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100点やめて60点を目指す ご自愛ブログ

2020.4うつ休職→薬を使わない治療で2022.4正式復職。自分と仲良く&自分に優しくありたい。

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【休職196日目】次回に期待!のオンラインミーティング3回目

キンモクセイの香りもあっという間に終わり、朝晩めっきり涼しいですね。

こんにちは、夕飯前にアップするぞ!と息巻くemustanyです。

 

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昨日はスタバでブログ更新後、帰宅して三時のおやつに焼き栗モンブラン。ほくほく。
(オフィス出社&残業帰りの夫に「何で俺のも買ってきてくれないのー」と拗ねられました。)

 

 

朝散歩が寒くなってきた・・・

2週間くらい前からでしょうか。

朝散歩にライトアウターユニクロのポケッタブル)を着るようになりました。

アウターの中は夏の間と同じ速乾の半袖Tシャツです。

 

日に寄りますが、アウターがないと涼しい、でも着ていくと歩いているうちにちょっと暑い、という微妙な温度感でした。

 

 

しかし、今朝。

川辺は風も強めで、今季初めて?、「涼しい」より「寒い」と感じました。

 

アウターの前ファスナーもいつもは途中まで開けていますが、今日は全閉。

#全開って言うけど、果たして全閉って言うんだろうか。変換は出てきたけど。。

 

 

体も寒いけど、何より耳が冷たくて痛くなります。

あと、冷え性なのもあって手も冷たい。

 

 

そんなこんなで、これからの晩秋、そして冬に向けて、どんな格好で散歩行ったらいいのか思案中です・・・。

 

まぁ冬本番でも散歩に行けるのかというと、実際はいろいろちょっと自信ないですが。

(寒いし、朝起きにくいし、寒いし、復帰して時間取れるか分からないし、やっぱり寒いし・・・)

 

 

とりあえず晩秋の間はまずTシャツの中に登山用の長袖インナーを着るとして。

冬も歩くなら、これまた登山用のアウター着る感じかな。。

 

 

問題は耳。

 

耳が痛いのは本当に困るので対策したいですが、出来ればニット帽じゃなくてキャップをかぶりたい。
(すっぴんだし、日差しもあるし、あんまり人と目線合わせたくないし)

 

イヤーマフかなぁと思いつつ、骨伝導イヤホンもしてるので、ちょっと微妙な気がしております。

うーむ。

 

 

 

「人と比べるのが好き」なのだろうか?

話は変わりますが、昨晩は3回目のオンラインミーティングでした。

#過去2回の様子はこちらからどうぞ。 

 

 

今回の参加者は男性1名・女性6名(自分を含む)で、回を重ねるごとに人数が増えている&毎回女性が多いです。

 

わたし以外にも3回とも参加している人もいて、リワークで顔を合わせる人もいて、何だか顔なじみになってきているところもあります。

が、だからって決してお互い気軽に親しくなったり踏み込んだりしないのが、心療内科患者の特徴かもしれませんね。

 

 

 

さて、初回・前回はフリートークでしたが、今回は予めテーマが設定されていて、『なぜ人と比べるのが好きなのか?』ということで1時間ほど話をしました。

 

 

『なぜ人と比べるのが好きなのか』と言われてしまうと、”人と比べるのが好きである”という前提に聞こえてしまいますが、実際話し始めると

  • どうして人と比べてしまうのか(理由)
  • どういう時に人と比べてしまうか(パターン)
  • なぜ・いつから人と比べるようになったのか(原因)
  • 人と比べることで何が起きる/どんな結果になるか(結果や目的)

といったことに話が及びました。

 

 

他の参加者の話を聞いていると、本当に皆さん三者三様・千差万別といった感じで、自分自身もまた、人と同じではないんだなぁと気づかされます。

#内容ももちろん大事ですが、こうした気づきこそが集団療法の目的の1つなんでしょうね。

 

 

出ていた意見には、例えばこんなものがありました。

  • 他人と比べるというよりは、自分の理想とする姿と比べている気がする。とはいえ安心感は欲しくて、周りとも比べているところもあるかもしれない。
  • ついつい自分と比べてしまう人と、比べようとしない人がいるのは何でだろう。
  • 誰ということはないが、人の目が気になってしまう。
  • 人より自分を下に見てしまう癖がある。褒められたり実際は下じゃないと頭では分かっていても、ついそうしてしまう。
  • 親しい人ほど、あるいは権威のある人に対しては、自分の意見に自信がなくなりがち。
  • 周りと自分はちょっと違うという意識は小さい頃からあったけど、周りとも合わせないと、と思って過ごしてきた。
  • 自分は気を回したり丁寧に接するようにしているのに、相手がそうじゃないとバカにされてるとか攻撃されてると感じる。ただでさえ気を回して疲れるのに、相手によって余計に疲れてしまう。

 

 

この最後に書いている意見をきっかけに、”人と比べる”とは少し違う方向に話が発展しました。

  • 観察が得意というか、「この人はこうっぽいな」と思って気を回したり配慮したり、常に先回りして行動しているところがある。
  • 例えば出した物が戻されていなかったりすると、他の人は気づかない・そのままでも気にならないようなのに、自分は放っておけない・気になってしまう・見て見ぬふりができない
  • 相手にも自分と同じような配慮や先回りする行動を求めてしまいがち。でも相手がそうなることは難しくて、そうすると「何でわかんないの!」とか「何で自分ばっかり!」と思ってしまう。

 

 

これ、すごくよく分かります。

 

わたしのブログをしばらく読んでくださっている方は想像がつくと思うのですが、わたしが夫に対して抱く感情や思考ってまさしくこんな感じですよね。

 

 

アインシュタイン先生曰く、ここに参加している人(あるいは調子崩して来院する方全般的に)は同じような傾向が強いと感じているようです。

 

根が真面目で、周りの人の手抜きや負荷を、 ”放っておけない・見て見ぬふりができない” 、あるいは ”断れない” ため、自分でその負担を負ってしまいがちなんだとか。

言い方を変えると、周りからのしわ寄せが来てしまう

 

本当は自分だってそこまでやらなくてもいいはずなのに、手を抜けない・・・。

 

 

これって、他人との比較というより、自分自身の理想の状態やあるべき姿と照らし合わせているとも言えるのかもしれません。

 

 

 

最後に参加者の一人から、こんな意見(問い)が投げかけられました。

  • ある事象に対して「やりたいこと」「やるべきこと」「やれること」がある時、どうやってやることを決めていっているんだろうか。
    (※どうやって決めていけばいいんだろうか、を知りたかったのかなと想像します。)

 

これに対しては

  • 「やりたいこと」「やるべきこと」「やれること」の3つにギャップやズレがあると心理的負荷が大きいのではないか。

という意見は出ましたが、続きは次回のテーマとして話しましょうか、ということで昨日のオンラインミーティングは終了となりました。 

 

 

 

わたしがこの話を聞いていて思ったのは、少なくとも自分に関しては「やりたいこと」「やるべきこと」「やれること」のうち、「やるべきこと」の比重がすごく大きいということ。

 

「やるべきこと」=親から受け取った(植え付けられた)価値観だったり、社会の規範・ルール・前例だったり、あるいは自分が作り上げてきたあるべき姿etc.

 

なわけですが、これにがんじがらめになっていて、「やりたいこと」が分からない状態になってしまっているんだろうなと。

 

 

一方の「やれること」に関しては、まだ自分なりの考えが持ちきれていません。

 

他の方の意見にもありましたが、わたしも自分を過小評価しがちなところはあります。

褒められても素直に受け取れず、注意されれば必要以上にヘコみます。

 

これが親から受け取ったものであるのか、他人との比較から来ているのか、はたまた自分自身を守るためという目的でそういう色眼鏡をかけているのか・・・。

 

 

いずれにしても、「やりたいこと」がよく分からず、「やれること」は過小評価している状態となれば、「やるべきこと」が優先されるのはある意味当然ですね。

言い換えると「やるべきこと」しか頼れない、あるいはそれしか確からしいものがない、ということ。

 

「やりたいこと」や「やれること」は目の前に人参ぶら下がっているような前向きなモチベーションだけど、「やるべきこと」はどちらかというと後ろ向きでお尻たたいている感じですね。

 

だからつらくなるのかな。

 

 

仮にそうだったとして、じゃぁどうやったら「やりたいこと」を優先したり、「やれること」を過小評価しないようにできるんだ・・・?

 

 

うーん、難しい。

次回に期待したいと思います!

 

 

*おわり*