こんにちは、emustanyです。
今日はもう更新しないつもりだったのですが・・・
昨日届いたお義母さん(夫の母)からの手紙がとてもハートフルだったので、やっぱり紹介したくて書いています。
お義母さんとは結婚してからずっと、月1回くらいのペースで手紙をやりとりしています。
夫の出身は熊本ですが、それなりに距離もあるのでそう頻繁には会いに行けません。
また我が家では、お盆や年末年始の帰省は夫婦それぞれが各々の実家に帰るスタイルのため、わたしが義両親に会うのは年1回あるかないかです。
そんなこともあって、ゆる~く手紙のやりとりをしています。
連絡手段ならLINEやメールもあったでしょうが、何となくそうはなりませんでした。
お義母さんは元教師だったこともあって恐らく手紙を書くのが好き(少なくとも苦ではない)タイプだと思います。
わたしももともと手紙を書くのが好きで、祖父母が亡くなってからは頻繁に書く相手が減って寂しかったので、こうしてまた書けるのが嬉しいのです。
わたしが休職中であることは、夫から休職初期に連絡してあるので知っています。
わたしからも、今どんな治療をしていてどんなことを考えているかなど、折に触れて伝えています。
唯一、両親の不和・離婚話が出ていることについては伏せています。
両親のことはわたしの精神状態に大きな影響を与えるものの1つですが、さすがにそこは両親のプライバシーに関わるよね、と。
あまり会うことがない存在だからこそ、そして実の母とはなかなか自分の話をしづらい(母は自分が悪いと言われている・責められていると感じるようです・・・)のもあって、話を聞いてもらいたくなってしまうのかもしれません。
最近、お義母さんが
「立て続けに転んで手だか足だかを骨折をしたようだ」
と夫から聞きました。
”~ようだ” ってアナタ、自分の親の状況、何でもっとちゃんと聞かないの?
息子なのに、気にならないの?
大変な思いしているはずだよ、ちゃんと気にしてあげてよ。
そう言っても、夫は「いいーんだよ、そういうもんなの」と。
何だか納得できませんでした。
今回だけじゃなく毎回そうなのですが、夫の家族は何だかそういう感じの付き合い方のようなんです。
#もしかして夫がそうなだけで、ほかの兄妹は違うのかもしれませんが。
夫からこれ以上情報は出てこなそうだし、わたしから夫に「心配してあげて」と言うのも違うし・・・
そこで、ひとまずは
「詳しくは聞いてないのだけど、骨折したと聞きました。手だと生活も大変だと思います。心配です。」
といった絵はがきを出したのでした。
その返信が、昨日届きました。
手紙は便箋5枚にわたっていて、
「しまった、腕を骨折した人に無理させてしまった!」
と申し訳ない気持ちで読みました。
はじめ、わたしが夫から大して情報を聞けなかったことについては、こんなことを書いてありました。
私たち世代に共通の考えかと思いますが、”親は子どもを守るもの” 。
子ども世代に心配事が起きたらどこまでも守ってやりたい。(出しゃばって嫌われることのない程度で)
自分たちに心配事が起きたら、子どもたちにそれをぶつけることなく自分たちで解決していきたい。
そういうところがありますね。
ですから子供達には詳しいことまでは伝えていませんし、〇〇(夫)もemustanyさんに伝ええようがなかったのかなと思います。
それでいいのよ。
これを読んで、一口に「親」と言っても、やっぱり個人個人、あるいは各家庭によって、子どもとの接し方や考え方はこうも違うのかと思い知らされました。
恐らくは、というか願わくば、わたしの両親だって同じような考えを持っていることと思います。
しかし現実では、彼らは彼ら自身の心配事を子どもたちにぶつけることもしてくるのです。
最近でこそ、わたしがあまり連絡を取らなくなったせいか、母などは全く連絡をよこしてこなくなりましたが、この状況はわたしからすると不安や罪の意識を生むものです。
でも、もしかしたら本当はこの方が健全、あるいは普通なのかもしれません。
手紙の後半は、わたしが書いた最近の心境についての返信でした。
わたしは自分が手紙に何を書いたかすぐ忘れてしまうのですが、こんなことを書いていたようです。
#お義母さんがちゃんと引用して書いてくれていました。余計な文字を書かせてしまった・・・!
このところ自分の状況、正確、思考癖が何も変わらないことにヤキモキしたり、自己嫌悪に陥ってしまいがちです。
簡単なことではないと分かってはいるけれど、焦ってしまうのですよね。
人生って難しいです。
昨今(先週末)の取っ散らかった心境について、ふんわりと書いたのでした。
これに対する返信が、本当に温かいもので、涙をこらえながら読みました。
可哀そうに、もともとまじめで素直な心のemustanyさんだから、自分というものを見つめすぎ、考えすぎて、壁にぶち当たってしまったんだな・・・と感じました。
ただでさえコロナの収束が見通せず、 個人の生活が大きく変化し、人によっては良い方に変わった人もあるでしょうが、多くの人が閉塞感の中でしだいに生きることに疲れていきます。
そういう時はちょっと自分を見つめるのを休んでごらんなさいな。
自分のこれまでをふりかえって、自分をしっかり見つめ直そうとすると・・・
まず自分の中にある嫌なところ、弱いところ、ずるいところ、卑怯なところ、だめなところ・・・
そういうところから目についてしまうのではないかしら?
私はそうでした。
大手術を終え、同病仲間も急逝したり再発したりしていく中で
「自分が助かったのはなぜ?生かされたのはなぜ?これからこの命をどう使おう?」
と考え、自分をまず見つめることから始めました。
・・・つらかったよ。
上に書いたような、自分の欠点が、素直に見つめれば見つめるほど見えてくるので。
今は休憩してます。
何やかんや欠点はあっても、自分が好きですから。
emustanyさんも今のままでいいのよ。
今の一生懸命な自分を「頑張ったなー」と認め、そして自分を愛し、開き直ってください。
人生って自分が自分を好きでいたら単純なものだよ。^^
またゆっくり話しましょう。
お義母さんは2年ほど前に、”大手術” をしました。
素人にはあまり聞き慣れないような類の病気で、熊本から大阪まで出向いての手術でした。
手紙に書かれていたような心境であったことは当然知りませんでしたが、ご自身の経験をもとに励ましの言葉をかけてくれて、本当にありがたいなと思います。
「今のままでいい」
何度となく出会っている言葉ですが、今回が一番スッと入ってきたかもしれません。
本当は、実の母から同じように言ってもらうことを、心のどこかでは望んでいるのかもしれないなと思います。
・・・いや、母から言われても素直に受け取れないかな。
世間一般には嫁姑問題などある中で、今のわたしとお義母さんとの関係は対等な大人同士というよりは母と子の関係に近く、ちょっといびつかもしれませんね。
それでもなお、今回の手紙でお義母さんの言葉がわたしに大きな癒しを与えてくれたのは事実。
今後も感謝する心を忘れないようにしたいものです。
*おわり*