからに違いない。

きっとそうだ、絶対そうだ。

(「病は気から」ゆえ、盲信も時には大事)

 

昨日はお休みした朝散歩も、今朝は行ってきてスッキリです。 

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f:id:emustany:20210520144806p:plain

 

目次:
#長くなってしまったのでまた目次を用意いたしました。(;´Д`)

 

 

 

 

まだもめております


ちょいちょい書いていますが、最近どうも家族(両親+兄)とうまくいきません。

 

主にコロナ観・ワクチン観の違いによるものです。

 

 

#この辺りで書いています。 

 

 

簡単に言うと、現在の構図としては

  • 父: ワクチン打ちたい
  • 母: ワクチン打ちたい
  • 兄: 不明(自身の希望に関しての発言がない)
  • わたし: 自分は打ちたくないし、家族にも打ってほしくない

となっています。

 

 

 

ちなみに、夫の家族(両親+兄妹)ではどのような話をしているかはわかりませんし、夫自身はどうしたい・どうするつもりなのかも聞いていません。

#どちらにしても自分たちの順番はまだ先という意識ですが。

 

でも、わたしは夫にも打たないでほしいと思っています。

 

 

 

 

そう簡単に割り切れるもんじゃない


これまでも散々いろいろLINEで言ってきました。

 

そのたびに主に兄から指導的なコメントが入って、散々嫌な思いをしています。

 

 

冗談抜きに、兄のことをこんなにも嫌いだと思ったのは人生初で、自分でもびっくりしてしまうくらい。

 

 

 

だけど、命や健康がかかっているからこそ、「ああそうですか」と簡単に諦めるわけにいかない。

 

諦めたくないし、諦めたらダメだと思っている節すらあります。

 

 

だから、傷ついたり嫌な思いをするとわかってはいても、「次こそわかってくれるかもしれない」と希望を捨てられず、何度もアタックしてしまいます。

#そしてやっぱりボコボコになる、の繰り返し。

 

 

 

諦められたらいいのに、とは思います。

 

どこかで割り切ることも必要なのかもしれません。

 

 

こうもこだわるのは、結局自分のためなんでしょうか。

 

自分の思いを相手に飲み込ませることで、自分がこれ以上心配しなくて済んだり、自分が満足できるから、なのでしょうか。

 

 

相手のためを装っているだけなのかな・・・。

 

 

 

 

最後の?悪あがきを試みる


昨夜、またLINEを送りました。

 

 

その前のやりとりで疲れてしまい、最後のメッセージ(兄→わたし)への返信も、すでに2日ほど寝かしていました。

 

一度は返信を書いたものの、少し時間を置いて見返してからにしようと、保留しておいたんです。

 

 

 

「そんなに嫌なら、やめてしまえ」

「見なきゃ/言わなきゃ/聞かなきゃ/返信しなきゃ/関わらなきゃいい」

 

というのはごもっともな話。

 

 

しかし、(繰り返しになりますが)どうしても割り切れない、諦めきれない。

 

言いたいこと、知ってほしいこと、わかってほしいことが出てきてしまって、心の内にしまっておけなくなります。

 

 

 

言わないことで回避できるストレスもありますが、言わないと溜まるストレスもあるわけで。

 

後者に耐え切れず、メッセージを送ることにしました。

 

 

 

 

わたしが伝えたこと


主に、下記の厚労省の情報を引き合いに出しながら、どうしてわたしがこのワクチンに反対しているか、どんなことを危惧しているのかを、出来る限り伝えました。
↓ 

第58回厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会、令和3年度第5回薬事・食品衛生審議会薬事分科会医薬品等安全対策部会安全対策調査会(合同開催) 資料

 

 

ワクチン接種後の死亡例は5月12日時点で39件。

 

これを多いと見るか少ないと見るか、確率として考えるのはいい。

 

でもどんなに低い確率だったからって、親がそのうちの1人になる可能性を否定できるわけではありません。

 

 

そして、死亡しないまでも、年齢問わず本当にさまざまな副反応は出ていて、倦怠感や筋肉痛程度ならともかく、重篤化するケースもあります。

 

特別承認されたワクチンは、現在行われている接種そのものが治験なわけで、「安全性及び有効性については科学的な不確実性がある」と、厚労省の資料にも明記されているのです。 

 

 

製造元は免責で国が賠償するということになるようですが、わたしは水俣病の例(※)を考えると、因果関係を証明できない/されないという展開になる可能性もあると想像しています。

 

水俣病の例というのは、アインシュタイン先生が2月リワークで課題図書にしていた『水俣病』(原田正純著)という本で知った、当時の国や企業の対応のことを指しています。 

 

 

現に、39件の死亡例においてはいずれも「ワクチン接種との因果関係は評価不可」という結果になっています。

 

コロナ自体は死後に感染確認されても一律コロナ関連死とされるのに、なぜワクチン接種後の死亡はワクチン関連死とされないのでしょう?

 

 

 

第一、今見えているのはあくまで短期的な副反応。

 

長期にわたってどのような影響が出るのかは、まったく未知数です。

 

 

 

まして今回のワクチンは、今回が初の実用化というmRNAワクチン。

 

 

mRNAワクチンというもの自体、長期的にどんな影響があるかわかっていないということではないの?

 

それに、このワクチンで新型コロナには対応できたとしても、他の病気になったときに何かしら悪さをしたり困る事態にな可能性はないの?

 

 

当たり前ですが、わたしは医療には全く明るくないですし、的外れな心配だったりするのかもしれません。

 

 

 

「そんなの当然に専門家・有識者が考えた上で作られているんだよね」と、今までのわたしなら考えていたと思います。

 

 

でも今は、そうは考えられない。

 

これはアインシュタイン先生の影響も大きいですが、権威や専門家が正しい・従っていればいい、とは思えなくなりました。

 

 

 

ワクチンの負の側面や、政府の対応方針、ワクチン推進ばかり論じられている風潮に、どうしても違和感を感じずにはいられないのです。

 

治療薬の話だってほとんど聞こえてこないですよね。

#WHOがイベルメクチン等について非推奨と提言したらしいですが・・・皆さんどう思いますか?

 

 

 

「ワクチンとはそういうもの(メリットもデメリットもある)」

「緊急ワクチンだから、効果不十分とか製造会社免責は致し方ない」

「既存のワクチンにも似たような側面はあった(知らなかっただけ)」

 

こうした言葉で済ませることもできるでしょう。

 

 

 

でもそれは、感情とはまったく別の話です。

 

仮にそういうものだったからと言って、自分の親が死んだり重篤化して苦しむ可能性があると思ったとき、わたしは彼らの「打ちたい」という意思を手放しで受け入れられない。

 

怖くて不安で、やめてって思います。

 

 

 

 

何が正解か、正解があるかすらわからない

 
ずっと言っていますが、コロナ観・ワクチン観の問題って、本当に難しい。

 

 

年齢はもとより、信頼しているメディアや得ている情報は人それぞれ違うし、病気・医療に対する考え方もさまざま。

 

それこそ人生観・死生観がまるで違うので、相容れないのはある意味しかたないのかもしれません。

 

 

 

ワクチンを打っても死なないし、コロナ感染も予防できるし、万が一罹ったとしても重症化しないし、これで元通りの生活を送れてみんなハッピー!

 

 

これならたしかに理想的だし、役所に殺到するほどワクチン打ちたい人の頭の中って、実際こんな感じなのかもしれませんね。

 

 

 

でも・・・

 

ワクチンを打ったら、死ぬかもしれない。

ワクチンを打ったら、重篤な副反応が出るかもしれない。

ワクチンを打ったら、感染しても死なないで済むけど、後遺症で苦しむかもしれない。

ワクチンを打ったけど、感染関係なく死ぬかもしれない。

ワクチンを打たなかった結果、コロナに罹って死ぬかもしれない。

ワクチンを打たなかったけど、感染関係なく死ぬかもしれない。

 

 

たぶん(因果関係が証明できないとなると)無限にストーリーはあって、どのストーリーを選ぶかは、本当に人それぞれなのでしょう。

 

わたしたちは今、その始点となる「ワクチンを打つかどうか」という岐路に立っているわけです。

 

 

 

人生は選択の繰り返しと言います。

 

しかし、今回の選択が今後どうつながっていくか、どれが正解なのか、そもそもそこに正解があるかすら、わからないのです。

 

 

 

 

伝えたら見えた、わたしの欲しかったもの

 
さて、昨夜送ったメッセージでは、わたしの危惧については淡々と論理的に伝えつつ、わたしがどんな気持ちでいるのかもI(わたし)メッセージを意識しながら、いろいろ考えて伝えました。

 

3人それぞれに言いたいことはたくさんあるけど、なんだかもうとても疲れました。

 

今回のように命や健康が絡まないなら、とっくに話をやめていたと思います。

 

でもそうじゃないからこそ、割り切ったり諦められないし、どうにか伝えたくて、それこそ本を227枚もキャプチャしたりしたわけですが…

伝わらないどころか、指導やダメ出しばかり食らって、とても残念な気持ちです。

 

<略>

 

いろいろ言ってきたけど、今回のことで、自分の言葉がこんなにも家族に届かないものなのかと思い知らされました。

 

コロナ観やワクチン観、そして死生観や、日本や世界をどう見ているかは、もちろん人それぞれ違うので、簡単に伝わらないのはある意味当たり前ではありますが…
まさかこんなにも相容れないとはね。

 

これ以上何をどうしたらいいのかわからないし、でも無関心になったり放置もできず、このやるせない、悲しくて複雑な気持ちをどうしたものかと暗澹とした気持ちです。


少なくとも、娘がそういう思いをしているということだけは、ちゃんとわかってほしいし忘れないでほしいです。

そして、本当に今一度考えてみてもらえたらと思います。

 

 

体調も悪いので本当は早寝しようと思っていたのに、厚労省の資料を読んだりメッセージをいじくっているうちに、結局早寝できず。。

 

送ってからすぐ寝たのですが、なかなか寝付けず、睡眠の質にも影響してしまったようです。

 

 

 

今朝見たら、母と兄から返信が来ていました。

 

母のメッセージを見たとき、

「もしかしたらわたしは、母からのこういう言葉や態度をずっと待っていたのかもしれないな」

と思いました。

 

*自分の言葉がこんなにも家族に届かないものなのか思い知らされました
 ↑
届きすぎるくらいよ。ただ、同調出来ないだけ

 

*このやるせない、悲しくて複雑な気持ちをどうしたものかと暗澹とした気持ちです
 ↑
こちらもあなたからのプレッシャーで同じ思いです

 

*少なくとも、娘がそういう思いをしているということだけは
 ↑
思いっきりビンビンと伝わってますよ

 

 

つまり、「あなたの言っていることはちゃんと届いているし、十分理解している」ということ。

 

このことに気づいたとき、もしかしたらわたしは、コロナやワクチンの話を通じて

 「お母さん、わたしのことをわかって!」

 「わたしの話も聞いて!」「少しは認めて!」

とずっと叫んでいたのかもしれない、と思ったんです。

 

 

わたしがどんなに言っても、母には聞き入れてもらえない。

 

わたしの言葉は、母には響かない。

 

 

そんな恐怖心や無力感は、「母はわたしのことを褒めたり認めてくれなかった」という幼少期から来ているのかもしれません。

 

だから、母はちゃんと聞いてくれていたし、むしろ響きすぎて苦しめていた、というのがわかって、報われたような、安心した気持ちになったのでしょう。

 

 

最終的に母は

ワクチンの効果や弊害は何年(何ヶ月)か後にはハッキリするでしょうが、少なくとも今は、考慮の上で最良の判断と思ってるよ

とのことで、考えを変える気はなさそうでした。

 

このことはとても残念だし、やっぱり無力感を感じずにはいられません。

 

とはいえ、わたしがこの先もずっと反対だと言い続ければ、それに応えられないことで母を苦しめてしまいます。

 

 

でもだからといって、すぐ割り切れるかというと、難しい部分はあります。

 

正直どうしたらいいかわかりません。

 

 

ただ、このやりとりの前に抱えていた苦しさは、少しだけ軽くなったような、次のフェーズに進んだかもしれません。

 

 

 

 

我が家的 エポックメイキング 


もう一つ、我が家的に(あるいはわたしだけかもしれませんが)、エポックメイキングなことがありました。

 

それは、わたしがメッセージ最後に送ったこれ。

蛇足ですが、カレンダーとか家計簿上はともかく、こういうところで「N」と表記されるのはあまり好きじゃないので、できたら今後はやめてもらえたらと思います。

 

 

我が家では、昔から各人の名前のイニシャル(アルファベット)を、カレンダーや家計簿の表記で使う習慣があります。

 

この習慣について、これまでは特に何も思わず過ごしていました。

 

 

しかし最近のLINEのやりとりにおいて、兄が「Nはどう思うの?」などと、このイニシャル表記を使うことにずっとモヤモヤしていました。

 

 

もともとがカレンダーや家計簿での表記だったので、主な使用者は母です。

 

しかし兄にこれを使って呼ばれると、何だか自分が見下されているような、人間扱いされていないような、嫌な気分がすることに気づきました。

 

 

たかが表記であって、対面でも「N」と呼ばれるわけじゃない。

 

大したことじゃないと、やり過ごすこともできたでしょう。

 

 

でもこれまでは気づいていなかっただけで、実は自分はずっと嫌だと感じていたのかもしれない。

 

あるいは兄に対する嫌な気持ちが増したことで、急に噴き出たものかもしれません。

 

 

いずれにしても、そのままにしておけば、メッセージを見る度に嫌な気持ちになって、澱が溜まっていってしまうかもしれない。

 

誰でもない、わたし自身がわたしを大切に扱うことが大事なんだとわかった今だからこそ、伝えることにしたのでした。

 

 

 

わたしのこのメッセージの後(=わたしが寝ている間)、母はこう返してくれていました。

一文字で便利だと思うけど、本人の希望は重要ね

 

 

一方の兄は、その後つづくメッセージでも「N」を使い続けています。

 

それを見て、母はこう言ってくれていました。

Nと表記されるのは嫌と本人が言ってるのに、なぜにそう書くの?
キミとかあなたに変えるよう進言します。

 

 

 

このことも、わたしの心を少しホッとさせたように思います。

 

 

 

母が味方になってくれた、兄からかばってくれた、という嬉しさ。

 

そしてまた、兄も母にとって完璧じゃない、ということ。

 

 

ここにも、母・兄・わたしの、ねじれた・こじれた関係性が見え隠れしている気がします。 

 

 

 

 

今後はどうする・どうなる?


現時点で父からはまだ返信が来ていません。

 

また、わたしも昨日の母や兄のメッセージに何も返していません。

 

 

しかし、こうしている間にも、ワクチン接種の高齢者優先枠の申し込み?は着々と進んでいることでしょう。

 

父も母も打ちたいと言っている以上、もう止めようがないのかもしれない。

(というかすでに申し込んでいる可能性もあるけど、どうなんだろう・・・?)

 

 

 

人は変えられない、変えられるのは自分だけ。

 

そう考えると、わたしにはもうできることはないのかもしれません。

 

 

自分が変えられることとして、自分の思いを伝える努力をしました。

 

これは、もちろん相手のためだけど、自分の気持ちを治めるためでもある。

 

 

ここから先は、相手が「自分らしく」「自分の意思で」生きるために、どんな選択をしたとしても見守るしかないのかもしれない。

 

 

その時々で、わたしの中ではいろいろな気持ちや考えが湧き上がってくるでしょう。

 

どうしてもつらかったり、どう対処したらいいかわからないのであれば、今一度カウンセリングを再開して吐き出す方がいいのかもしれません。

 

 

考えたくありませんが、いずれ夫との間でも、ワクチン観が対立する可能性もあります。

 

やっぱり早めに再開した方がいいのかな・・・。

 

 

 

 

*おわり*

 

 

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次回更新でまたお会いできますように!(*´ω`*)エヘヘ 

 

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