こんばんは。夕方シャワー中に「あ、あれを書こう」と確かに思ったはずなのに、一体何を書こうとしていたのか忘れてしまったemustanyです。
途方に暮れてるナウ。涙
学びや気づきがあふれる朝散歩
今週は日曜日から金曜日まで毎日朝散歩に出ています。
梅雨明けしてからは連日快晴だし、朝は暑くて起きちゃうしで、散歩に行かない理由がないのです。
今日は30分くらいでいいと思いつつも、結局はだいたい小一時間ほどで帰ってきます。
メインの散歩先は近くの大きめの公園なのですが、毎日違う路地を通ったり、公園内の周回を左回り・右回りと変えてみたり、とできるだけ飽きないようにしています。
帰ってきたらすぐシャワーして汗を流します。
夫が在宅勤務開始時に冷房をつけるので、わたしが戻る頃にはリビングは涼しくなっています。
いずれも有難いことです。
そんな朝散歩ですが、いくつか気づくこと・思うことがあったりするので、今日はそんな小話をしたいと思います。
#何書きたかったのかやっぱり思い出せないし。
その1: 朝の公園は男性が多い件
毎日同じような時間に散歩をしていると、同じような人に出くわすことが多く、どんな人が散歩しているかだんだん傾向がつかめてきます。
まず年齢別で言うと、これはもともと半分予想していたことですが、ご老人が多めです。
出くわす人たちの半分くらいは60代以上かなと。
圧倒的に時間があることに加えて、健康意識の高まりからといったところでしょうか。
それから男女比で言うと、男性が多いように思います。
これはわたしが散歩するのが朝の時間帯だからというのが一番の要因かもしれません。
すなわち、家庭がある女性の場合、朝はたいがい夫・子どもの世話や家事に追われているので、散歩のように自身のためにだけ時間を使うようなことはできていないのかもしれません。
ちなみにご老人の場合は、女性より男性の方が多い気がします。
あとは人数で言うと、ひとりの人の方が多い印象です。
ご老人の場合、夫婦、または男性のみ・女性のみを除くと、女性同士は見かけますが、男性同士というのはほぼ見かけないです。
ちなみにここで書いているのは、走っている人も含めた話です。
さすがにご老人で走っている人はほぼいないですが。
総合すると、全体的に朝の公園は男性率が高い、というのがわたしの所感です。
その2: 聴くのは音楽よりラジオが良さそうな件
つい最近まで、散歩中は骨伝導イヤホンで音楽を聴くのが常でした。
スマホに入っている音楽を聴いたり、Spotifyで「ウォーキング」のプレイリストを探してみたり。
テンポがいいもので散歩中の気分を上げるのがいいと思ってたんですね。
でもラジオにしてみたら、これが結構いい。
いつも聴いている『ジェーン・スー 生活は踊る』をタイムフリーで聴くこともありますが、オンエア中のラジオを適当に選んで聴いたりもします。
音楽と違ってラジオって「喋り」がメインなので、ちゃんと聴こうとすると家だと結構難しかったりします。
でも散歩中なら歩く以外のことは何もしていないので、「喋り」に耳を傾けられるわけです。
話がすんなり入ってきて、それについて自分でもいろいろ考えたり思いを馳せたりしながら歩き続けます。
うまく言えないけど、音楽聴いたりしながら普通に歩いている時って、考えがあっちゃこっちゃ飛んでろくに深く考えることってできないけど、ラジオならパーソナリティーが舵をとってくれるので自分の頭がブレずに済むんですよね。
たまたまこんな記事がLINEニュースで流れてきまして。
「あぁやっぱり散歩にはラジオが良いんだな」と納得したのでした。
その3: 毎日ゴミの量が半端ない件
公園までの道中は毎日少しずつ違う道を通るのですが、住宅街の道路脇に置かれたゴミ袋や資源ゴミ用の回収ボックスに目が行くようになりました。
特に夏になって生ゴミのにおいが鼻につくようになったからかもしれません。
今わたしが住んでいるマンションには敷地内にいつでも出せるゴミ集積所があり、駅まで近いので通勤時に住宅街を通るようなこともなく、今まで街なかのゴミを気にしたことはあまりませんでした。
毎日異なる種類のゴミが出されているわけですが、住宅街のそう離れていない集積箇所に山積みになっているゴミ袋を見ると、
「これが全国各地で出されているなんて、一体どれだけの量になるんだろう」
とやや恐怖にも似た暗い気持ちになります。
そしてこれらを処理するための施設、エネルギー、人手、費用・・・
きっとどれも日本全体では膨大なものになっているのだろうなとも思うわけです。
先日こんな記事を見かけました。
日本は過剰包装という話はよく聞きます。
でも恐らくそれは元を辿っていけば、
- 「おもてなし」の精神(根底は「空気を読む/行間を読む/あうんの呼吸」といった他者思考)
- 「おすそ分け」の文化
- 「きれい好き」の性質
といったことから来ているもので、メーカー側も消費者ニーズに応えようとするあまり過剰になってしまったという面もあると思います。
つまり、我々消費者側のマインドが変わらない限りは過剰包装はなくならないのではと。
そういう意味では、この記事にあるような亀田製菓とブルボンの2社だけを対象としたキャンペーンというのはちょっと疑問です。
自分たちが変わらないのに要求だけするのって、しかも名指しで賛同者を募るのって、(悪く捉えると)いじめみたい。
まぁ高校1年生が開始したもののようですから、あまり言っても仕方ないかもしれないですが。
#何となくグレタさん(スウェーデンの環境活動家 グレタ・トゥーンベリさん)みたい。主張に共感はするけど、「あなた方が悪い!あなた方のせいだ!」と責める主張が多い印象。。
話が少し逸れましたが、街なかで大量のゴミを見ると少し心が傷みます。
わたし自身、物心ついてからずっと当たり前にこの無意識の過剰包装を受け取ってきたわけです。
そしてそれらをゴミとして無料で引き取ってもらえることに、感謝も疑問も感じてこなかった。
そんなわたしでも、コロナ禍で自宅にいることが増えたことで、明らかにゴミの量が増えたことを嫌でも実感しました。
また、この度のレジ袋有料化によって、これまではレジ袋をゴミ袋として使ってきましたが、今後レジ袋が手に入らないとなればゴミの量も減らしていかなければなりません。
そしてここに書いたように、散歩中に見かける大量のゴミを見て、「このままじゃいけない」と思うようになったわけです。
具体的にどうするってのが難しいんですけどね。。
今できてるのって、せめて袋類は小さく結んでゴミ自体を小さくするくらい。
ゴミを「減らす」にはどうしたらいいやら・・・非常に悩ましいです。
*おわり*