こんにちは、emustanyです。
天気が良くてあったかくて、それだけで本当に幸せな気分になります。
洗濯物がパリッと乾くだけで嬉しいなんて、まるで主婦なア・タ・シ☆
#よくわからないけどキャラ崩壊中。っつか主婦だし。
ドーナツさんは昨日引っ越してきたばかりでして、残りはあんぱん1名となっております。
さぁリワークの話をしよう
昨夜の宣言通り、今日は土曜日のリワークについて早速書いていこうと思います。
11月は【身近な人・友人・家族との対人関係スキル】がテーマのプログラムに参加しています。
これまでのリワークは座学中心でしたが、今回は提示された事例について各々考えた内容を共有し合うのが特徴。
共有し合うのは、”互いに気づきを得るため” のようです。
自分が考える時だけでなく、人の話を聞いていると自分との違いや共通点で改めて気づくことがあります。
スキルを身に着けるのも重要ですが、とにかく自分(が何を感じ、どうしたいか)に目を向けて、自己理解を深めていくことこそが重要ということなのですね。
(これはこのクリニックでの治療方針と言っても過言ではないかも)
#ちなみに前回(1回目)の様子はこちらからどうぞ。
第2回はどうだった?
さて、今回のトピックは、『頼みごとをする・頼みごとを断る』でした。
突然ですが、皆さんは人に頼みごとをするのは得意ですか?
また、人から何か頼まれた時に、問題なく断ることはできますか?
頼みごとにまつわる話って、普段生きづらさを感じたり、こころが疲れてしまいがちな人の”あるある”としてよく見聞きします。
気軽に人に頼ることができず、いつもいつも自力で頑張ってしまうとか。
頼まれると断れなくてストレスを抱えたり、キャパオーバーしてしまうとか。
わたし自身は、頼むのは少し苦手だけど断るのはわりとOKだと自覚していました。
頼むのが苦手なのは、自分がやった方が早いし思い通りになるからということと、頼んだ時に相手の負担になったり嫌がられるのが怖いから。
断るのがOKなのは、別に人に嫌われてもいいと思っている節があるから。
・・・何やら矛盾をはらんでいると思ったのはわたしだけではないはず。(苦笑)
リワークの中では、
①人に頼みごとをするとき
②人の頼みごとを断るとき
それぞれについて事例(シーン)が示され、「あなたならどのように頼みますか/断りますか?」と聞かれます。
これを参加者で共有し合うと、良くも悪くも皆さんの回答に似たような雰囲気を感じます。
すごく相手に気を遣っている様子が伺えるのです。
体調を崩すような状態になった者同士、少なからず似たようなところがあるのかなと思いました。
ここで気づいたこととしては
- ①の事例で、頼みごとを断られた子どもが「お母さんのケチ!」と捨て台詞を言うのですが、そういえばわたしは「お母さんのケチ!」みたいなことは言えなかったし言わなかったなぁと気づきました。
- ②では、断れるけど断り方に結構気を遣っている自分を発見しました。
他の方の意見では、断るために多少嘘をつくとか、徹底的に誤って下手(したて)に出て断るとかもあって、参考になりました。
同じ事例で、親子/家族関係と友人関係の場合では違いがあるかについても考えました。
わたしは、
- 親子/家族関係だと、頼むのは自分が一番年下なのもあって控えめだけど、断るのはしやすい。
- 逆に友人関係では、頼むのはわりとフラットにできるけど、断るのは気を遣う。
という感じでしたが、ここは結構皆さん意見がバラバラで、どちらでも変わらない人もいました。
この後、自己表現にはパターンがあって
- 主張的
→相手を傷つけないで、自分の意見を伝える- 非主張的
→相手を傷つけないために、自分の意見を引っ込める- 攻撃的
→相手を傷つけてでも、自分の意見を聞き入れてもらおうとする- 復讐的
→相手を傷つけ、しかも自分の意見の主張は諦める
という4つに大別されるが、自分はどのようなパターンがあるかを振り返るワークをしました。
これ、基本的に1つしかパターンがないわけではなく、誰しも状況に応じて使い分けています。
処世術的には主張的が望ましいかもしれませんが、どれか1つが正解なわけでもなく、大事なのは自分のパターンに気づくことだそうです。
例えば小さい頃からの積み重ねで「人にNOと言うと嫌われる」といった信念/思い込み/自動思考があり、「人に合わせる」のが得意なパターンになっている場合。
人に合わせても毎回うまくいくわけではないし、自分の考えを言わなければ相手は当然分かってくれません。
自分のことを尊重していないので、自分を傷つけてしまうことにもなります。
「人に合わせる」ことがダメなのではなく、「わたしはこの人に嫌われたくないと思っているんだな」「今回は合わせておこう」とか自覚的になる必要があるということ。
リワークの中では、特に「非主張的」と「攻撃的」について、どのような状況の時に・どんな関係の人との間でそうなりやすいかを考えました。
わたしのパターンを紐解いてみるとこんな感じ。
- 非主張的になるのは、
<状況>
A:自分の考えや行動に自信がないとき
B:嫌われたくないとき
C:主張すると後から面倒になりそうなとき
D:和を乱すと自分が不利になるとき
<相手>
A:劣等感を持つ相手
B:大事にしたい人(夫、親友)
C:両親・兄、仕事関係(上司)
D:仕事関係(同僚)、親友未満の友人 - 攻撃的になるのは、
<状況>
A:自分の考えや行動に自信があるとき(根拠や経験があるなど)
B:嫌われてもいいとき
C:分かりやすい正解やルールがあるとき
<相手>
AやCのときはわりと誰でも。
ただしBがあるため、夫に攻撃的になるのは怖いし、親友や仕事関係なども攻撃的にはなりにくい。
逆に後くされない人(すれ違う人とか)だとすごく攻撃的かも。
振り返ってみてちょっと面白いなと思ったのは、同じ相手でも状況が違えば非主張的になったり攻撃的になったりするということ。
夫が最たる例なのですが、普段は嫌われたくない・離れていく恐怖から基本的に非主張的に振る舞っています。
しかし、夫より自分の方が”長けている”と思っているであろう家事などの場面では、攻撃的になったりもするわけです。
つくづく人間ってシンプルじゃない、面倒くさいもんだなと思ったのでした。^^;
第2回を終えてみて
普段から、自分には攻撃的な部分が結構あると思っていました。
路上喫煙・歩きタバコの人にはわりと強めに注意したりしますし、列に横入りしてくる人にも冷たい(というか厳しい)。
早歩きなのもあって、混んだ駅構内でゆっくり歩いている人がいたりすると、穏やかな態度ではありません。
親に対しても、こちらが大人になり親を追い抜かすことも出てきたことで、攻撃的になってしまうときもあります。
#というか、こちらは攻撃的ではないつもりなのに、親にそう取られてしまうことがある・・・。
こういう自分を嫌だなと思う一方で、「わたしは悪くない」「我慢しろって言うの?」と思っていたりもして、すごく厄介。
この、”こういう自分を嫌だなと思う”のように、ジャッジをしては自分で自分を徹底的に責めてきたのがこれまでのわたしなのでしょう。
もちろん攻撃的な自己表現はできるだけしない方がいいとは思います。
主張的な、「もし~してくれたら嬉しい/助かるんだけど」といった頼み方や、相手の要求も叶えるような代替案を示す断り方ができる方がいい。
でも、過去のさまざまな状況を乗り越えるために習得したパターンでもあると思うので、一朝一夕に消し去ろうとする方がナンセンス。
少なくとも今は、攻撃的な自己表現をしている自分を否定したりせず、「そうまでして聞き入れてもらいたい大事な意見なんだね」と客観的に理解することからかなと。
これさえ冷静にできれば、どう主張するかはスキル・テクニックの問題なので。
休職して以来、”頭では理解した・分かったけど、すぐに実践する・変えることはすごく難しい” というジレンマは常にあります。
焦らず一歩一歩着実に・・・
と思ってはいても、まーぁやっぱり焦っちゃうんですけどね。
最近、こういう気づきを得たり自分を理解することが(言葉が適切かはともかく)楽しくなってきた気がします。
復帰しちゃうとその機会を失うのかなぁと思うと、何だか寂しく感じたり。
すぐに実践したり身に着けられないにしても、策はもっと学んでおきたいというか。
といって、そのために休み続けるってのも本末転倒なのかもしれないけど。。
*おわり*