こんにちは、emustanyです。
昨日は苦し紛れの更新、失礼をばいたしました。(苦笑)
でも、かわいかった・・・でしょ?
11月リワーク終了(土曜日)
さぁ、すでに二日前になってしまいましたが、土曜日午後のリワーク最終回について書いていきたいと思います。
#第1回、第2回はこちら。
11月のリワークは【身近な人・友人・家族との対人関係スキル】がテーマ。
通常は4回開催が多いのですが、今回は全3回のプログラムで、土曜日が最終回でした。
最終回、どうだった?
今回のトピックは『自分の考えを伝える・自分の気持ちを伝える』でした。
自分の考えや気持ちを伝えるとき、それを ”どのように伝えるか” によって結果は大きく変わってきます。
あるいは、”伝えない” ということも、選択肢としてはありますね。
また、いざ伝えようとしても、自分がどんな気持ちか、どう考えているかというのは意外とつかみにくいものなので、これを気づきやすくするためのヒントも紹介がありました。
はじめに ”どのように伝えるか” についてですが、伝え方としては大きく
①【事実ことば】を使う
②【意見ことば】を使う
の2つのやり方があります。
①の【事実ことば】は、どちらかというと相手を攻撃したり、相手に自分が正しいことを認めさせようとして使うもの。
自分の考えに過ぎないことを、まるで事実のように伝える表現です。
例としては
- 「~だ」「~に決まっている」(断定的)
- 「~だと思うでしょ」「~なことも知らないの?」「どうして~しないの?」(意見の押し付け)
という感じ。
一方の②の【意見ことば】は、あくまで自分の意見であることを明確に示しながら伝える表現。
例としては
- 「これは私の意見/考えなんだけど」
- 「私はこう思う/感じるんだけど」
- 「私は~してほしいと思う」
など。
この話を聞いてわたしがすぐ気づいたのは、ケンカばかりする両親は明らかに①【事実ことば】を多用しているということ。
②【意見ことば】を使っているのは、ほぼ聞いたことがない気がします。
伝える目的に、相手と「仲良くやっていきたい」とか「仲直りしたい」という思いがあれば②【意見ことば】のような表現も自然と出てきそうなもの。
しかし、相手に対して「思い通りにしたい」とか「負けたくない」とか「こらしめてやる」みたいなものがあるとしたら・・・?
冷静な時はともかく、ヒートアップすればやはり①【事実ことば】を使ってしまうでしょうね。
じゃぁ自分はどうなのかと振り返ってみると、人に直接①【事実ことば】を使うことはないと思うのですが、心の中では結構これを使って毒づいている気がします。
また、②【意見ことば】については、例えば夫と仲直りしたい時とかは無意識ながら使っている気がしますが、普段はさほど・・・。
まぁいつもいつも②【意見ことば】を使えということではありません。
状況によってはそんなの構ってられない時だって当然あるので。
仮に①【事実ことば】を使ってしまったとしても、「~って思うんだ」「~と感じるんだ」と付け足せば少しはマイルドになりそうですね。
次に、自分の気持ちや考えに気づきやすくするヒントについて。
これはよく「I(私という一人称)メッセージ」と言われるものに近いと思いますが、《私は》とあえて主語を明確にして表現すると自分の気持ちや考えが明確にしやすい、ということでした。
例えば
- 「どうしよう」
→「《私は》どうしたらいいか迷っている。」 - 「睨まないでよ!」
→「《私は》あなたの目を見たら睨まれたように感じて怖くなった。」 - 「早くしてよ!」
→「《私は》あなたの行動が遅いと感じていて、遅れるのではないかと不安だから、あなたに急いでほしいと思っている。」
など。
まぁ「それ、そのまま言うか?!」って表現もありますが、別に言っても言わなくても良いんです。
あくまで自分の気持ちや考えを明確にするためにやっていることなので。
この方法のメリットは
- 相手にも伝わりやすい
- 攻撃や押し付けと取られにくく、相手の理解を得られやすい
- 具体的なアクションに移しやすい
- 自分のことを理解し、認めてあげられる
といったところ。
確かにこの言い方なら相手を責める感じにはなりにくいし、自分の内面にフォーカスを当てているので自分を大事にしてあげられる感じがします。
ここで自分の気持ちに目を向けるワーク(以下5項目について書き出し、参加者同士で共有する)をしたのですが、わたしは例の洗濯槽掃除の件でやってみました。
- 自分がネガティブな気持ちになった出来事を思い出す
夜に洗濯槽掃除をしたが、いつもより時間もかかるし腰も痛くて大変だった。夫はリビングでゲームかうたた寝をしていて、ひとりでやった。- どのような気持ちだったか
・何でいつもわたしばっかり
・何で声をかけるなり気遣ってくれないのか
・夫は何もしない、ズルい
・誰のおかげできれいな服着られると思っているのか- その根底に何か別の気持ちはなかったか(怒ってたけど本当は不安/悲しい/寂しいなど)
・もっと関心を持ってほしい、大事にしてほしい、感謝してほしい
・放っておかれて寂しい- 《私は》をつけてその気持ちを表現してみる
・「《私は》夫にもっと家のことやわたしに関心を持ってほしいと思っている。なぜならここは二人の家だし、《私は》二人のことが大事だから。《私は》夫にもそうであってほしいと思っている。
・《私は》ひとりでやっていると放っておかれる存在なんだと感じて寂しい。
・《私は》もっと夫に「ありがとう」「助かる」「お疲れ様」と言われたい。なぜなら《私は》そういう言葉があると関心を持ってくれていると感じられるから。- その気持ちを伝えるとしたらどう伝えるか
・実際にやったのは、ミニレターに4の3点目だけ書いて伝えた。
・昔から手紙で伝えることが多い。対面だと相手の顔色が気になったり、波が立ちにくい言葉を選んだり、相手がどう捉えるか考えたりして、なかなか素直に気持ちを表現できないので。
・3点目に絞ったのは、1点目・2点目はこれまで何度も伝えているし、関心は強要するものではないのと、相手が具体的に行動に移しやすいことを伝えた方がいいかなと思ったので。実際その言葉があれば自分も満たされるので、そこだけ伝えるでもいいかなと思った。
いかがでしょう。
すでに行動したことであっても、改めてこういう形で振り返ってみると、自分がどんな気持ちや考えでいたのかが鮮明になりますね。
最後に話があったのは、自分がどんな気持ちを感じやすいか、あるいは満たされにくいかというのは、やはり親(や家族)の影響があるということ。
親が認めていた気持ちほど強化して育ち、逆に親からダメと言われた気持ちはフタをしてしまうそうです。
分かりやすい例だと、「男の子は強くないと。泣いちゃダメ!」「女の子なんだから大人しくニコニコしてなさい」とかですかね。
わたし自身はあまりそういう形で気持ちを抑制された記憶はありません。
ただ、もしかしたら 母の価値観である ”人と違う方がいい” に従っていたことは、人と違うことで感じる孤独や不安や恐怖を認めてもらえなかったということかもしれません。
あるいは親の「嬉しい」「楽しい」「幸せ」といったポジティブな気持ちを感じることが少なかったことで、自分の気持ちにフタをした可能性もあります。
あくまで素人が考えた「もしかして?」レベルの話ですけどね。
最終回を終えてみて
11月のリワークは、他の参加者の意見を聞く(※話し合いという意味ではなく、あくまで個々人の考えや経験を場に共有するということ)ことができました。
これを通じて実感したのは、たとえ同じ事象・課題に対峙しても、これまでの経験・バックグラウンドによって人それぞれ物の見方や意見というのは本当に違うな、ということ。
たった数人の中でもその違いがあるのですから、自分と全く同じ考えを持つ人などいるはずもないなと思いました。
ということは、当然相手と同じにはなれないし同じを求めることなどできないはず。
それなのに、悲しいかな、普段の生活の中ではどうしても期待しては傷ついたりガッカリしてしまうのですよね。
だからこそ、「レジリエンス」(最近急によく使われるようになってきましたね)が必要だなと強く思いました。
休職してからは、限られた対人関係の中で過ごしながら自分の内面にフォーカスを当て続けていることで、心や感情の機微に敏感になっている状態かなと思います。
ある意味ハダカに近い感覚なので、このまま戦場復帰(復職)するのはちょっと怖い・危険な予感。。
なので、小手先でもいいから、なるべくいろんな武器を身に着けておきたいと思いました。
ちなみに12月のリワークは『劣等感』がテーマです。
これまた対応必須の課題なので、(ちょっと変な言い方だけど)楽しみにしています。
毎度長々と書いていて恐縮ですが、読んでくださる誰かの生きづらさへのちょっとしたヒントや考えるきっかけになったら嬉しいです。
本日もお読みいただきありがとうございました。
*おわり*