梅雨空、梅雨寒で家ごもり中のemustanyです。
通勤・外勤のみなさま、どうぞ風邪(コロナ)などひきませんように・・・。
#ちなみに「家ごもり中」を「STAY HOME」と書くか一瞬迷いました。すでに死語に感じるからフシギ。
今週のお題を見たら「お父さん」。
何を書いたものかなーとしばらく考えてみたけど、パッと思いつかないので今日のところはとりあえずパス!
今日は特に脈絡なく思いついた話題を書くことにします。
そろそろ『あつ森』卒業か?
我が家では4/24にNintendo Switchの『あつまれ どうぶつの森』をスタートし、ほぼ毎日ログインしてプレイしてきたと思います。
#どうでもいいけど、「プレイ」か「プレー」か、表記迷う。笑
ちなみにメインでやっているのはわたしですが、夫も住民としてプレイしています。
当初、すゑひろがりずのYouTubeで二人一緒にプレイできるんだと勘違いしていたので、二人でできることは少ないと分かってからは飽きちゃったみたいですが。
開始から2ヶ月経って、いまどんな感じかというと
- 家は一応最終段階?の地下まで作り終わって、ゆるゆるローン返済中。外見はいじってない。
- 住民は10人。(maxなのかな?)
- 土地開拓キットは取得済み。特にテーマがないので、開拓のモチベが湧かず。
YouTubeとか見てるとものすごい情熱と時間を費やしてすごい出来栄えの島を作っている人がいますね。
もちろん見ていて「すごーーい」と思うし憧れもするけど、どうもそこまでやり込む感じはしないなぁ。
逆かな、もしテーマがあれば頑張るかもしれないけど。
そもそも『あつ森』はわたしの休職対策(?)で始めたもの。
4/4から休職することになったはいいけど、1日の大半を占めていた仕事の時間がポッカリと開いてしまい、毎日どう時間を過ごしたものかと思っていました。
加えて、時はコロナ禍。溢れる情報に触れては散々不安を煽られていた頃でもあり、TVやスマホを離れて何かした方がいいなとも思っていたところでした。
そんな中で話題になっていた『あつ森』を始めたわけです。
島での時間は現実世界のコロナみたいな怖かったり不安なことはなくて穏やかだし、最初の頃は特にできることが増えたり新しい魚や虫が採れたりして、毎日楽しくプレイしてました。
休職中にやるにはぴったりだったんですよね。
慣れるにつれ、プレイ内容がルーチン化するようになりました。
デイリーミッションを確認して、住民と話して、木を切って、岩を叩いて、化石を掘って、魚を釣って、虫を捕まえて、服を着替えて、花に水やりをして、カブ価を確認して、ローンを返して・・・
休職中の日々を穏やかに過ごしたいというのが当初の目的だったのに、今はカブ価チェックがトリガになっているところがあります。
書いてみて気づいたけど、お金稼ぎや生活レベルの向上が目的だなんて、なんだかありがちな人生そのものだなぁ。。
今のローンを完済した後に、ゲームとしてのストーリーがまだ続いているのかは分かりませんが、『あつ森』からはぼちぼち卒業なのかもしれません。
YouTube見て開拓のモチベが上がったら別だけど。
ちなみに、最近はこちらにハマっています。
もともと夫がやり始めたものを興味本位で一緒にやってたら、わたしの方が「やるかい?」と誘うことが多くなりました。
アクション系って得意じゃないし、Aボタン連打が中心の下手なプレイですぐ死んでは夫に復活させてもらってばっかいます。苦笑
無我夢中でやっているのでストレス解消になってるのかな。
#休職中のくせにストレスとはどういうことだ、という感じですが。
攻撃で派手な音や光が出まくるのと、Switchだと処理落ちしてるのかカクカクしまくるので、刺激が強すぎて脳には良くなさそう。。
閃輝暗点とかめまいも誘発しそうだなとビクビクしながらプレイしております。
5ヶ月ぶりに回転寿司に行った
昨日は夕方に夫と軽く散歩に出て、久しぶりに近所の回転寿司に行きました。
このお店、1ヶ月に1回くらいのペースで通っていたのですが、最後に行ったのは1月だったので実に5ヶ月ぶり!
いつからコロナを意識した生活になっていたかうろ覚えですが、少なくとも2月頭に夫の誕生日祝いでビュッフェに行った時はもう手洗いや消毒も結構してた記憶があります。
にしても、こんなに行っていなかったなんてびっくり。
コロナを警戒するのに伴って、回転寿司は真っ先に敬遠すべきものでした。
テーブル席のある回転寿司チェーンと違って、そこの店はレーンを囲んで客が横並びで座る形式なのでいわゆる「密」だし、職人が素手で握るとか、注文する時にレーン上の寿司に飛沫が飛ぶとか、考えれば考えるほどリスクが高い。
でもついに昨日行きました。
正直全く不安がないわけじゃないし、2週間後どうなってるんだろうと考えるとドキドキします。
それなのに、なぜ行く気になったのか?
緊急事態宣言が解除され、県を跨いでの移動もOKになったから?
第一波がおさまったから今のうちに?
寿司屋も対策してるし大丈夫?
なったらなった時だという開き直りや諦め?
どうしても寿司が食べたかった?
たぶんどれも違います。
答えは 「新型コロナというものが、本当にここまで大騒ぎして ”新しい生活様式” なんてものを勝手に押しつけられるほどのものなのかわからなくなった」 から。
この先、誰を・何を信じたらいい?
ここで重要なのは ”わからなくなった” という部分です。
実はここ1ヶ月以上、わたしは 「何が正しいのか、何を信じたらいいのか、もう何もわからない」 という思考と感情に振り回されています。
はじまりはTwitterでした。
もともとわたしはTwitterはアカウントはあるけどほぼ使っていない状態。
しかし、アインシュタイン先生が急な休診などのクリニック情報はTwitterで出すとのことだったのでフォローしたんです。
久しぶりに開いたTwitterのタイムラインには、過去にフォローしたニュース系アカウントとかホリ○モンのツイートが並んでいて、物珍しさも手伝って気づけばタイムラインをちょこちょこ追うようになっていました。
ツイートにリンクがあることも多く、YouTubeも見るようになりました。
TwitterをはじめとするSNSはデマも多いというのは重々知っていたはずなのに、情報の出元や精度、アカウントの信頼性などあまり考えず、どんどん引き込まれていってしまた。
見れば見るほど不安を煽られるからとTVからは離れるようにしていたのに、気づいたら今度はTwitter&YouTubeに吸い込まれて行ってしまったのですね。
今のご時世、情報との付き合い方は本当に意識的にうまくやらないと、”フィルターバブル” でどんどん入ってくる情報が恣意的というか、たこつぼ化してしまいます。
わたしのもとに届く情報はいつしか陰謀論や終末論、不満や怒りに満ちたものばかりになってしまっていました。
怖くて絶望的で、でも気になって見るのをやめられなくて、また怖くなって絶望して・・・という負のループ。
その結果、何が正しいかわからない!何も信じられない!何もかもが怖い!という状態になってしまったのです。
これを書いている今もこのループからはまだ抜け出し切れていない状態です。
ただ、2週間くらい前に夫に陰謀論などについて話したら一蹴され、少しだけ冷静になることができました。
あえて自分に言い聞かせるために書くとすれば、きっとわたしはわたしを信じるしかないし、そのために必要な理由や根拠を自分で十分に説明できないのであれば、それはただ感情に振り回されているだけだ、と思っておいた方がいいのでしょう。
あとは専門家や権威に弱い・容易に信じがち、という自覚を持っておくことかなと。
陰謀論に関しては、言うのは簡単だし(よっぽどじゃなきゃ)責任も問われないし、もしかしたら別の目的(再生数を伸ばして広告料を稼ぐとか、いいねで自尊心を満たすとか)があるかもしれない。
信じるかどうかはともかく、それに対して自分はどういうスタンスをとるのかを決めておいた方がいいし、必要なら一生懸命調べて裏を取っていくしかない。
この調べるという部分、理系でもないし、数字も苦手なわたしはどうしても気後しがちで、だからこそ言葉やメッセージの方に意識を持ってかれやすいのだろうとも思います。
これまで直感ベースで生きてきた自覚がありますが、それが向いてない/不利に働く場面もあるのだと理解しておいた方が良さそうです。
最後に、なぜ回転寿司に行ったか、に戻ります。
Twitter等の情報を通じて
「新型コロナというものが、本当にここまで大騒ぎして ”新しい生活様式” なんてものを勝手に押しつけられるほどのものなのかわからなくなった」
という状態になったものの、いったんは自分なりのスタンスとして以下のように改めることにしました。
- 手洗い・消毒は継続、特に手洗いを重視する。ただし完璧は求めない。
- マスクに頼らない。ただし”マナー”として求められる場合を除く。
- リスクを意識して行動する。ただし疲れすぎないように。
- 迷ったら夫を参考にしてみる。もしくは夫に意見を問う。
- Twitter等は見てもいいが、「話半分」だと思って向き合うこと。
- 不安などネガティブな感情に対し、「本当にそうなのかな?」と自問する(反対意見を考えてみる)クセをつける。
- 免疫が下がらないよう、少しでもポジティブな方向に目を向けるようにしよう。
回転寿司に行ったのは3点目と6点目が効いてる感じですかね。
確かに回転寿司はいろいろなリスクが考えられるけど、クラスターとしては聞かないし、寿司自体もテイクアウトや宅配で感染したという話は聞かない。(単に知らないだけとか公表されていないという可能性もなくはないけど)
レーンを回っている寿司は危険な可能性もあるけど、都度注文すれば大丈夫かもしれない。
でももちろんリスクは他の飲食店に比べて高そうだから、記録は取っておこう。
せっかく久しぶりに食べるのだから好きなネタを美味しく食べよう。
こんな感じ。
それでも数ヶ月間かけて脳と習慣に擦り込んできたウィルス観を払拭するのはそう簡単なことじゃありません。
自分に都合よく言い聞かせている感は否めない。
だけど、仮に本当に新型コロナがメディアが煽ってきたように超絶怖い感染症で、家から一歩も出ないことが一番の対策だったとして、怖い・不安だと常に怯えながら暮らしていくことって、わたしの幸せなんだろうか?
コロナで死にはしないかもしれないけど、それって人間として何か失ってないか?
人生最後の日がいつ来るか、明日なのか数年後なのか数十年後なのかわからないけど、その時後悔しないのか?
もし明日死ぬならどうする?どうしたい?何が大事?
こうした究極的な自問も繰り返しながら、ひとつひとつ選択していくしかなさそうですね。
*おわり*