こんにちは、emustanyです!
#夕方から書き始めたら結局「こんばんは」の時間になってしまった。。。




かわいいな。ちゃんと目覚めてえらいな。がんばれ、がんばれ。
今日、オーディオブックで聴き読みしていていたこちらを読了(聴了?)しました。
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物語ベースなのもありますが、序盤で「課題の分離」が出てくるなど、リワーク等でアドラー心理学に触れる機会も増えた今だと、結構スッと内容が入ってきます。
#「課題の分離」は最近のリワークで出てきたばかり。
全体的に学びは多かったのですが、最後の「第五部 愛する人生を選べ」は特に響きました。
何ていうか、もっと聞きたい一方で聞いている耳を塞ぎたくなるほど、今わたしがもがいているのはきっとこれなんだな、と思うものがありました。
前著の『嫌われる勇気』も読んだことはあるけど、もう細かいところまでは覚えていないし、改めて読みたいなと思いました。
カウンセリング寄りの診察
さて、今日は診察日。
今回もオンライン、画面越しでの診察となりました。
前回(1/27)は「やる気が出ない」ということについて話をしました。
そんな前回から今回までの間は、気持ちのアップダウンが激しい2週間でした。
高校の友だちとオンラインお茶会をした日はすごーーく楽しかった。
表情筋が痛くなるほど笑うなんて、本当いつぶりだったか。
夫とぎこちない感じがずっと続いている中だったけど、友だちと話していたら、そんな気持ちはどこかに吹き飛んでしまったほど。
しかし、そこからの転落っぷりはひどかった。
他人同士が暮らしているようなギクシャクした雰囲気を改善したくて、夫の誕生日に手紙を書いてはみたけれど、あまり事態は変わらず。
カウンセリングで相談してみたけど、「完璧主義なんだよねぇ」などの言葉が、”上手くいかないのは自分のせいだよ” と言われているようでつらくなり、
アインシュタイン先生によるリワークの後には、世の中・将来への絶望とともに、いろいろな考え・気持ちが一気に溢れ、いっそう気分が落ち込んでしまいました。
そして、恐らくこうした出来事の影響で、身体からは息切れ・頻脈 ・睡眠の乱れなどの ”しんどいサイン” が出てくる始末。
「完璧主義」「白黒思考」
「べき・ねば思考」「正義感」
「人と比べてしまうクセ」
みーんな自分の生きづらさの要因になっているのは理解している。
変えた方がラクだし生きやすい、それはそうだと思う。
そりゃわたしだって、変えてラクに生きたい。
だけど現実はなかなか簡単にいかない。
うまくやる気が出ない・続かなかったり、効果を実感できなかったり、どこか ”やらされ感” があったり。
「好きでこうなったんじゃないのに」とも思う。
(拗ねているんだろうか)
だいたい、本でもVoicyでも何でも、出てくるメッセージはみな「変わりましょう」だったりする。
#特に今は「風の時代」に切り替わった、ということでそういうメッセージばかり目に入る。
今のままではダメ、変わらないと置いていかれるぞ、としきりに追い立てられている気がしてしまう。
「ありのままの自分を受け入れなさい」とも言われるのに、一方でこの「変われ変われ」ってメッセージもあって、一体どっちなのと思ったりもする。
すぐ人と比べてしまうけど、リワークで見かける他の患者さんは何だか成長しているように見える。
わたしは休職してもうすぐ1年だというのに、大して何も変わっていないんじゃないか。
もちろん、先生も前に「3年はかかる」と言っていたし、そんなすぐは変われないよと自分をなだめてはみるけど・・・
焦る。 焦る。 焦る。
・・・ということで。
診察はアインシュタイン先生お決まりの「どうですか?」から毎回始まりますが、今日はその言葉を機に、上記のようなことを一気にワーーッと話しました。
普段はあまりこういう一方的に話し続けるようなことはしないんですが。。
今日は、影響があった(=説明をしたい)出来事が多かったのもあり、止まりませんでした。
アインシュタイン先生から
さて、先生はわたしの話にどんな反応をしたのか。
基本的に、わたしが話をしている間は
「そうですか」
「そうですよね」
「なるほどね」
と言いながらずっと聞いていてくれました。
否定されたり、途中で遮られたりすることなく、ちゃんと聞いてもらえる。
これだけでもずいぶんと安心するものなんですよね。
正直、アインシュタイン先生と話す時間の方がよっぽどカウンセリングっぽい、と思ったりもします。
これも先生の人柄と治療方針によるものだと思いますが。
今回も、残しておきたい(わたしが後からまた読み返したい)言葉たちがたくさんありました。
同じようにもがく方がいるかもしれないので、あまり端折らず書き残します。
■「変われ」というメッセージと ”変われない自分” のこと
- 理屈で分かってもなかなか実行できないことはあるし、「変えなさい」って言われたところで「自分で好き好んでなったわけじゃない」っていうのも確かにありますよね。
- いろいろ壁にぶつかる中で「これは問題だ」と思っても、現実にそれで今までずっと来ているからそう簡単には手放せないもんです。
「手放して別のやり方をやりなさい」と言われたって、使い慣れていない・新しいやり方をしなきゃいけないわけだから、それに伴う不安もあるし、「本当にこれでいいんだろうか」「せっかくこれで今まで来たのに」って思いも、当然ありますよ。
- 急に無理に切り替えようとしなくてもいいんです。
ただ、「こういう考えもあるな」って知っておいていただくと、いいかもしれないね。- 「ありのままの自分を受け入れる」っていうのは、それで最終的にOKというよりも、徐々に変えていくプロセスにおいて一旦は自分のありのままを認めるっていうこと。
これは、「ずっとそのままでいていいですよ」とか、「現状を甘んじて受け入れなさい」(現状や自分を変えようとするのをストップする)というのとは違う。
思い切った・無理な跳躍を試みるとケガをするから、一旦はそこ(現状の自分)を認めて徐々にステップアップしていきましょうね、という発想だと私は思います。- 先に進む・変わるスピードって個人差があるけど、早く進んでいる=よく理解しているとは限らない。
急速に変わる人は、表面的な理解・表面的な変化に留まっている可能性がある。- 私達に言われて、パパッと変わる人も中にはいます。
でもよく話を聞いていると、親に言われたから言う通りにして、学校の先生に言われたから言う通りにして、このクリニックで言われたから言う通り・・・をしているだけかもしれない。「いいな」って思ったらよく検討もせずにパッと飛びついている可能性もある。
そうすると一見変わっているように見えるけど、同じこと繰り返しているだけの場合もある。- それよりも、本人がよく納得をして、本当にこれだって感覚を持てるかどうか。
そうやって進んでいく方がいいんじゃないかな。- 周囲が急速に変わるような時というのは、むしろ変わらない方が正解だったり、真実をきちんと見ている場合もあるんじゃないか。
- ゆっくりでいいです。
「3年かかる」と言っているのも、そういう意味です。
■カウンセリング/カウンセラーのこと
- emustanyさんの話を聞く限り、あんまり共感してもらえたって感覚はないかもしれないなぁとは思います。
- 同じカウンセラーで続けるなら、ちゃんと話した方がいいです。
もし話をするのがきついなら他のカウンセラーに変わってもいい。- カウンセリング自体を中止して、一旦立ち止まって考えてもいい。
自分にとってカウンセリングは必要なのかな、とか。- カウンセラーの対応や発言に対して感じたことというのは、とても大切なこと。
怒りとかカチンとくるとか、今まではそんな感じなかったけど妙に話聞いててイライラしたとか、そういうのは大切なことなんです。
自分が話したことに共感とか寄り添うことなしに「あなたがこうすればいいんじゃない?」って言われて、「わたしの話聞いてないじゃない!」「そういう言い方はないでしょ!」って思ったかもしれない。
でもそういう感情が沸き起こってくることの大切さってあるから。- 「相手を変えることはできないから、あなたが変わるしかない」という考え方に対して、カチンとくるという患者さんがいます。
これって結局、子どもの頃から親とか周囲に対して気を遣って、自分が我慢してやってきて具合を崩すことになったのと全く同じ構造のことをしていることになるんです。
相手は変えられないから自分を変える、自分が相手に合わせる、というのはそういうこと。- 自分が変わる目的というのは自分のため。
「相手との関係を良好にするために」「相手を変えるために」「相手のために」何かするんじゃなくて。- 自分のために自分を変えるというのは、相手にしがみついて依存していた自分を変えて相手と距離を取るとか。自分ばかり変えて相手に振り回されてきたのをやめるために自分を変えるとか。
- 相手と上手くいかないのを良好にするためにあなたが変わるのではなく、そういう変わり方をしなければ良好な関係を保てない相手とは無理に良好な関係を保つための努力をしないで済むような自分に変える、ということ。
- 「仲良くする」のは両方が努力しないとできないことだから。
片方だけが努力するのは、主と家来の関係だからね。
■焦りの気持ちのこと
- emustanyさんの場合は、パッパッと答えが出るというより、ひとつひとつ考えていく方がいいんじゃない?
ひとつひとつ立ち止まって、カウンセラーに言われても納得できなくて、リワークに出ても納得できなかったりイライラしたり、それは大切なことだと思う。
パッパッパッとできなくてもいいですよ、全然。- ひとつひとつよく考えて、自分で納得した方がいいね、あなたは。
中途半端な変わり方はたぶん後悔するから、ちゃんとやった方がいいと私は思うけど。- 私の感じでは、いろんなことを今まで考えなかった視点から考えるようになっていると思うから、3年かかるうちの1年分は確かに進歩していると思うんですね。
ただ、あなたの中で1年で一気にこれといった答えが見えないから戸惑っているかもしれないけど、1/3くらいはちゃんと進んでいると思うから、あまり焦らずに、考えてみたらどう?
診察が終わって
話があっちこっちに飛んだり、思い返すと説明不足だったなということがあっても、とにかくちゃんと聞いてもらえたこと。
まずそれだけで、ずいぶんと気が楽になった気がします。
もちろん、これで何かが直接解決したわけではなく、課題は山積みのままだし、焦る気持ちとか頭がぐちゃぐちゃなのも変わってはいません。
ただ、アインシュタイン先生の
「ゆっくりでもいい」
「あなたは納得しながら進めていった方がいい」
「ちゃんと進んでいる」
こういう言葉にわたしは救われるのです。
あらゆるメッセージを取り込んで、「変われ」「早く」「もっと」とお尻を叩きまくっているのは、紛れもなく自分なんですよね。
本当は先生がくれたような言葉を、自分がかけてあげられるといいのでしょう。
やっぱりとことん自分に厳しい・冷たいわたし・・・。
せめて、谷に落ちてもがいたり、(三歩進んで二歩戻るどころか)二歩進んで三歩戻っているように感じても、少しずつはどうにか進んでいるんだと言い聞かせてあげなきゃなぁ。
・・・ブログだと、どうも無理に明るくポジティブに締めようとしてしまいますね。(苦笑)
1年近く休んでもまだこんなにグラグラかと思わなくもないですが、ちょっとずつ変わっていると信じて。
あったかいココアでも飲んでこようと思います。
*おわり*