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100点やめて60点を目指す ご自愛ブログ

2020.4うつ休職→薬を使わない治療で2022.4正式復職。自分と仲良く&自分に優しくありたい。

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【Day482】Let's 分解!|「成し遂げたい」を深掘ってみる

こんにちは、emustanyです!

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

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ここ1週間くらい、左まぶたがずっとピクピク痙攣しています。

 

まぶたの痙攣は初めてじゃないですが、今回は一段と痙攣が細かい。

それに、いつもならせいぜい2日くらいで治まるのに。

 

眼精疲労か、寝不足かといったら前者だろうけど、鉄や亜鉛の不足も痙攣を引き起こすらしい。

単純に不快だし、気になります。。 

////////////////////////////////////////////////////////////////////

 

 f:id:emustany:20210729144236p:plain

 

「成し遂げたい」って言うけれど


今日もわたしは、まるで呪いのように

 

「まだ(何も)成し遂げてない」
「(何かを)成し遂げなければならない」

 

とグルグル思考しています。

 

 

それは、診察後のモヤモヤの正体を明らかにしてもなお、変わっていません。
emustany.hatenablog.com

emustany.hatenablog.com

 

 

しかし、emustanyさんよ。

 

「成し遂げてない」「成し遂げなければ」ってずっと言ってるけどさぁ・・・

 

 

 

 

一体なにを?

 

って話じゃん。

 

 

 

これを成し遂げるんだ、っていう「何を」の部分がないから、ずっと気持ちだけが続いてしまっているんじゃないの?

 

もう少しそこ、掘った方がいい気がするよ。

 

 

 

なぜ「成し遂げたい」と思うのか?


「何を」はちょっと置いておいてですね。

 

なにゆえに、こんなにも「成し遂げたい」って思うのか・・・。

 

 

根底には「負けてはいけない」とか「失敗してはいけない」みたいな考えもあるし、「すごいと思われたい」「さすがと思われたい」みたいな考えもあるような気もします。

 

まぁこれらは先生の言葉を借りれば「劣等感の裏返し」なのですが。

 

 

 

でも、それだけじゃない気がする。

 

もっと強いのは、わたしの中にあるこんなイメージじゃないだろうか。

 

休職することになった

  ▼

気づき・学びを得て開眼

  ▼

新しいわたし、デビュー☆
(※一定年齢以上には懐かしのCMより)

 

 

 

それはそれは美しい、THE 成長物語です。

 

 

 

しかし、どこからこれが来ているかを考えてみると、おそらく一番大きいのは「ツレが鬱になりまして」シリーズ。

 

 

そう、みんな大好き(!?)ツレうつ」です。

 

うつ患者やその家族が、おそらく1度は読むであろう、超有名本だと思います。
(※あくまでわたしの勝手なイメージです)

 

 

あるいは、単純に宮崎あおいさんの可愛さにやられて、映画を観た人も多いんじゃないでしょうか?(笑)

 

わたしも確かPrime Videoで観たんじゃなかったかな。

 

 

 

わたしが初めて「ツレうつ」の本を読んだのは、今回の休職とは関係なく、結婚する前のこと。

 

かなり前のことなので、すでに記憶はだいぶ薄れています。

 

 

ただ、確か『7年目の~』に書いてたんだったと思いますが(記憶違いだったらごめんなさい)寛解後の「ツレ」さんは講演会などもやったりしていたのではないかと。

 

 

この話が、わたしの中では「うつを機に人生が変わった(変えた)」という、一種の成功パターンとして記憶されているんだと思います。

 

 

そして、この成功パターンをさらに強化したのが、数多あるうつ経験者の体験談たち。

 

わたしはKindle Unlimitedに加入しているので、Kindle出版?自費出版?の本も含めて、体験談は数冊読んでいます。

 

こうした体験談では、人によっては会社をやめてカウンセラーになったとか、多くは病気や休職を「ターニングポイント」「必要なものだった」「経験して良かった」のように書かれていました。

 

 

これらを通じて、わたしにはこのイメージが非常に強いんだと思います。

うつになる

 ▼

人生の底を味わう

 ▼

苦しみを乗り越えて新たなスタートを切る

 

 

言ってみれば、魔女の宅急便

おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。

ってことです。(ちょっと違う)

 

#完全に蛇足ですが、上の言葉は糸井重里の映画ポスターのコピーで、劇中最後にキキが言うのは「落ち込む事もあるけれど、私この街が好きです。」だって、知ってました?

 

 

 

結局、何を成し遂げたいんだろう?


「成し遂げる」って辞書で調べると、こう出てきます。 

物事を最後までやりとげる。また、みごとにやってのける。

成し遂げる/為し遂げる(なしとげる)の意味 - goo国語辞書

 

 

後半の「みごとに」って部分が肝な気がします。 

 

「みごとに」ってことはつまり、「すごいこと」とか「他の人にはできないこと」みたいなものを、無意識にイメージしているのでしょう。

 

 

自分の中で「見事に」ってあんまり使わないですよね。

 

ってことはつまり、他の人からどう見える・思われるかを意識しているということ。

 

 

 

・・・

 

どこまでいっても他人軸で、本当イヤになりますが。(;´Д`)

 

 

 

 

他人軸のままでは、いつまで経っても「何も成し遂げられてない」ということになりかねません。

 

だって、他人様の思い描く成功だとか、意義ある病気・休職の在り様など、それこそ人によってバラバラだからです。

 

 

であるならば、自分で(再)設定するしかない。

 

 

 

ここは結構大事な気がします。

 

連日同じトピックで引っ張って恐縮ではあるのですが、もう1日寝かしてじっくり考えてみようかなと思います。

 

 

  • わたしが約1年半の休職を通じて成し遂げたいのは何なのか?
  • 何をどうすれば/何がどうなれば、「成し遂げた」と思える(認められる)のか?
  • それを実現できなかった場合は、どうなるのか?(困ることはあるのか?)
  • そもそも「成功」や「成し遂げること」は必要なのか?

 

 

・・・やっぱり、考えすぎ(頭でっかち)人間なだけかもしれないな。

 

 

 

ではまた。 

 

 

*おわり*

 

 

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【Day481】正体暴いたり!?|昨日の診察のモヤモヤ・気落ちのワケ

こんにちは、emustanyです!

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

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今朝、スズメがセミを追いかけて飛んでいました。

え、もしかして食べるの、かな・・・?(;´Д`) マジカ

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 f:id:emustany:20210728221859p:plain 

昨日の診察、文字起こししてみた


これまでは、診察でアインシュタイン先生と話すと、心が軽くなったり、金言で「なるほど」と思ったり、わりと良い気分で診察を終えられるのが恒例でした。

 

しかし昨日は、診察後になんとなく気が滅入ってしまい・・・。

 

 

ブログを書いて、何にモヤモヤしているのか明らかにしようかと思ったものの、気力が足りず断念。

emustany.hatenablog.com

 

 

日を改めて、今日です。

 

実際どのような話をしていたのか、改めて振り返ることにしました。

 

 

今回はほぼ忠実に文字起こしをしてみたので、復職判断を控えた【医師と患者のリアルなやりとり】をお楽しみ?ください。

#まぁ誰も望んでいないかもしれませんけどネ。(;´Д`)

 

(◇アインシュタイン先生/◆わたし)

 


どうですか。

 


気分的には、元気とか楽しいとかより、微妙な・・・あまりスッキリしない感じで過ごしていますね。

 


今の診断書は9月末までだけど、10月から復帰ということで良いんでしたっけ。

 


8月末時点で「復職可能」という診断書をもらって、それを復職審査会にかけて、10月復帰と聞いています。 

 


そのスケジュールで進められそうですか?
決心して、やっていけそうですか?

 


そこが、今このモヤモヤに影響しているのかもしれないなと思ってます。
「大丈夫なのかな?」という不安なのか、「終わっちゃう」っていう寂しさや焦りなのか・・・。

 


休みの方がいいですか?今のこういう生活の方が。

 


まぁそれは・・・ラクですからね。(苦笑)
そりゃ完全にラクかと言えば、これはこれでいろいろありますけど。

もうずっと仕事を休んだ状態なので、ここに仕事がアドオンされると思うと、「大変そうだな」って思っちゃいますね。

 


仕事が始まって、復帰してからも、今の休みの状態に近い心持ちを保てる方法はないですかね?

 


確実に時間的な制約は絶対出るので、それを意識して生活してみなきゃとは思ってるんですけど。

たとえば朝の散歩は続けたいけど、復帰してからも続けるとなれば、そこは早起きしないと散歩には行けないわけで。
だから今から練習しなきゃと思ってるのに、最近はあまり早起きはできていなくて・・・。

 


そのへんですかね。

復帰して、いろんな制約が出てくる状況の中で、今休職しているのと同じような生活のリズムやゆとりを保ちたいわけだよね。
簡単に言えば、自分の時間が欲しいと。

 


そう、なんですかねぇ。
まぁ確かに、今は家事はやってるけど、基本は全部自分の時間なわけで。

生活記録を書いたから、余計に自分の生活があらわになったっていうのもあるんですよね。
生活記録のブロックとして書けるものって、睡眠・家事・入浴とか以外だと、ブログ書いてるか、読書してるか、一応勉強っぽいことしているか・・・それくらいしかないなって思った時に、「このままでいいんだろうか」って思ったり。

「何も成し遂げられてない」みたいな感覚も結構あります。

 


何も成し遂げられてない?

 


もちろん休職して変化もあったし、新しく始めたこともあるし、自分のことも理解が進んだし・・・とかいろいろあるんだけど、それに対しての意味づけが、自分にとっては「大したことがない」と思っちゃってるところがあるみたいで。

「同じ1年・1年半の間に、もっと成し遂げられた人はいるだろうのに」って考えちゃいます。

 


そのへんをどういうふうに天秤にかけて考えるか、だね。

休職して、復職する人ももちろんいるし、復帰してから転職する人もいるし。

転職する人の一番の理由は、仕事の負荷とプライベートのバランスかな。
それを考えて、収入の面でそろばん弾いて決心がつけば、転職、あとはパートにしたりね。

でも大きな会社に勤めていれば、福利厚生とかの点から、なかなか皆さん決心がつかない。
そうなるとグルグル長い年月考えていくうち、やっぱり現実的には大きな企業に勤めているメリットを手放してしまう決心はつかない。
じゃあ仕事しながらどうやって自分の大切な時間を確保してやっていくか、ってことになる。

・・・そのへんのところが最後に残ってるのかな。

 


復帰にあたって、仕事を一生懸命するんじゃなくて、適度に手を抜くとか、自分の時間を大事にするんだというつもりではもちろんいるけど、どこまで現実それができるんだろうっていうのはあります。

それが思ったようにならなかった時に、立て直せるだろうかって不安も。

 


思うようにできないっていう時は、外側の要因(部署的に仕事がどんどん降ってくるとか)もあれば、内側の要因(本人が手を抜けない、罪悪感が出ちゃうとか)も、いろんな要因があるからね。

まぁそれは復帰してからやりますか、そしたら。

 


うーん。
まぁそうするしかないんでしょうねぇ。

 


まぁそうだねぇ、結局ね。

この前の体験談話してくれた人もまさしくそうだったからね、最初は。
これでいいんだろうかって。

 


理想としてはスッキリした状態で戻りたかったんですけど。
このままいくと、モヤモヤした状態で戻って大丈夫かなぁって。

 


スッキリして戻る人はほぼいないね。
まぁ5割、良くて7割整理がついて、あとはもう実地練習、ってことがほとんどですね。

 


そういう意味だと、やっぱり戻るときには ”頑張る” ってことになるんですよね。

 


”頑張る” っていうか、100%練習したわけじゃないけど、試合に出るって感じかな。
勝つか負けるかわからないけど、今までやってきた練習を信じて、とりあえず試合に出てみる。

当然もしかしたら負けるかもしれない
でも負けるけど、落ち込みを小さく。ここで大きくドーンと落ち込むのが再発。

でも少なくとも再発につながるほどの大きな落ち込みにはならないと思うよ。
一度戻ったらどう?

 


・・・。

 


何も成し遂げられていない・・・
「一体休んでいる間、私は何をしていたんだろう」ってことですか?

 


そうですね。

休職した最初からずっとそういう気持ちがあって、一回それが和らいでたんですけど、今また終わりが見えることによって再燃している感じ。

 


過剰に内省するんですよね。「私はこれでいいんだろうか」って。

 


そうですね。

あと、こないだのリワークで思ったけど、兄妹関係の中で「負けたくない」「負けてはいけない」っていうのがすごく強くあったみたいで。
それが兄との関係だけじゃなく、いろんなことに対して「負けてはいけない」という考えがすごいあって。

だから「高みを目指さないといけない」となるし、「成し遂げないといけない」もそこにあると思う。

 


これを言うとすごくすごく失礼なことだし、でもemustanyさんはもう誤解しないだろうからこそ言うけど、それは「劣等感の裏返し」ですよ。

でもそれでいいんですよ。
人生はしょっちゅう負けるから。

私なんか連戦連敗だから。
でもしょうがないかなぁと思って。自分にはこれしか実力ないし。

しょっちゅう負けてると、勝ちに対するこだわりはなくなってくるから。
まぁどうせ負けるから、たまたま勝てばいいかなって。

 


慣れのところもありますよね。

 


まぁ復帰したらどうですか、ここまで来たら

私はいいと思いますよ。
もうずいぶんよく考えてるからね。

あとは実戦あるのみで。

大丈夫だから。

 

 

 

 

モヤモヤの正体とは?


ということで、昨日書いた ↓ は大方合ってましたね。

 

全体的に先生からのメッセージは

 

「復帰してみましょう」

「試合に出てみましょう」

 

そして

 

「実戦でしかわからないこともある」

「”負ける”かもしれないけど、いいんです」

「大丈夫です、戻れます」

 

といったものでした。

 

 

上述の文字起こしでは、わたしのモヤモヤした気持ちは太字で、先生の話のうち、わたしにとって引っかかりや課題になるポイントは下線にしてみました。

 

 

改めて書き起こしてみたものを読みつつ、いろいろと推理していくと、今のモヤモヤの正体(思考回路)はこんなことなのかなと思いました。

 

  • 休職期間がそこそこ長くなっており、「戻って然るべき」とは思っている。
    ・自分がそう思っているというより、周りはそう思うだろうという考え方。
    ・「(明確な/それらしい理由なく)休む=悪」という考え方。

 

  • しかし、復帰してやっていけるか(大丈夫か)自信がない。

    ・仕事の勘や集中力を取り戻せるか。
    ・周りのペースに巻き込まれて頑張ってしまうんじゃないか。
    ・リワークや過去を振り返っての気づき・学びをうまく活かせるか。
    ・今ほどじゃないにしろ、ゆとりある生活リズムや気持ちを保てるか。

 

  • だから、準備はできるだけしっかり、納得するまでしておきたい。

    ・失敗したくない(失敗してはいけない)。
    ・負けたくない(負けてはいけない)。
    ・再発したらどうしよう/再発してはいけない。
    ・「何が起きるか分からない状況」は怖い、避けたい。
    ・「もっと○○しておけばよかった」と後悔したくない。
    ・これだけ休んだのに結局「何も成し遂げていない」と感じている。
     (何かしら成し遂げたい/成し遂げなければいけない)
    ・何もかもが中途半端な気がしている。(夫、家族、将来、ブログetc.)

     

  • しかし、「戻って然るべき」とは思っている。等々
    →無限ループにハマる。
    →モヤモヤ&「復帰したら」の言葉に怖気づいたり、気落ちする。

 

 

 

 

頭の中では「戻らなきゃ」と思ってはいるのだけど、「本当に戻って大丈夫か?」という不安・自信のなさがある。

 

さらに「失敗してはいけない」とか「何かしら成し遂げなければいけない」という考えがプレッシャーとなって、不安に拍車をかけてしまう。

 

でも「戻らなきゃ」だし、でも不安だし、とはいえ「戻らなきゃ」だし・・・

 

で、モヤモヤすると。

 

 

こんな感じでしょうか。

 

 

 

正直ね、他人事として捉えれば、

 

「まぁまぁ、そう考えすぎなくても」

「どうにかなるよ」「大丈夫だよ」

「そんな大した失敗になんてならないよ」

「最初は短時間からなんだし気負いすぎだよ」

「体調崩して休んでたのに、成し遂げる必要なくない?」

 

って感じで声をかけることができると思うんです。

 

 

 

というか、そうだ、それも大事なことだった。

 

自分自身に対しては厳しい言葉をかけがちなので、「友だちにも同じこと言うか?」と自問自答するようにしましょう、って何度も学んでるのにすぐ忘れちゃう。

 

#手を変え品を変え、少なくとも3回は学んでますね。。 

emustany.hatenablog.com

emustany.hatenablog.com

emustany.hatenablog.com

 

 

モヤモヤの正体(思考回路)を見える化(外在化)して、少しだけ気持ちが落ち着いた気がします。

 

とはいえ、すぐに消し去ることができるものでもなく、時間ばかり過ぎてしまうような焦りもあり、まだまだモヤモヤしています。

 

 

来週後半に久しぶりのカウンセリング予約をしてあるので、この時まで引きずっているようなら相談してみようかなと。

 

その前に、来週月曜に産業医面談があるので、またそこも一山ありますが。。

 

 

復帰した時に、こうやってゆっくり思考を辿ったり、気持ちにフォーカスをあてられるような時間&心の余裕が確保できなくなってしまうと、あまり良くないだろうなという気がしています。

 

 

そういえば、先生からも

過剰に内省するんですよね。「私はこれでいいんだろうか」って。

と言われていました。

 

あまり自覚がなかったけど、わたしは想像以上に「内省的」「内観的」な人間なのかもしれません。

 

過剰なのは・・・まぁ加減は必要かもしれませんね。

 

 

 

朝散歩も大事。

 

内省する時間や心の余裕も大事。

 

 

自分の大事なそれらを守るために、どうしたらいいのか。

 

 

また考えていきたいと思います。

 

 

 

ではまた。 

 

 

*おわり*

 

 

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【Day480】モヤモヤの正体はなに?|診察行ってきました

こんにちは、emustanyです!

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

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『あなたにとっての「インターネット」とは?』と言われると、

 

「ピーィーィーィー ヒョロロロロロロロ ポロロン ポロロン」

しか出てきません。笑

 

焦ってる時ほどなかなかつながらず、ヤキモキした時間。

ちょっとなつかしいな。

 

お題:はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

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f:id:emustany:20210727164745p:plain

 

台風だけど、診察行ってきました


今日午前は、クリニックまで診察に行ってきました。

 

台風接近でオンラインに変更するか迷っていたのですが、結果的には、さほど問題もなく行ってこれました。

 

 

前回の受診は9日なので、2週間ちょっと前ですが、あっという間だったように思います。

 #前回の診察についてはこちら。

emustany.hatenablog.com

 

 

その間にあったことと言えば、

  • 眼科に行ったり
  • 美容院に行ったり
  • 友だちとのオンラインお茶会をしたり
  • リワークに参加したり
  • 兄から暑中見舞い?の水羊羹が届いたり
  • (生活記録を書いたり)

 

こんな感じ?

 

 

なんだかボンヤリした毎日だなぁ、と思います。

 

1日1日を切り取ると、それぞれ確かに違う毎日ではあるんだけど、並べてしまうと大差ないというか。

 

 

考えようによっては、仕事していたって似たようなもんかもしれません。

 

 

が、わたしはどうしても ”取るに足らない” とか、”進歩がない” とか、”怠けている” とか・・・

 

良くないものとして、卑下的に、劣等感・罪悪感をもって見てしまう。

 

 

そんなんだから、何となく気が重いまま日々を過ごし、さほど前回の診察から気持ちも大きく変わらないまま、今日の受診となりました。

 

今日のメモも、何やらボヤキのような感じになりました。

f:id:emustany:20210727143548j:plain

 

 

 

うーーーーーん


今日の診察時間は15分弱でした。

 

上のメモではいろいろ書いてはいますが、結局話したのは真ん中(気持ちスッキリとは晴れない)の部分だけ。

 

 

この話は呼び水でしかなく、復帰に関する思いなどについて話をしました。

 

産業医の話では、こういうことでした。

10月の復職審査会にかける前提で考えている
・現在の診断書は9月末まで
・8月下旬~9月上旬には「復職可能」の診断書が必要
・9月いっぱいかけて職場とも具体的な調整を進めていく
・審査会に通れば、10月中旬頃から経過観察期間として復帰(≠復職)

 

#前回の産業医面談についてはこちら。 

emustany.hatenablog.com

 

 

全体的に先生からのメッセージは

 

「復帰してみましょう」

「試合に出てみましょう」

 

そして

 

「実戦でしかわからないこともある」

「”負ける”かもしれないけど、いいんです」

「大丈夫です、戻れます」

 

といったものでした。

 

 

 

モヤモヤとした気持ちを抱えたわたしからすると、励まし・応援というよりは、お尻を叩かれているように受け取ってしまいました。

 

同じような言葉は何度となく言われているのに、自分の状態(調子)が違うだけで、まったく素直に受け取れない。

 

 

反論の余地はなく、「はい」「そうですね」と言わざるを得ない感じがしました。

#わたしが勝手にそう感じただけなんですが。

 

 

ちょっと気落ちしてしまったかな。

 

 

 

気落ちしたということは、何らかの考えや思いがあるということでしょう。

 

一体それは何なんだろう。

 

 

 

本当はカフェに寄って、じっくり書こうかと思っていたんですが・・・

 

あまり気乗りしないので、少し時間を置きます。

 

明日?、改めて書こうと思います。

 

 

 

ではまた。 

 

 

*おわり*

 

 

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【Day479】「負けたくない」のワケ|7月リワーク第3回

こんにちは、emustanyです!

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

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明日にかけて台風だそうで。

勢力はあまり強くなさそうだし楽観視してますが、それでも毎回ドキドキ。

 

夫は在宅勤務で台風も関係ないので良いですが、わたしは明日診察の予約を入れていて、オンラインに切り替えようか悩んでいます。。 

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f:id:emustany:20210726150052p:plain

 

(また)リワークでした


なんだかもう、びっくりするくらい、というかびっくりしすぎて笑っちゃいそうなくらい、1週間が過ぎるのが早いです。(・_・;)

 

ついこないだ書いたばっかりな気がしますが、またリワークの話です。

#当日に書かないし、ブログ毎日書かないから、よけいにすぐリワークの話って感じがしちゃうんだってことは分かってるんですが。

 

 

『トラブルになりそうな時の対応』がテーマの7月リワークも早くも第3回ですが、今回は一番興味のあった『親しい人とケンカになった時の対応』についてでした。

 

#過去2回の内容はこちらから。

emustany.hatenablog.com

emustany.hatenablog.com

 

 

ちなみに、みなさんは最後に「ケンカ」したのはいつですか?

 

大人になると、なかなか「ケンカ」をする機会というのはないかもしれませんね。

 

 

「主張」とか「議論」とか、あとはせいぜい「言い争い」でしょうか。(笑)

 

 

なるべく感情を抑えて、合理性を求めることが多いかもしれません。

 

 

「怒っちゃいけない」「相手を悪く言っちゃいけない」「手を出してはいけない」

 

そんな「~してはいけない」で抑制しているんだけど、我慢が効かず、一気に爆発してしまったり。

 

 

子どもたちのケンカからすると、大人ってずいぶん抑圧的・思考的だなって思います。

 

別に感情的なのが良いとは限らないのだけど、それにしても大人って、なんだか少し苦しい感じがしますね。

 

 

 

恒例の子どもたちを例にしたワーク


前置きはさておき。

 

今回のリワークも、子どもたちの例をもとにしたワークをしましたが、こんな感じでした。

飼育委員会の話し合いで、うさぎ小屋の掃除を全員でやった方がいいと提案したら、友だちが「二人でいい、くじびきで決めよう」と反対した。

「2人じゃ時間がかかるし、くじびきは不公平になる」と説明しても、聞く耳を持たない。飼育委員長はぼくなのに・・・。

最後はともだちとケンカになってしまった。

 

Q1)あなたならどのような対応をしますか?
Q2)ふたりのどんな気持ちや考えがケンカに発展したのでしょうか?

 

 

Q1の「どのような対応を」ということについて、わたしは「あるべき対応」と「実際やりがちな対応」という2つにわけて考えました。

 

  • あるべき対応:
    ・他の人にも意見を聞いてみる
    ・”委員長権限” で自分の案を強行
    ・折衷案を考える
    ・一度時間を置く

  • 実際やりがちな対応:
    ・「じゃあもういいよ」と妥協する、諦める
     →「どうなっても知らないから」という冷めた気持ち
     →恨みやムカムカした気持ちでいっぱい

 

 

 

Q2の「ふたりの気持ちや考え」については、こんなことを考えました。

 

  • ぼく:
    ・何でわかってくれないの?
    ・友だちなら立ててくれよ
    ・大人しく言うことを聞いてほしい
    ・委員長として格好良く振る舞いたい
    ・(この場を・相手を)思い通りにしたい
    ・自分の方が正しい(と信じている・認めさせたい)
    ・勝ちたい、負けたくない(負けてはいけない)
    ・途中で意見を変えてはいけない
    ・公平性が大事、不公平はダメ
    ・効率性が重要(早く終わらせたい)

  • 友だち:
    ・掃除したくない(自分以外の誰かがやればいい)
    ・指示されたくない
    ・自分の意見を通したい
    ・(この場を・相手を)思い通りにしたい
    ・自分の方が正しい(と信じている・認めさせたい)
    ・勝ちたい、負けたくない(負けてはいけない)
    ・ぼくとふたりでやりたい(仲良くしたい)

 

 

・・・なんだか書いているだけで、切ないというか、胸が苦しくなってきます。 

 

 

 

耳が痛い「主導権争い」


ここで話は「主導権争い」に入ります。

 

「主導権争い」とはすなわち、

対人関係においてどちらが偉いか(主導権を握るか)を争うこと。

 

互いに自分の主張を言い、自分の立場を守ろうとしているうちに、当初の目的(先ほどの例では掃除当番を決めること)から外れて、「相手に負けたくない」という目的に変わってしまいます。

 

あぁ、耳が痛い。(;´Д`)

 

 

ここからは立て続けに問いが続きます。

Q3)主導権争いになった経験はありますか?

Q4)どのような関係の人・場面で、主導権争いになりやすいですか?

Q5)主導権争いになるとき、どのような考えが頭に浮かびますか?

Q6)主導権争いを回避できるのは、どのような関係の人・場面ですか?

 

 

「主導権争い」と聞いて、わたしが真っ先に思い浮かべたのは兄との関係でした。

 

 

それ以外では、わたしから誰かに主導権争いをするようなことって、あまりないと思います。(無自覚にやっている可能性は否定できないけど)

 

また、マウンティングなど、誰かから主導権争いを仕掛けられた経験も、おそらくないかと。

#マウンティングされたところで、「あー、必死だねぇ」とか傍観しちゃいそう。

 

 

他の参加者の方も言っていましたが、自分にとって関係性が浅い・遠い人に対しては、主導権争いになりにくい(回避できる)ように思います。

 

あるいは、自分にとって大事・重要でない事柄についても、一歩引いて見ることができます。

 

 

そう考えると、「兄」という、とても身近で、しかも自分にとって大事なもの(親の愛・注目)を取り合うような関係性に対し、主導権争いをするというのはとても自然なことなのかもしれません。

 

 

 

勝てるはずのない主導権争い


思えば昔からずっと、わたしは兄と「主導権争い」をしてきています。

 

先般のこれもそう。

emustany.hatenablog.com

 

 

正確に言うと、「主導権争い」をふっかけてるのはわたしの方であって、兄は特に意識していないのかもしれません。

 

 

そりゃそうです。

 

兄は6つも年上で、能力的にわたしと争う必要などなかったのですから。

 

 

これはやはり ”きょうだいあるある” だと思うのですが、上の子よりも下の子の方が、後から生まれた分、上の子を強く意識しています。

 

具体的には、「親からの愛・注目」を奪おうと必死なわけです。

 

※きょうだいの関係性の難しさについては、この本を読むとよくわかります。

 

※同じ著者のこちらもセットで読むと、さらに理解が深まるかと。

 

 

わたしは兄に対して、「負けたくない」という気持ちと、「負けてはいけない」という考え(価値観・信念)を常に抱えています。

 

もともと気づいてはいたものの、今回のリワークで再認識しました。

 

 

兄に対するこの思いの根っこにあるのは、親への

「認められたい」
「こっちを見てほしい(わたしを見て!)」

という思いです。

 

 

ここで言う「親」は、両親というよりは、母ですね。

 

父はわたしに甘かったこともありますし、母が父を蔑むような発言が多かったので、無意識ながら「父に認められる」ことをあまり求めなかったのだと思います。

 

 

母は「人と違う方がいい」という価値観の人で、わたしは母に認められるために ”他の人とは違うかどうか” を第一に、常に周りと自分とを比較しながら、行動してきたんだと思います。

 

そうすると、他の人の(一般的な)価値観ではなかなか自分を測れない(評価できない)ので、「母から認められる」ということを、とても求めていたでしょう。

 

 

だからこそ、親(母)に「認められたい」「こっちを見てほしい」という気持ちが人一倍強く、そのために兄と主導権争いをしてきた、という構図なのかなと思います。

 

 

 

先ほど書いたように、兄は6つも年上ですから、普通に考えてわたしは勝てません。

 

大人になった今ならともかく、子どもの頃はどうしたって、何をするにも彼の方が有利です。

 

 

加えて、兄は「超」がつくほどの「理系」。

 

わたしは「文系」で、大学は英文学科の卒業です。

 

もともと高校が外国語コースで理系科目が少なめだったことに加え、途中で留学もしたのもあって、数学Iと数学Aの途中までしか学んでいません。

#「微分積分」なんて、かじったことすらなく、ナニソレ状態な大人です。。

 

 

兄は応用物理という、わたしには全くわからないものを専攻し、大学院まで出た人間です。

 

今も年末年始など実家にともに泊まると、夜に何やら数学の問題らしきものを黙々と解いていて、「うへぇ」と思ったりします。

 

 

そんな兄は、当然?めちゃめちゃ論理的な人です。

 

人の話にも論理性や根拠を求めるので、わたしが彼に何かを説明したり説得するのは、かなりの至難の業(というか無理)。

 

 

しかし、「負けたくない」気持ちでついつい対抗し、できるだけ論理的に説明しようとしてきました。

 

本当はこれって、相手の土俵で戦っていることになるので、不利でしかありません。

 

 

 

とても疲れますが、悪いことばかりではありません。

 

小さい頃からそういう「練習(訓練、鍛錬)」をしてきたせいか、文系でありながらも「emustanyさんって超論理的だよね」と言われることも多く、ある意味自分の長所にもなっています。

#まぁこれは、メンタル不調も引き起こす「短所」でもあるんですが。

 

 

 

今回のリワークで、「そうか、兄とのこれは”主導権争い”だったんだな」とハッキリと認識することができました。

 

そして、わたしの中に深く深く根付いている「負けてはいけない」「弱みを見せてはいけない」という考え方は、きっと兄との関係性の中で形成されたのだなと、改めて理解することができました。

 

 

 

降りる=負ける、ではない


リワークでは最後に、「主導権争いから降りる」ということについて触れました。

 

主導権争いを降りる方法はこんな感じ。

  1. 自分の気持ちに気づく
    →例えばイライラは主導権争いになりそうなサイン
    →自分が何かに固執してしまっていないか
    →気づいたら、ひと呼吸

  2. 最初の目的を振り返る(立ち戻る)

  3. 目的に戻るための提案をする
    →休憩を取る、場を変える/改める、など

 

 

「主導権争いから降りる」と聞くと、多少なりとも抵抗を感じませんか?

 

それは、「降りる=負け」と考えているからでしょう。

 

 

しかし、先に降りるのは勇気が要ることであり、これはいわば「勇気ある撤退」です。

 

「負けるが勝ち」みたいなもんですね。

 

 

「降りる=負け」ではないんです。

 

自分が降りることで、互いに傷つけ合うことを減らせるし、争いをさらに大きくすることを避けられると考えれば、これはとても良いことなわけで。

 

 

わたしにとっては、「負けたくない」「弱みを見せてはいけない」という気持ちはとても根深く、手放したり降りることはなかなかハードルが高く感じます。

 

でも、少しずつでもいいから考え方を改めて、主導権争いをしない・巻き込まれないようにしていけるといいですよね。

 

 

 

これもまた自己受容の過程


過去のリワークでの学びも踏まえて考えると、やはりどんな面でも大事なのは、まず【気づく】ことなんだなと思います。

 

「自分はこう感じているんだな」

「自分はここが大事、譲れないんだな」

「それはこういう背景があってのことなんだな」

「これが自分のパターンなんだな」

 

そうして気づいたら、ダメ出しも否定も評価もせず、まるっと【自己受容】です。

 

「それも自分」

「どう感じる・考えるかに、良い悪いはない」

「良いところ・悪いところ、両方あるのが自分」

「一生懸命自分なりにやってきたということ」

 

「がんばってきたんだね」

 

 

 

気づく→自己受容。

 

わたしの中のイメージだと、洗いざらい吐き出した気持ち・考え・記憶たちを、いったん胸の中に抱きかかえてギュッとし、机の上に置くという感じでしょうか。

 

置くときには、ちょっと柔らかそうなマットやクッションをひいておいて、そこにやさしくポンッと置いてあげると波が立ちません。

 

 

そして、置いたものを少し引いて眺めてみる。

 

そこで初めて、中立的に解釈や判断をしてみたり、「じゃぁどうしようか」と対策を考えてみたり。

 

 

自分の中にあるままだと、よく分からなくなっちゃうんですよね。

 

自分が傷つくように、自分に悪いようにジャッジするクセができちゃってるので、中にあるままだとそっちに引っ張られてしまう。

 

だから、一度外に出して、俯瞰する。

 

 

わたしなりのイメージなので、ちょっと伝わりにくいと思いますが、そんな感じかなと思っています。

 

なかなかこれが、言うは易しで、まだまだ行うは難しなんですけど。( ̄▽ ̄;)

 

 

 

次回、7月リワークは最終回です。

 

この日は別枠でもう1つ単発のリワークを受けるので、更新が大変かもなぁ。(*´з`)

 

 

 

ではまた。 

 

 

 

 

*おわり*

 

 

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【Day476】”じゃない”側が思うこと|このままでいいのか

こんにちは、emustanyです!

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

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ついに今日からオリンピックですか。

 

今回に限らず、オリンピック(というかスポーツ観戦)には無関心です。

ブルーインパルスも、「すごいねぇ」というくらいで、特に興味なし。

どちらも、好きな人にはたまらないのでしょうけどね。

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友だちとのオンラインお茶会にて


先日、大学の友人ふたりとオンラインお茶会をしました。

 

 

友人はふたりとも子持ちです。

 

ひとりは、未就学の子どもたち2人のママ。

 

もうひとりは、第三子が意図せず双子で、4人のママです。

 

 

14時から16時半くらいまでつないでいましたが、まともに話をできた時間って、たぶん半分くらいかなぁと。 (;・∀・)

 

 

ふたりとも、話をしながらも、あれやこれやと常に子どもの世話を焼いていました。

 

ミルクをあげたり、寝かしつけたりと、時には画面から消えることも。

 

 

 

そんなふたりの様子を見て、「すごいなぁ」「ママなんだなぁ」と感心しっぱなし。

 

それと同時に、なんだか疎外感も込み上げてきます。

 

ふたりとも画面から消えて、自分の姿だけが映っているのを見て、「これでいいのだろうか?」と不安にもなりました。

 

 

 

「”じゃない” 側」であるということ


彼女らは、いわゆる「ワーママ」です。

 

一方のわたしは、ワーママ「”じゃない” 側」の人間。

 #というか、そもそもママ「”じゃない” 側」。

 

 

最近、「ワーママ」という言葉(呼称)を聞くたびに、「”じゃない” 側」ってなんだか肩身が狭いなと思うようになりました。

Twitterでこんな投稿もしていました。 

 

 

↑でも書いてますけど、そもそも「”じゃない” 側」に呼称がないんですよ。

 

強いて言えば「DINKS妻」とか「働く子なし妻」あたりになるんでしょうが、「ワーママ」のような収まりのいい呼び名がない。

 

 

だいたい「子なし」って、「無い」ことにフォーカスが当たっている分、ちょっとネガティブな感じもします。

 

不足している、とでも言われているような。

 

 

 

呼び名(それを表す言葉)がないということは、認識できない・しづらいということです。

 

ちょうど「HSP」「繊細さん」という言葉が出てきたことで、それをプロフィールに書く人が出てきたのがいい例ですね。

 

 

呼び名の有無によって、同士でのつながりやすさ、主張のしやすさも違ってきます。

 

極端な話、まとまりとして認識されなければ、政策や援助の対象にもなりにくい。

 

 

 

わたしが「ワーママ」という言葉を意識するようになった理由の1つに、Voicyがあります。

 

休職し始めてから聴き始めたVoicyですが、人気パーソナリティーの「ワーママはる」さんは、わたしもよく聴いている番組の1つです。

voicy.jp

 

 

「ワーママはる」さんは、ご自身のポジショニングとして「ワーママ」を強く打ち出しており、話したり発信する内容も、著書の内容も、基本的には「ワーママ」を前提にしています。

 

キャッチフレーズとして、「賢く強かに」「ワーママサバイバル」などの言葉も使われています。

 

 

こういう「ワーママ」であることを前面に押し出している方、そして発信に対し、「”じゃない” 側」のわたしは少し息苦しさを感じてしまいます。

 

うまく説明できないのですが、何となく「ワーママ ”じゃない” こと」を否定されている気持ちになってしまうんです。

 

 

もちろん、そんなつもりはないだろうことは、わかっています。

 

女性全体で考えると、「ワーママ」と「じゃない側」というのは地続きです。

 

どちらかを否定したり、対立や傷つけ合いをするなど不毛なことです。

 

 

ただ、「賢く強かに」「ワーママサバイバル」という言葉には、「ワーママは ”じゃない側” とは違うんだ」という意思のようなものを感じます。

 

 

「”じゃない” 側」は、「賢く強かに」なんて意識したり、ならなくてもいいもんね。

「”じゃない” 側」は、「サバイバル」にはならないもんね。

 

そういう風に聞こえてしまうのです。

 

 

変な話、「”じゃない” 側」であることで、自分はマイノリティなんじゃないかとさえ感じます。

#実際どちらがマイノリティなのか、比率は全然知らないのですが。

 

 

 

本当にこれで/このままでいいのだろうか


このように感じるのは、「子なし」であることに対する罪悪感や後ろめたさのせいかもしれません。

 

生物的には、まだ(ギリギリ)産める年齢であるにも関わらず、産んでいない。

 

もっと言うと、産もうとしていない。

 

 


「子なし」を選んでいるのはわたしです。

 

実際のところは、「選んでいる」という確たる意思というより、まだ迷いや揺らぎを含んでいるところがあります。

 

 

一応「子なし」でいこうと思ってはいるものの、「本当にこれでいいのだろうか」「今は良くても後悔するんじゃないか」と思ってしまいます。

 

 

 

我が家は、夫は「(いつかは)子どもがほしい」と言っていて、わたしは「子どもは欲しくない、怖い、持ちたくない」と言ってきました。

 

結婚する前から、ずっと平行線です。

 

 

昨年末に夫がこの話を再度切り出してきたものの、結局今日に至るまで話し合うことはできずにいます。

 

emustany.hatenablog.com

emustany.hatenablog.com

 

 

 ↑の記事を書いているときから、基本的には考え方は変わっておらず、「産みたい」「子どもがほしい」といった思いはありません。

 

 

むしろ、昨今のコロナ対応やオリンピック対応のゴタゴタを見ていると、日本の未来に対するポジティブなイメージはますます描きにくくなっています。

 

これまで自分が信じ、頼りにしてきた家族の絆や親子の関係も、親の離婚話や、ワクチン問題をきっかけに、あっけなく崩れてしまうということがわかってしまいました。

 

 

何より、自分が不調に至った背景に親の影響力があることを理解・実感すればするほど、親として一人の人間を産み育てることには消極的になるばかりです。

 

※家族・親子関係については、この辺の本を読み漁りました。どれも一読の価値ありです。

 

 

 

選んで「子なし」ではいる。

 

でも、常に「これでいいのか」はつきまといます。

 

 

何が悩ましいって、今は子どもがいらないと思っているけど、それはあくまで「現在のわたし」の考えです。

 

産んで嬉しさ・苦労を味わうのも、産まずに寂しさ・後悔を味わうのも、「未来のわたし」であり、「現在のわたし」はそれを想像するしかできない。

 

想像だから、実際には「思ったのと違った」も起きうるわけで、その時は「過去のわたし=現在のわたし」を責めるしかなくなってしまう。

 

 

 

最愛の夫の希望を叶えられない、ここのしんどさもあります。

 

自分はワガママなんじゃないかと思ったり、申し訳ない気持ちにもなります。

 

でもだからって、夫のために産むのは絶対に違う。

 

 

 

 

これでいいのか。

 

本当にこのままでいいのか。

 

 

 

 

人間ってつくづくめんどくさい


散歩中、鳥たちを見ると癒されます。

 

だって彼らには「目の前のこと」しかなさそうだから。

 

 

将来がどうとか、過去がどうとか、周りから見て自分はどうとか・・・

 

何にも考えていない。(ように人間には見える)

 

 

彼らは当然のように子づくりをするわけですが、それも特別考えているわけじゃなくて、本能として子孫を残そうとしているだけ。(と人間には見える)

 

とてもシンプルで、うらやましいなと思ってしまいます。

 

 

人間は、考える能力を発達させすぎて、動物らしさ(目の前のことに集中するシンプルな思考)を捨ててきてしまったんじゃないでしょうか。

 

賢くなったし、そのおかげでいろいろ発展してこれたんだろうけど、もっとシンプルな思考をしていたなら、きっと鬱になったり不安になったりもせず、幸せでいられたんじゃないのかな。

 

 

鳥たちをボーっと見ながら、そんなことを思います。

 

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必死そのもの。周りなんて気にしてない。

 

 

 

 

ではまた。 

 

 

*おわり*

 

 

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次回更新でまたお会いできますように!(*´ω`*)エヘヘ 

 

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