おととい観た『もののけ姫』の余韻にまだ浸っているemustanyです。
生きろ。
さて、今日はわたしの右すねにある傷についてのお話です。
#傷を見るのが怖い方、このあと写真が出てきますのでご注意ください。
さっそくお披露目
30数年生きてきて、有難いことに大病・大怪我・入院・手術をしたことはありません。
が、この右すねにある傷というのが恐らくわたし史上一番ひどい怪我になります。
それがこちら。
右すね中央に約10㎝ほどの傷です。
8針縫いました。
年月を経てだいぶ目立ちにくくなりました。
それでも、今でもたまに電車で座ってると向かいの人の視線を感じることがあるとかないとか。
よく帰ってこれたなと今でも思う
この傷を負ったのは、2010年12月のこと。
当時わたしは、全国に店舗を持つお客様との実証実験に携わっていました。
その日はいくつかある実験店舗の中から京都の店舗に出張し、一泊して東京へ戻ろうという朝でした。
同行者は昨夕のうちに戻り、泊まったのはわたしだけでした。
ひとり京都駅の構内を歩いていたところ、階段から落ちてしまいました。
落ちたといっても、10段もないような階段だったと記憶しています。
恐らくヒールを引っかけたか何かしてしまったのでしょう。
気づいたら階段の下に落ちていました。
慌てて周りの人が「大丈夫?」と声をかけてくれます。
階段から落ちたことなどありませんから、もう軽くパニックです。
いい大人なのに恥ずかしいという気持ちもあって「大丈夫です!」と答え、平然を装って壁際へ。
足が痛いと思って視線を落として青ざめました。
すねから結構な血が出ていて、とても直視できません。
わたしは昔から血を見るのが怖くて、採血の時は顔を背け、それでも貧血を起こすようなタイプです。
この時も流血する自分の足を見て貧血を起こすかと思いました。
#ちなみに今も、これを書きながらドキドキしています。
京都で病院に行くわけにはいかないし、とにかく東京に帰らないと。
オフィス行かなきゃ。
今思うとよくわからないけど、必死でそんなことを考えていました。
京都駅のドラッグストアで何か買ったのは覚えているけど、さて、何を買ったんだったか。。
たぶんマキロン的な消毒液と、キズパワーパッドとかだったと思います。
#補足しておくと、キズパワーパッド使うなら消毒液はNGかと。流水で傷をきれいにするだけにしておきましょう。
とりあえず新幹線に乗って、新幹線のトイレで手当てをしたんじゃなかったかな。
ストッキングも破れていたはずだけど・・・はて、どうしたんだったか。
どうにか東京に戻ってオフィスで仕事をし、ようやく仕事帰りに外科へ。
相当痛かったはずだけど、本当よく耐えられたな。汗
レントゲンを撮って、骨折はなし。
切り傷(パックリ★)については、その時はやたらと「湿潤療法」に興味というか、入れ込んでいて、何かしらそういう希望を伝えた気がします。
でも結局あまり治りがよくなくて、改めて湿潤療法を標榜しているクリニックを探しました。
毎回シートを取り換えるたびに自分の足を見るのが怖くて仕方なかったけど、どうにかこうにか、ゆっくりゆっくりと傷がくっついていくのを待つ日々でした。
そしてその日はやってきた
年が明けて、2011年。
そう、3月11日に東日本大震災が起きた年です。
今思うと、この2010年の年末から2011年にかけては、ひとり厄年ともいえる年でした。
#実際は厄年ではないので、あくまで「ひとり」厄年。
震災の影響で、予定していた旅行もキャンセルになりました。
お客様も実証実験どころではなくなって、スケジュールが延期になったり。
まだ震災後の緊張感が抜けない、2011年6月。
突然それはやってきました。
あろうことか、出勤時に自宅アパートのらせん階段からまた落ちたのです。
一瞬何が起きたのかわかりませんでした。
次の瞬間、ハッと右足を見るとせっかくくっついてきた傷がまたパックリ★と。
痛いやら怖いやら悔しいやら、もうぐちゃぐちゃ。
半年の間に二回も階段から落ちるなんて!
ちょうどその日は朝からお客様との打合せ予定でしたが、さすがにもう行ける状況にないので休みを取ってクリニックへ。
にしてもこのクリニック、電車に乗る&駅からもそこそこ歩くところで、行くだけでもだいぶきつかった。。
せっかく時間をかけてくっついてきた傷が開いてしまったのを見て、医者は「縫いましょう」と言いました。
湿潤療法を標榜してはいますが、もともとこのすねという部分は、皮膚が薄く引っ張り合っているのでくっつきにくいんだそうです。
いきなり縫うことになり、気持ちが追い付かなくて冷や汗ものでしたが、そんなに時間もかからず終わりました。
あれから9年
8針縫ってから、気づけばもう9年経ちました。
当時わたしはまだ20代も半ば。
膝丈のスカートもよく履いていたし、10㎝の傷はかなりのコンプレックスでした。
というかまず自分で傷を見るのが怖くて仕方なかった。
傷が目立つのが嫌で、肌色の医療用テープを貼ったり、コンシーラーを塗ってみたこともあったなぁ。
冬は黒タイツで気にする必要がないのが気楽でした。
でもいつからか、あまり気にならなくなりました。
結婚して自分の見た目に対する意識(良く見せなくちゃ!的な)が変わったからかな。
あるいは膝丈のスカートというのを履く機会が減ったからかな。
一番の理由はきっと見慣れたことと、傷のある自分というのを受け入れたからでしょう。
確かに他の人と違ってきれいな足ではないけれど、電車で向かいの席の人にギョッとされるくらいで何か不利益があるわけでもない。
それよりちゃんと歩けることの方が大事だし、考えてみたらそれだけで十分有難いわけです。
1回目の時から感じていたことですが、普段何気なく歩いている距離や速さ、それに電車で立ち続けることなどは、ハンデを抱えると途端につらいものに変わるんですよね。
分かりやすく松葉杖をついていたりすれば席を譲ってくれたり配慮もしてくれるかもしれないけど、そうでなければなかなか気づいてはもらえない。
自分が逆の立場でもそうだと思います。なかなか気づくのって難しい。
たとえ街なかや電車でイラっとするようなことがあっても、頭ごなしに「ありえない!」「ムカつく!」と怒るのではなく、「もしかしたら何かハンデや理由があるのかもしれない」と想像できる自分でありたいものですね。
ちなみに今はもう痛みなどはありませんが、弁慶の泣き所ですからここをぶつければ人並みに痛いです。
ただ、必ずその後に「傷が開いていないか!?」と確認してしまうところは、人と違うところでしょうね。苦笑
*おわり*