久しぶりにNewDaysに行ったら去年の夏よく買っていたジュースを見つけて、即買いしたemustanyです。
こんにちは。
NO ナシ NO LIFE
「好きな果物」でアンケートを取ったら、どの果物が一位になるんでしょうね。
わたしの一番好きな果物は梨!
これはもう、小さい頃からずっと変わりません。
今年もコンビニでアイスのショーケースを覗けば、梨のアイスが豊作!
全部食べたいけど、(梨以外のアイスも食べてるので)食べるペースが追い付かない・・・。汗
季節ものなので、すぐ売り場からいなくなっちゃうんですよね。
食べるのは後だとしても買うだけ買っておかなきゃ・・・。(苦笑)
ちなみに、夫のお義母さんが今年も梨を送ってくださると聞いています。
季節ごとに旬のものをよく送ってくださるので本当に有難い。
#つい数週間前には桃も送ってもらいました。
夫は熊本出身ですが、熊本って野菜も果物も多彩で盛んだし、水産物や畜産物もあって、本当に多彩なんですよね。
そういう意味でも夫と結婚してよかった。(笑)
思う存分、梨を堪能できるのが今から楽しみです。
昨夜はオンラインミーティングでした
さて、話はガラッと変わって。。
昨夜はクリニックのオンラインミーティングがありました。
アインシュタイン先生と患者数名をつないで話をするもので、参加者はわたしを含めて女性4名でした。
テーマを特に設けないフリートークでしたが、根底にあったのは「復帰に向けて」ということだったと思います。
話していた内容はたとえば
- どうすれば復帰できるか/どうなれば復帰していいか
- 復帰を考えるとどういう感じがするか
- 復帰後はどんなことを意識して過ごしていくべきか
- 復帰したらどんなことが起きると思うか
など。
誰かが話したことに対して、アインシュタイン先生が少しフィードバックしたり掘り下げたり。
そして「ほかの皆さんはどうですか?どう思いますか?似たようなことはありますか?」という感じで回していきます。
その中でそれぞれが気づきを得たり、視野が広がったり、というのが狙いなのかなと。
復帰に関して書き留めたのはこんなこと。
- 社会の規範や会社の求めることより、「自分はどんな時にうまくやれるか」だったり「自分はどんな時に調子がいいか」ということを中心に考えていくこと。
- うつから復帰する時は《再発しない状態へのバージョンアップ》を目指す。
→休養+薬(+リワーク)という対症療法的なことで《回復》しても、再発する。
うつ以前と同じ状態・やり方に戻っただけだから。
(※会社にとっては前と同じバリバリ働ける方が都合いい)
→再発しないためには、「なぜそうなるか」という根本を理解しておくことが重要。
(自分はどんな性格・思考グセ・価値観でそれがどんな時にどう影響するか、とか、なぜ倒れる前にストップかけられなかったか、など。)
恐らく2点目については、世の中の大半のうつ病患者や治療者にとって、異なる方針・考えでしょうね。
もともと「薬は飲みたくない」ということで選んだクリニックですが、経験に基づくアインシュタイン先生の「薬に頼らない治療」について、納得感を持って通うことができているのは良かったなと思います。
実際、根本を理解し始めた今は、比較的前向きに復帰を考えることができているので、今のところわたしには合っていそうです。
(もちろん不安も大きいですけどね。)
途中から他の人が『嫌われる勇気』の話をし始め、そこで自分の意見も言いながら気づきがありました。
- 自分は人の好き嫌いが激しい方だし、人から嫌われるのはそこまで怖くない。嫌いなら嫌いでいい。
→たぶんこれは母の「人と違っていい/人と違う方がいい」という価値観の影響。
→逆に自分が好きな人には好きでいてほしい思いはすごく強い気がする。
- 「嫌われたくない」というより、「迷惑をかけたくない」「相手に申し訳ない」ということから自分を偽る(良く見せる、無理をするなど)ということはある気がする。
最後に「何か皆さんからありますか?」と聞かれ、せっかくなのでちょっと最近気になっていたことを投げかけてみることにしました。
4月に休職してから、診察(アインシュタイン先生との会話)・カウンセリング・リワーク・読書などを通じて、自分が不調に至った要因を探ってきました。
そこには今までさほど気にしてこなかった家族、特に母の影響がありました。
1つ1つ、点として発見・気づき・理解してきたことが、線としてつながり始めてきているのを感じています。
こうした理解は武器そのものにはならないでしょうが、これから武器を選んだり、どんな時に武器を使うかを把握するためには不可欠です。
しかし理解を進めるにつれ、わたしの中には疑問・戸惑いが生まれてきています。
自分の不調の原因が過去・育った環境・親にあるとするのは、「自分の外」に原因があり、「自分は悪くない」と言っていることになるのではないか。
親だって悪気があったわけじゃないし、親だって完璧じゃない。
それなのに、わたしは親を責めることになるのではないか。
そう考えると親に申し訳ないやら、自分をズルく感じるやら、親との付き合い方が分からなくなって悲しいやら・・・
とにかく複雑な気持ちなのです。
実際、自分が理解した・気づいたことを家族LINEに投げていたのですが、先月実家に帰った時に母に「わたしのせいと思っているのね」と言われてしまいました。
「違うよ、過去の出来事が自分にはこう影響したんだなって理解しただけであって、責めてるわけじゃないよ」と何度も弁解しましたが、伝わったかどうか。。。
母にそう言わせてしまったことも、申し訳なく悲しくなりました。
わたしのこの疑問や戸惑いに関して、ミーティングの中で明確に答えが出ることはなかったですが、ひとつアインシュタイン先生からあったのは
「”親を責めるな”と言う人もいるけれど、わたしはそれは蓋をすることだと思う。
たとえば恨みっていうのはとことん恨んで初めて晴れるものだったりもする。
感情は蓋をせずきちんと感じることが大事。」
ということでした。
解決はしませんでしたが、この疑問や戸惑いを自分の中にしまいこむことなく表明できたことをまずは評価したいと思います。
そして、明日リワーク+カウンセリングなので、ここでまた少し解決のヒントがつかめるといいなと思います。
#あああ、また長くなっちゃった。。。
*おわり*